青崩嶺(1358.2m) 遠木山(1308m) 国盗山(1247m)・青崩峠〜兵越峠




青崩嶺(1358.2m) 遠木山(1308m) 国盗山(1247m)・青崩峠〜兵越峠

紅葉が綺麗だと評判の青崩峠〜兵越峠間のハイキングコースへ

未踏の水窪百山と静岡県境歩きを兼ねて歩いて来ました。

青崩嶺(あおくずれりょう)

標高 1358.2m 登山日 2022年11月5日
 四等三角点(青崩峠東) 水窪100山の一座
所在地  静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方

遠木山(とおきやま

標高 1308m 登山日 2022年11月5日
水窪100山の一座
所在地  静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方

国盗山(くにとりやま)

標高 1247m 登山日 2022年11月5日
水窪100山の一座
所在地  静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方

難易度 ★     オススメ ★★★ 登山口(ナビ検索) 青崩峠駐車場
遊歩道入り口(10:00)→建次屋敷跡(10:06)→青崩峠(10:11)→青崩峠一等水準点(10:16)→水場(10:26)→さわら小屋(10:38)→青崩嶺(10:41)→遠木山(11:06)→国盗山(11:18)→兵越峠(11:28)→国盗山(11:38)→遠木山(11:51~12:13)→さわら小屋(12:35)→水場(12:43)→青崩峠(12:50)→遊歩道入り口(12:59) 所要時間 2時間59分 累積標高 763m / 767m 距離 8.6km
■国道152号線は静岡県と長野県を結ぶ唯一の国道。この国道が分断れる所が青崩峠です。この長野県と静岡県の県境ある青崩峠は、秋葉街道 通称「塩の道」として知られ、戦国時代に武田信玄が通ったことでも有名。だが峠道は中央構造線の大破砕帯を通っているため地盤が極めて脆く、日本のトンネル技術の粋を集めても未だに開通するに至らない。

水窪百山」は、NPO法人「山に生きる会」の皆さんが調査・整備を主目的としてリストアップした山のリストです。

青崩峠登山口

青崩峠入口駐車場

駐車台数 10台(路肩)

秋葉街道の旧道となる塩の道遊歩道の静岡県側の入口付近にある路肩スペース(標高980m)。アクセスは新東名高速の浜松いなさジャンクションより三遠南信道へ向かい、鳳来峡インターチェンジを下りて国道151号線の飯田・東栄方面へ右折、東栄インターチェンジから再び三遠南信道に入り佐久間川合インターチェンジから原田橋を経て国道473号線・国道152号線の水窪方面へ向かう。水窪町の奥部にある草木トンネルの手前で青崩峠の道標に従い右折、急勾配の道を進むと足神神社を経て3.3kmほどで遊歩道の入口がありすぐ手前の道幅が広がる箇所に駐車余地がある。駐車スペースの先も青崩林道が峠の直下まで続いているが、路肩崩落により車両通行止となっている。

信州街道 塩の道 案内板

「青崩峠登山口」何度か来ていますが、ここまで車で来るのは初めて

既に先客8台、殆どが熊伏山への登山者だと思います。

ここまでの林道青崩線沿いには「足神神社」や「しっぺい太郎の墓」などの見所があります。

中でも足神神社の湧き水は、「静岡県の湧き水100選」のひとつで、

県内外から多くの人々が水を汲みに訪れます。

静岡県浜松市天竜区水窪町、日本最大級の難所、青崩峠の麓に佇む足神神社です。全国でも大変珍しい脚の病治癒に霊験がある神社で山深くにある小さなお社にもかかわらず、全国から沢山の参拝者が訪れます。

武田信玄の腰掛け岩

武田信玄の腰掛け岩

1572年(元亀三年)十月、京を目指し甲府を出発した武田信玄は、二万七千の兵を率い天下の難所青崩峠を越えて、同年十二月徳川家康との「三方原の戦い」に挑みました。この岩は、その遠征の途中に信玄が休憩のため座ったものと言われています。

塩の道 石畳

青崩峠までの古道は苔生した石畳が残っていて風情たっぷり

峠までは5分程度の道程です。

建次屋敷跡

青崩峠(あおくずれとうげ)は静岡県浜松市天竜区と長野県飯田市の間にある標高1,082mの峠である。峠付近の地質構造は、中央構造線による破砕帯となっており、山腹に広がるむき出しになった青い岩盤から峠の名が付けられた。静岡県側・長野県側ともに、国道152号の端点から林道、遊歩道(かつての塩の道)を歩いて峠にたどり着くことができる。武田信玄による1572年の徳川領侵攻において、軍兵の一部が通過したことで知られている。

国道152号の点線国道区間で未通区域となっている。1987年より三遠南信自動車道の一部としても位置づけられているが、地形の急峻さと地盤が脆弱なために道路(青崩峠道路)を通すことが出来ないと考えられていた。しかし2013年には、青崩峠直下よりも西寄りにトンネルを通す形で事業化され、着工している。ただし、2015年3月の時点では、開通のめどは立っていない。青崩峠の迂回のために兵越峠直下を通過するルートが選択され、草木トンネルが建設されたが、兵越峠の地盤も脆弱なことが判明し、結局地盤のやや硬い青崩峠西側を通るルートに変更された経緯がある。大型以外の車両は草木トンネルを通って隣接する兵越林道を使用することにより迂回が可能。 Wikipedia

植林帯を抜けると色付いた自然林

周囲が急に明るくなります。

青崩峠(1082.4634m) 一等水準点(5299)

