佐夜中山 久延寺(きゅうえんじ) 真言宗・遠州の七不思議「夜泣き石」・静岡県掛川市佐夜鹿




佐夜中山 久延寺(きゅうえんじ) 真言宗・遠州の七不思議「夜泣き石」・静岡県掛川市佐夜鹿

夜泣き石 (小夜の中山) – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/夜泣き石_(小夜の中山)

掛川市小夜鹿、(小夜の中山峠)にある久延寺。

遠州の七不思議「夜泣き石」はここ久延寺と国道1号バイパス沿い、2カ所に伝わります。

小夜の中山峠 名物子育て飴の「扇屋」さん

かつては箱根峠・鈴鹿峠と並んで

東海道の三大難所として名高い小夜の中山峠は

金谷宿と日坂宿間に位置する峠です。


山門

奈良時代、行基の開基と伝わる名刹で、

山内一豊が関ヶ原合戦のきっかけとなる会津上杉征伐軍を

大坂より進めてきた家康をもてなした茶亭の跡、

その礼に家康が植えたとされる五葉松が残っています。

掛川市指定文化財 久延寺 境内

種別 史跡

所在地 掛川市佐夜鹿

所有者 久延寺

久延寺は、真言宗の寺院で佐夜中山 。 本尊は、聖観音 で、「昔、住職が山賊 に殺された妊婦 の子を育て子は成長して親の敵を討つことができた。これはひとえに本尊の御加 護によるものである。」という夜泣石 の伝説に因み、子育て観音音と称される。 慶長 五年(一六〇〇)掛川城 主山内一豊 は、境内に茶亭を設けて、大阪から会津の上杉景勝 攻めに向かう徳川家康をもてなした。

絵:『東街便覧図略』(国立国会図書館所蔵)

右の絵は、天明 六年(一七八六)に尾張藩士高力種信 が東海道の風物を描いたものの一枚である。久延寺とその西に並 ぶ飴屋などが描かれていて、当時の風景を知ることができる。

昭和四十年一月指定 掛川市教育委員会


本堂

久延寺(きゅうえんじ)

所在地
静岡県掛川市佐夜鹿291
拝観料
無料
駐車場
あり(お寺正面にスペース有)
駐車料金
無料


鐘楼・手水舎

伝説 小夜の中山夜泣き石

その昔、小夜の中山に住むお石という女が、菊川の里に働きに行っての帰り中山の丸石の松の根元でお腹が痛くなり、苦しんでいる所へ、轟業右衛門と云う者が通りかかり介抱していたが、お石が金を持っていることを知り殺して金を奪い去った。
その時お石は懐妊していたので傷口より子どもが生まれ、お石の魂魄がそばにあった丸石にのりうつり夜毎に泣いた。里人はおそれ、誰と言うとはなく、その石を「夜泣き石」と言った。
傷口から生まれた子どもは音八と名付けられ、久延寺の和尚に飴で育てられ立派な若者となり大和の国の過多刃研師の弟子となった。
そこへ轟業右衛門が刃研にきたおり刃こぼれがあるので聞いたところ、「去る十数年前小夜の中山の丸石の附近で妊婦を切り捨てた時に石に当たったのだ」と言ったので、母の仇とわかり名乗りをあげ、恨みをはらしたということである。
その後弘法大師がこの話を聞き、お石に同情し石に仏号をきざみ、立ち去ったと言う。

文政元年、滝沢馬琴の「石言遺響」より


久延寺 夜泣き石

久延寺の夜泣き石は、妊婦が安産祈願で訪れようとしたお寺で、

子どもを育てた和尚は久延寺の和尚さんであったことから

置かれるようになったと言われています。

実際の「夜泣き石」は小泉屋さん上にあります。

静岡県掛川市佐夜鹿に小夜の中山(さよのなかやま)という峠があります。ここは古くから箱根峠・鈴鹿峠と並び「東海道の三大難所」として知られていました。 またこの場所には「遠州七不思議」の一つ、赤子の泣き声を発したとの伝説を持つ「夜泣き石」があります。

遠州の七不思議「夜泣き石」

その昔、久延寺に安産祈願にきた妊婦が中山峠を越える途中、
山賊に襲われて殺されてしまいました。
お腹の切り口から生まれた赤ん坊を助けるため、
母の魂はかたわらの石にのり移って泣きました。
泣き声に気づいたお寺のお坊さんに拾われた赤ん坊は、
お乳の代わりに水飴を与えられ、大事に育てられました。
そしてその子供は立派に成長し、母の仇を討ったと云われています。

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