遠州七不思議 まとめ・静岡県遠州地方に伝わる不思議な物語




遠州七不思議 まとめ・静岡県遠州地方に伝わる不思議な物語

池の平の幻の池

遠州七不思議(えんしゅうななふしぎ)とは、

静岡県の遠州地方に伝わる七つの不思議な物語のことです。

遠州(えんしゅう)地方とは旧令制国の遠江国(とうとおみ)

一般的には、静岡県西部 大井川から西側の範囲

湖西市・浜松市・磐田市・袋井市・森町・掛川市・菊川市・御前崎

一部(牧之原市・島田市・川根本町)のことを言います。

遠州七不思議といっても組み合わせには諸説あり、合わせると7つ以上存在します

地域によって話が違っていたり、一定したものではないようです。

主に下記の13の物語が遠州七不思議として取り上げられています。

各項目では物語及び、当ブログで訪れた詳細・アクセス方法等をご覧頂けます

名前(住所)*地図*をクリックでGoogleマップへ

遠州七不思議

夜泣き石(掛川市佐夜鹿・小夜の中山)

桜ヶ池のお櫃納(龍神伝説)(御前崎市佐倉)

波小僧(遠州灘)

無間の鐘(掛川市東山・粟ヶ岳)

京丸牡丹(浜松市天竜区春野町)

三度栗(菊川市三沢)

片葉の葦(菊川市三沢)

池の平の幻の池(浜松市天竜区水窪町・池の平)

子生まれ石(無縫塔)(牧之原市西萩間・大興寺)

晴明塚(掛川市大渕)

能満寺のソテツ(吉田町片岡・能満寺)

天狗の火(御前崎市)

柳井戸(浜松市北区引佐町)

遠州(えんしゅう)地方とは旧令制国の遠江国(とうとおみ)一般的には、大井川から西側の範囲。湖西市・浜松市・磐田市・袋井市・森町・掛川市・菊川市・御前崎一部(牧之原市・島田市・川根本町)のことを言います。 遠州灘から浜名湖、南アルプス・深南部まで、バリエーションに富んだ山々が多く魅力に満ちた山域です。

遠州七不思議について調べる(関連書物)

一口に遠州七不思議といっても、場所によって話が違っていたり一定したものではないようです。 約十種類のものが伝えられており、その内「三度栗」・「片葉の葦」は各所に見られます。 「海鳴り(波小僧)」「片葉の葦」「三度栗」「自然湖の佐倉ヶ池」「天狗の火」「無縫石」「月の輪」「夜泣き松」 などが源流であったようですが、後にいろいろなものが取り込まれてきたようです。

遠江国怪奇不思議談

2008年6月 小林 佳弘/著 ダイモン・次郎/挿絵 ぱんぷきん出版/発行
14ページ~遠州の七不思議について紹介してあります。
浪小僧・無間の鐘・小夜の中山夜泣石・桜ヶ池のお櫃納め・京丸牡丹・片葉の葦・三度栗が紹介されています。
同じ話でも、地域によって異なるものは、それぞれの地域ごとに書かれています。

遠州七不思議

1986年3月 石野茂子/発行
小夜の中山夜泣石・桜ヶ池のお櫃納め・浪の音・無間の鐘・京丸牡丹・三度栗・片葉の葦の7話について、語りつがれていた話を考察と共に書かれています。

遠州七不思議

玲風書房/発行
三度栗・小夜の中山夜泣き石・浪の音・無間の鐘・片葉の葦・桜ヶ池のお櫃納め・京丸ぼたんの7話を版画と共に載せてあります。
また、遠州七不思議についての説明と、所在地の地図も掲載されています。
(請求記号:K388イ)

きっと出かけたくなる遠州七不思議

1998年9月 講談社出版サービスセンター/発行
遠州灘の波の音・桜ヶ池のお櫃納め・小夜の中山夜泣石・無間の鐘・三度栗・片葉の葦・京丸牡丹の7話にまつわる場所を訪れ、著者が感じたことが主に書かれています。地図や写真も掲載されています。

菊川むかし話

1987年 鈴木則夫/著
P162~ 遠州七不思議について
浪の音・片葉の葦・三度栗・佐倉ヶ池のお櫃納め・夜泣石・京丸牡丹・天狗の火・月の輪・無縫石・無間の鐘について紹介されています。