青崩峠は秋葉街道上にある標高1082mの峠で、長野県と静岡県の境にあたります。

秋葉街道は、火伏せの神として信仰を集めた、

秋葉神社(静岡県浜松市天竜区)へ参拝するための信仰の道、

遠州の海産物が山国信州へもたらされた塩の道としても知られています。

青色の岩盤が崩れていることが名前の由来で、

一帯は中央構造線沿いの破砕帯でもろくなっています。

青崩峠

静岡県指定史跡 海抜1082メートル

青崩峠は遠州と信州の国境にあって古くからある信州街道(秋葉街道ともいう)の峠である。この道は昔から海の幸や山の幸が馬や人の背によってこの峠を越して運ばれたことから「塩の道」ともいわれている道である。また、戦国時代、武田信玄の軍勢が南攻のためこの峠を越えたと伝えられ、近世には多くの人々が信州、遠州、三河の神社、仏閣に参詣するためにこの峠を越した。近代においては可憐な少女達が製糸工女として他郷で働くために越した峠でもあり、多くのロマンと歴史を刻む峠である。

青崩峠の石仏群

観音山

青崩峠より 遠州側

ちょうど紅葉が見頃を迎えていました。

青崩峠から直登し

林道青崩線の終点から続く遊歩道へ合流します。

青崩峠と兵越峠をつなぐハイキングコースは、

2時間程度の散策が楽しめるコースとなっています。

中央構造線上の脆い地質のため、

植林されず自然林が沢山残っているのでしょうか?

ハイキングコースは階段や東屋が整備されており

色とりどりの紅葉の中、のんびりと歩くことが出来ます。

黄色く色付いたブナや

赤いヤマモミジにミズナラ

フカフカの落ち葉の上を歩きます

熊伏山

大ヌタ山への分岐

尾根に出ると「大ヌタ山」分岐(南方面)の案内板

「青崩嶺」より南方面はあまり整備されていないようなので要注意です。

青崩嶺(1358.2m) 四等三角点(青崩峠東)

一旦、大ヌタ山方面へ向かい青崩嶺へ寄り道、

再び分岐まで戻り兵越峠方面へ

遠木山(1308m)

国盗山(1247m)

国盗山まで来ると兵越峠はすぐそこ、

階段を下って行くと「峠の国盗り綱引き合戦」が行われる広場が見えてきます。

綱引き合戦場

峠の国盗り綱引き合戦

毎年10月の第4日曜日。静岡と長野の県境をかけて、紅葉の兵越峠で「峠の国盗り綱引き合戦」が行われます。信州軍は飯田市南信濃、遠州軍は静岡県浜松市水窪町から、両市の商工会青年部の精鋭が対戦し、勝った方が1メートル県境を相手方に移動できます。ユニークな村おこし行事として、全国的にも有名になったお祭りです。

毎年10月、長野県と静岡県の県境兵越峠では、信州軍と遠州軍が「国境」をかけて綱引きで対決する「峠の国盗り綱引き合戦」が行なわれます。
長野県は飯田市南信濃、静岡県は浜松市水窪町の両商工会の青年部から精鋭が選出され、3本勝負を行なって勝った方が1メートル、相手側に「国境」を広げることができるのです。

この戦史をひもとけば、はじまりは昭和62年。それまで双方の商工会青年部は野球などで交流を深めていましたが、水窪町が招いた地域文化研究家の加藤伸幸さんの提案で綱引きをすることになりました。
ただ綱引きをするのではなく「国境」をかけて勝負するというアイデアが、その後21年にも及ぶ息の長いイベントにつながったのです。

初めは両青年部が和気あいあいと行なっていた綱引きですが、第4回の頃からテレビなどで取り上げられて話題となり、兵越峠に「綱引き広場」が作られたほか両町村の首長による口上合戦が繰り広げられるなど、ユニークなイベントとして現在のスタイルが定着しました。
平成13年には田中長野県知事も参加し話題となりました。
当初は藤蔓を編んで作った綱を用いていましたが、切れやすいために現在では綱引き用の綱に変え、細かいルールも定められた本格的なものになっています。
その一方、可愛らしい地元子供たちによる綱引きや、一般客による交流試合なども行われ、誰もが楽しめるイベントとなっています。

遠山郷観光協会H.P より

ヒヨー越峠(兵越峠)1165m

兵越峠(ヒヨー越峠)

兵越峠(ひょうごしとうげ)は静岡県浜松市天竜区と長野県飯田市の間にある標高1,165mの峠である。地図上ではヒョー越と表記されるものもあり、単に兵越(ひょうごえ)と呼ぶこともある。また飯田市南信濃では、兵越峠(ひょうこしとうげ)と濁らずに呼んでいる。名前の由来は武田信玄が西上作戦の折りにこの峠を越えたからといわれている。この峠で1987年より、毎年10月の第4日曜日に浜松市と飯田市で「峠の国盗り綱引き合戦」という綱引き行事が行われている。

兵越峠駐車場

今日歩いた区間、青崩峠から兵越峠までは静岡県と長野県の県境で、

このまま白倉山方面へと続きます。

兵越峠より 白倉尾根を中ノ尾根山までピストン。

再び遠木山まで戻り東屋でランチ

三叉山〜ドーム〜中ノ尾根山〜黒沢山の稜線を望みながら

きはだ小屋

黒沢山

帰りは元来た道を戻り林道青崩線の終点へ

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