高貴神社(天白社)・静岡県浜松市中区上島




高貴神社(天白社)・静岡県浜松市中区上島

静岡県浜松市中区上島に鎮座する「高貴神社(たかきじんじゃ)」

御祭神は「高見産霊神」、創立は不詳ですが文久三年九月再建の棟札あり。

境内には天白神が祀られた「天白社」があり、毎年大晦日の夜には火祭りが行われます。

上島町公会堂や公園も兼ねた広々とした境内

その昔、この横には旧秋葉街道が通っていました。

高貴神社

鎮座地 浜松市上島

御祭神 高見産霊神

合祀  大雀命 若宮八幡宮・素盞嗚命 津島神社・天白大神 天白社

例祭日 十月十五日

由緒

旧遠江国敷地郡上嶋村北浦に鎮座する。 創立の年は不詳なれども旧除地高一石三斗二升 。文久三年九月再建の棟札あり。上島町産土神として篤く崇敬され旧社格 村社に列す。現在の社殿は昭和三年十月氏子の奉賛により建立された。

高貴神社 拝殿

天白社

高貴神社の境内社 天白社は坂上田村麻呂に所縁があるお社です。

天白社の(修理固成)の碑によると、

「坂上田村麻呂将軍が東征した時、磐田海を渡れないでいると天白大神が示現した。

将軍が授けられた治水の珠を投じると、奔流静まり渡行できた、と書かれています。」

高貴神社 天白社

御祭神

天白大神 御岳大神 修成大神 白山妙理大権現

由緒

今より千ニ百年の昔、桓武天皇の時代、蝦夷への討伐が計画され、坂上田村麻呂将軍は百数十の武者を配し奈良の都を出陣、遠州の当地を通過の際、磐田の海は濁流に渦巻く大氾濫、将軍は神の力に頼る以外道なしと篝火をたき、夜を徹して一心に風雨鎮めの祈祷をしていました。その時、白馬馬上の白髪の翁現われ、治水の珠を将軍に授け、将軍は荒れ狂う渕に自から珠を投じたところ、不思議にも奔流鎮まり渡行できました。 目的を成就した帰路、再び当地を訪れ流木に自から「白馬馬上左手に桃の小枝を抱いた白髪の翁」の像を精魂こめて彫刻み、護り神として祟め奉り、この地を天白森と呼ぶようになり以後、天自大神の御神徳は「万蔵何事も叶えられる大神さま」と崇敬され、里の人々の無上の心のよりどころとして広く世に伝わり、今日に至っています。

天白森・現、赤池薬師より東北三百米地点

明治七年・天白森より現、氏神社殿に合祀

明治三十九年・御籠堂建立(現、公会堂)

大正二年・神道修成派に加盟、教会設立造営遷宮(現在地)

昭和三十一年一月十三・災火全焼

昭和三十二年十二月・復興

昭和四十二年四月・曳馬町三浦神社より御岳社を合祀

平成元年二月・上島二丁目白山妙理大権現を合

平成五年四月・社殿增改築

年中行事

星祭り祈祷・二月第一日曜日 午後二時

例大祭・四月第三日曜日 午後二時

のぼり旗祈願祭・八月十四 午後二時

火渡り・十月三一日 夜十二時

御缶登拝・十月下旬

月並祭・每月第一、第三日曜日 午後三時

上島町公会堂(旧天白社籠堂跡)

その昔、高貴神社の「天白社」は、万事何事もかなえられる天白大神と崇敬され、

遠州一円から多くの信仰者を集めたそうです。

大晦日深夜の火祭りなどでは徹夜することが多く、

厳寒雨雪は参詣者を困苦せしめることもあったといいます。

そんな姿を見た村人たちは東奔西走して浄財を仰ぎ、

明治39年ようやく遠来者用の籠堂(仮眠所8畳8室)が建てられました。

現在は公会堂として使われています。(平成24年に新しい公会堂に建て替えられました)

また、旧秋葉街道沿いに面する高貴神社の境内には2基の秋葉山常夜灯が安置されています。

1つは鞘堂に安置されている常夜塔で、内部の常夜塔には

「秋葉山」「天明四甲辰正月吉日」(1784)と刻まれています。

もう1つは柱と土台のみが残っており、「秋葉山」「村中安全」「弘化四年未秋立」(1847)

と刻まれています。

どちらも元は秋葉街道沿いに建てられていました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加