まぼろしの花 静岡県の昔ばなし―遠州七不思議

1977年8月 静岡新聞社/発行
遠州七不思議からは無間の鐘・小夜の中山夜泣石の2話が収録されています。また、「浪の音」に似た話で「こんこんぎつねと波こぞう」という話が収録されています。

ふるさと再発見 遠州の民話

1993年8月 静岡新聞社/発行
夜泣き石・京丸ボタン・波小僧が収録されています。それぞれの話に関する場所の写真やエピソードなども載っています。

清明塚

2007年9月 石野茂子/発行
小夜の中山夜泣き石・無間の鐘・片葉の葦の3話が収録されている民話集です。

遠州路の観光と伝説

遠州出版社/発行
遠州地区の観光名所をたどりながら、その地域の伝説について取り上げています。桜ヶ池の大蛇・京丸牡丹・夜泣き石・三度栗・無間の鐘が収録されています。

静岡県西部のおもしろい伝説

遠州出版社/発行
片葉のあし・京丸ぼたん・三度実る栗の話が収録されています。

6年生19人の横地の歴史25選

2009年3月 菊川市立横地小学校6年/著 菊川市立横地小学校/発行
P7 三沢の三度栗について書かれています。 小学生が自分たちで調べてまとめたものです。

菊川町 郷土かるた解説

1983年8月 菊川町郷土かるた協会/発行
郷土かるたの解説本ですが、三沢の三度栗について書かれています。

菊川市立図書館H.Pより

夜泣き石(小夜の中山)

静岡県掛川市佐夜鹿

夜泣き石(静岡県掛川市佐夜鹿)*地図* ■久延寺(静岡県掛川市佐夜鹿)*地図*
■「アクセス」★★
Wikipedia(夜泣き石)
「関連施設」小泉屋(子育飴)・扇屋(子育飴)・久延寺・小夜の中山公園
昔、牧の原のほとりに貧しい夫婦が仲睦まじく住んでいた。美しい妻は小石姫と呼ばれ、仏教への信仰も厚く、月に何度か小夜の中山の峠にある久延寺の観音菩薩にお参りし、貧しいながらも三文ずつ供えていた。 ある年、夫が所用で京都へ行って幾月も帰らず、小石姫は妊娠10ヶ月のお腹を抱えながら、明日の食事にも困っていた。そこで、家に伝わる赤丸玉の名刀を持ってお金を借りようと、夕暮れの道を町へと急いだ。

小夜の中山の峠に差し掛かる頃には日は沈み、久延寺の側を通ってしばらく進むと、道の傍らに大きな丸い石があった。すると、その石の横から一人の凶漢が現れた。

小石姫は急いで逃げようとしたが捕まってしまったので、持っていた名刀を鞘から抜き、男へと立ち向かった。しかし、あっさりと刀は奪われ、凶漢によって切り殺されてしまう。

凶漢は刀を腰に刺し、更には彼女の着物まで剥ぎ取ろうとした時だった。旅僧が突然現れ、それに驚いた凶漢は急いで逃げてしまった。

この夜からその大石のほとりで子供の泣く声が聞こえるようになった。

その夜、久延時では観音菩薩が消えてしまい、困った和尚は翌日にでも村人に頼んで探してもらおうとしていた。しかし、翌朝には観音菩薩は戻っており、その右手には赤子が抱えられているようであった。こうしたことが毎夜続いた。

また、山のふもとにある菓子屋では、見慣れない旅僧が毎夜三文ずつ飴を買いに来るようになった。

不思議に思った店主がある夜、旅僧の後をつけると、子供の泣き声が聞こえるという石の側まで来た。石からは今夜も泣き声がしていた。すると、旅僧はその大石のあたりで消えたので、店主は恐る恐る石のほうを調べると、そこには女の着物に包まれた赤ん坊がいて、その周りには彼の店の飴の包み紙が落ちていた。

