鳳来寺山(695m)




鳳来寺山(695m)

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鳳来寺山 | キラッと奥三河観光ナビ
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愛知県新城市鳳来寺にある鳳来寺山(標高695m)へ

三の門、門谷前の無料駐車場へ車を停めます。

ギリギリ停めることが出来る程、なかなかの人です。

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ほうらいじ山とざん絵図

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二の門

少し歩くと二の門が見えてきます。

車がなんとか一台通れるほど細い道、

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木戸跡

江戸時代の鳳来寺参拝の道の一つは、久老勢の野口の洞を登る
「煙巌山道」で仙人様や高徳不動の前を通りこの木戸に至る道でした。
この木戸は、門前町に出入るする人を監視する見張り所でした。
右側には石標があり「自比至薬師宝前十七町(約千八百メートル)
九町は坂の内(石段は約千メートル)と刻んであります。
ここからが門前町で、六十軒もの宿屋と二軒の芝居小屋があり、
とても賑わっていました。
鳳来寺山歴史ボランティアガイドの会

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愛知県指定文化財
(天然記念物)ねずの樹
昭和三〇年七月一日指定

所在地 新城市門谷字下潤三〇番地四
樹齢  推定一四〇〇年
樹高  九メートル
周囲  三・五二メートル

ねずの分布は本州に中部以降、四国九州の乾燥地に多く、
大きなもので高さ10メートル、径0.3メートルになるといわれています。
このねずの樹齢と大きさは全国的にも例がなく貴重な樹です。
樹高はもと13メートルありましたが、平成八年二月、樹木医による
樹勢図回復措置で枯枝を切り詰めたので、現在の高さになりました。
鳳来寺参拝社のみちしるべとして親しまれています。
新城市教育委員会

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一の門

一の門前駐車場は有料です。

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代官屋敷跡

代官屋敷跡

鳳来寺は、慶長七年(一六〇二年)徳川家康より七百四十石の
朱印地が与えられました。
慶安四年(一六五一年)には、鳳来寺山東照宮の創建により
寺領千三百五十石となり、十九の村々の領地から年貢を集めたり、
戸籍の調査や土地の管理をするために、幕府が代官をここに置きました。
嘉永三年(一八五〇年)には、鳳来寺山中が崩れる大水害があり、
この下の石垣も流され、修復するために百両掛かったと伝えられています。
鳳来寺山歴史ボランティアガイドの会

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松尾芭蕉の像

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芭蕉来鳳三百年

こがらしに 岩吹きとがる 杉間から
夜着ひとつ 祈出して 旅寝かな

芭蕉は元禄四年(一六九一)閏十月二十三日
新城在住の太田白雪に案内され、鳳来寺山に登山した、天野桃隣・各務支考
白雪の子桃先・桃後等がこれに従った。
木枯らしの句は芭蕉がセバイシという所を通った時、即座に詠ぜられたという。
仁王門にさしかかった頃、芭蕉の持病が激しく痛み出した。
一行は止むなく下山。麓の家根屋という宿屋に無理に頼んで泊めてもらった。
この日は鳳来寺の秋祭りで、どの家も満員だった。
あたえられたその部屋は風が吹き抜け布団もお粗末だった。
弟子供は夜道を弄走し、やっと山中の一寺から、夜着(掛け布団の一種)を
一枚借りることが出来た。その時に作られたのが夜着塚の句であろう。

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寺町は硯(すずり)の産地として有名

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鳳来寺石段は1,425段

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鳳来寺山
昭和6年7月31日 国指定名勝及天然記念物

鳳来寺山は標高695m。1500万年前の火山の名残で、流紋岩、
松脂岩、デイサイトなどからできています。
5月には、仏法僧の鳴き声で全国に知られるコノハズクが飛来し、
木の上ではモリアオガエルが産卵をはじめます。
その他、ムササビなどのほ乳瓶をはじめ、陸貝や昆虫類など
多種多様な生物が生息しています。
また、スギやヒノキの老樹が茂り、モミ・ツガを主とした温帯樹種と
カシ類や、ヤブツバキなどの温帯樹種が生育し、シダ類やコケ植物も
豊富で全山が岩石、動植物の貴重な宝庫となっています。

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鳳来寺 仁王門(国指定重要文化財)

鳳来寺 仁王門(国指定重要文化財)
昭和28年11月14日指定

構造
三間一戸桜門 入母屋造銅版葺(元檜皮葺)
桁行 初重7.2m 二重6.6m
梁間 初重4.2m 二重3.6m
棟高 11.2m

仁王像(新城市指定文化財)
平成元年2月28日指定

由来
この門は、両脇の仁王像や鳳来山東照宮ととに、徳川3代将軍家光の命により、
慶安3年(1650)に着工され欲念4代将軍家綱の時に完成した。
2階には匂欄がめぐらされ、蛙股前面は竹に猛虎、裏面は牡丹に唐獅子が彫刻されている。
なお、仁王門正面の「鳳来寺」の額は、光明皇后が書かれたものが掛けられていた
といい伝えられている。
仁王像は江戸時代のものであるが、造形的な崩れもなく、
堂々とした作風で力強さが感じられる。
作者は、江戸や鎌倉の関東地方で活躍した法橋雲海である。
新城市教育委員会

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傘すぎ

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新日本名木百選
傘すぎ

この山でもっとも優れた木で、傘の形をしているところから
傘すぎとよばれるようになった。

目通り周囲 七・五メートル
樹高 六〇メートル
枝下の高さ 三七メートル
樹齢 八〇〇年
平成二年六月二日 新城市・鳳来寺

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松高院の開創

松高院の創建年月は不詳とされているが、ほぼ同格と目されている
医王院が万治元年、徳川家康の建立となっているから、
その前後に開創されたものと思われる。
徳川時代に刊行された参州鳳来寺絵図によると、松高院は東照宮の南方の下側、
現在の鳳来寺宿坊の辺にある。
東照宮に最も近接していた関係もあって、代々東照宮の守役を仰せつけられていた。
後年、ここが廃寺となって参道中腹の現在地へ移された。
現在松高院のある所は増道院の跡で、徳川全盛時代には将軍家綱の側室の
仮萬といわれている。
今残っている山門が、かなり結構な造作である点などからも、それが類推される。
南設楽郡誌によると、松高院は天台学頭で百五十石、医王院は真言学頭で百石
となっているが、元鳳来寺は真言。天台兼併の寺院であったから、
松高院と医王院が交互に三年づつ学頭をつとめていたのであった。
明治二年に至り、松高院は真言の金剛峰寺の松寺に定着して、
鳳来寺山松高院の寺号が授けられた。

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弘法大師像

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六本杉

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奥の院

山頂は紅葉シーズンなのか凄い人、

看板では標高が684mになっているが…

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巫女石

巫女石と高座石

鳳来寺由来書には、「本堂より乾に当れり是利修仙人山神の請によって五戒
を説る時八人の巫女天降て聴聞す。
其影石に利れり仙人説法の所を高座石といひ巫女の影何せる石を座石といふ」
と記されている。                愛知県 鳳来町

https://twitter.com/LelilasYosi/status/804894739598147584?lang=ja

馬の背岩からちょうど鳳来寺仁王門裏に出る。

https://twitter.com/LelilasYosi/status/804913472857223169?lang=ja

ランチは一の門近くにある「かさすぎ」で

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