仏坂古戦場(ほとけざかこせんじょう) 「ふろんぼ様」
仏坂古戦場 浜松市
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/miryoku/hakken/tanbo/201603-2.html
仏坂古戦場へ
国道257沿いに看板があります。
500mほど進むと道が二手に分かれます。
数台停められる駐車場もあります。
すこし歩いた先に「ふろんぼ様」の看板
ふろんぼ様
ふろんぼは古坊か古い墓の訛ったものか、
古来からふろんぼと呼ばれてきた。
元亀三年十月二十二日武田信玄が遠江に侵攻した折 山県三郎兵江昌景の率いる
一隊は東三河から山吉田鈴木岩見守重好を攻めたが満光寺朝堂玄賀和尚の和議で
岩見守は柿本城(山吉田城)を開き一族と共に三遠国境を越え
井平の鈴木出雲守の守る小屋の砦(井平城)に引退いたがこれを追って来た
山県勢と仏坂で激戦を交えている。
この戦いで井伊飛騨守直成(井平領主)は鉄砲に的り戦死、
岩見守一族 鈴木権蔵重俊も頬当の下菱縫に鉄砲を受け討死した(享年二十二才)
この戦で討死した井伊飛騨守や鈴木権蔵重俊を始めとして
多くの戦国の武将の菩提をこの地に葬ったものと伝えている。
井平観光協会 井平ふるさと会
井平飛騨守直成の墓
(中央の宝篋印塔)元亀3年(1572)徳川軍と武田軍との戦いである
三方原合戦の前哨戦と伝われる仏坂の戦いにより、井平直成は銃弾が当り、
88名の武将と共に戦死し、井平軍は敗北した。
この戦いで井平城や居館、多くの民家も焼かれ、井平氏も一時途絶えた。
竹馬寺(仏坂観音堂)から下ってきた先に
古戦場らしき場所があります。
仏坂古戦場
元亀3年(1572)に武田信玄が遠江に侵攻し、三方ヶ原合戦の
前哨戦ともいうべき戦いがこの地で展開しました。
遠江に侵攻する際、武田方は軍勢を信玄率いる本体と別働隊に分けて侵攻し、
その内、山県昌景率いる別働隊と徳川方の井伊家が戦いました。
徳川方は敗北し、井伊家配下の井平城も落城し、
しばらくはこの地域が武田の支配下となりました。
この地に残る「ふろんぼ様」という石塔群は、
この戦いで討死した88名を供養するためのものと伝わります。
国道257号が開通する以前は、この旧道が引佐と三河を結ぶ街道でした。
平成28年11月 北区まちづくり推進課