身延山 久遠寺 妙石坊(じょうじゅあん)・高座石
身延山久遠寺H.P
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学禅院日逢上人が文禄年間に開創した妙石坊(じょうじゅあん)
元は妙石庵といい、文久2年(1862)に改称しました。
日蓮聖人が座られ、お弟子たちに教えを説いたといわれる高座石があり、
七面大明神が天女の姿を顕したとされることでも知られています。
御硯水(おすずりみず)
日蓮聖人がここで書物を書く時に水を汲んだと伝えられる場所。
高座石の後ろの坂を下った渓流沿いにあります。
参道には神仏習合の意味合い強い両部鳥居。
七面大明神示現の伝説
身延の草庵の直ぐ近くにある高座石(現在の妙石坊)にて
日蓮聖人が布教をしていたところ、妙齢な女性がいつも説法を
聴聞していました。
居合わせた人々はその女性が聖人に寄り添うようにしていたので
不審に思っていました。
聖人はこの女性の正体を知っていましたので、女性に向かって
「正体を現してやりなさい」といいました。
すると女性は聖人をみつめて、「日蓮聖人さま、私に水を下さい」と懇願しました。
聖人は水の入った花瓶を与え、女性の手のひらに乗せました。
すると、たちまちに龍に変じ、花瓶にまわりついたため、
この光景を間近にした人々は驚きました。
女性は囁きました。
「私は七面山の池に住むものです。この末法に世を救うために現れました。
法華経を進行する人々を守護することを誓います」と語り終えると、
風に乗って七面山の方向に立ち去ってしまいました。
この話が日蓮聖人と七面大明神の出会いの場面で最も知られているものです。
他には貞享2年(1685)に出版された身延山案内書「身延鑑」に
安芸の国厳島弁財天に祈願して姫君を授けてもらった
京中納言師卿の姫君と東宮兄弟池の宮との悲話があります。
高座石
祖師堂
唐銅日蓮聖人像と安置。
これは奥之院に安置されていたもので、31世日脱上人が開眼。
台座銘文をみると、元禄元年に江戸に住む多くの講中の寄進により
建立されたことがわかります。
内陣の丸堀天井は、安政4年(1857)小沢半兵衛の作です。
*小沢半兵衛は三嶋大社社殿彫刻、岩本実相寺一切経蔵向拝の七福神彫刻、
南部仏成寺拝殿軒下の彫刻、身延山内の清正公堂彫刻等の作品を残している
伊豆出身の名工です。
手水舎
清澄稲荷
清澄稲荷(きよすみいなり)
本地は天照大神で、開運清澄稲荷大明神と呼ばれています。
御廟所の裏手にある妙石坊は、奥之院への裏参道出発点であると同時に
七面山の表玄関であり、追分感井坊に至ると、
奥之院(身延山)に行く道と七面山に行く道とに分岐します。
ここから少し登った所に願満稲荷(がんまんいなり)が鎮座する。
願満稲荷大菩薩を安置、4月22日が大祭。
ここから追分に合流する道が開けています。