菓子屋の店主は赤ん坊を連れて家へと帰ったが、自分たちが生活するだけでも苦しいので、

翌朝、久延寺を訪ねた。寺の和尚に昨日のことを伝え、赤ん坊を見せると、赤ん坊を包んでいた着物から小石姫の子供であると分かった。

また、観音さまが菓子屋へ飴を買い、石の側にいた子供に飴をなめさせたことによってその赤ん坊は生き延びていたのだと思った。

このことに縁を感じた菓子屋の店主は赤ん坊を引き取り、育てることにした。

赤ん坊は音八と名付けられ、すくすくと育っていった。

音八が成人し、大阪で刀の研磨師をしていると、ある日一人の老人が一本の刀を持ってきて研磨を頼んだ。すると、刀は良いものではあるが、刃先にキズがあったので、理由を聞いてみると、昔、小夜の中山で妊婦を切ったということだった。音八は母の仇と、その刀で老人を切ってしまった。

「住所」 〒 436- 0062 静岡県掛川市佐夜鹿57-8 小泉屋の裏
■旧国道1号線「小夜の中山トンネル」東側。ドライブイン小泉屋の裏手の高台にあります。掛川駅より車で30分。金谷駅より車で10分。

「概要」現在、夜泣き石として伝えられている石は2箇所あります。
国道1号小夜の中山トンネルの手前(東京側)の道路脇と、久延寺境内(レプリカ)です。また、久延寺の和尚が飴で子を育てたという伝説から、子育て飴という、琥珀色の水飴が小夜の中山の名物となっています。
「訪問日」2020年6月3日

桜ヶ池のお櫃納(龍神伝説)

静岡県御前崎市佐倉
桜ヶ池(静岡県御前崎市佐倉)*地図*
■「アクセス」
Wikipedia(桜ヶ池のお櫃納)
「関連施設」桜ヶ池・池宮神社
昔、京都の比叡山に皇円阿闍梨上人(こうえんあじゃりしょうにん)がいた。上人は、お釈迦さまが亡くなってから56億7千万年後に弥勒菩薩(みろくぼさつ)が現れ、この世を救うという記述を経本の中に見つけた。ぜひ弥勒菩薩に会い、教えを受けたいと思った高僧は、人の寿命ではとても生きていられないので、この世の中で一番長生きである大蛇となって生きようと考えた。そこで、高僧は弟子たちに大蛇として住むのに良い池を探すように命じた。弟子の一人である法然は、東へと旅をして遠江国へ入り、いろいろ尋ね歩いていた。ある夜、この国にある桜ヶ池へ行って様子を見て来いと、夢の中でお告げがあった。桜ヶ池へ行ってみると、山の上にある大池で、東と北には断崖の山があった。ここなら気に召すであろうと思い、池のほとりで経を読んでから池の水を汲んで、比叡山へと帰った。法然から報告を受けた上人は、早速と、桜ヶ池から汲んできた水を掌に受け経を読むと、瞬く間に恐ろしい大蛇となり、黒雲に包まれて東へと飛び去ってしまった。それから十数年後、法然が弟子二人を連れて桜ヶ池を訪れた。もう一度、阿闍梨上人に会いたいと思った彼らは池のほとりで朗々と経を読んだ。すると上人が現れ、四人は昔話や仏の道についていろいろと語り合った。別れのとき、法然は阿闍梨上人の今の姿を見せて欲しいと言った。上人がにっこりと頷くと、黒雲が集まり、池を覆った。その雲間から大蛇がうろこを光らせていた。うろこに住む小虫が皮膚を食いちぎるので苦しいと上人が法然に話すと、法然は仏道の力でうろこを全て取り去ってしまったため、この時以来、桜ヶ池の大蛇にはうろこがなくなった。阿闍梨上人の大蛇は56億7千万年を待つために、今も池の水底深くに住んでおり、毎年、秋分の日にその大蛇への食べ物として赤飯を入れたお櫃を池の底深くに沈めている。沈めたお櫃が上がってくると、中の赤飯はすっかりなくなっているという。

「住所」 〒437-1604 静岡県御前崎市佐倉5162 池宮神社
■東名高速道の菊川ICから約40分・菊川駅からバスで40分

「概要」桜ヶ池は、約二万年前に出来た砂丘堰止湖です。県立自然公園の一環にあり、静岡県の自然百選の森にも選ばれた神秘な原生林に囲まれた県指定名勝地です。桜ヶ池のほとりにある池宮神社の祭りに、五穀豊穣を祈るため、秋の彼岸の中日に行われる「おひつ納め」(県指定無形民俗文化財)がある。平安末期、比叡山の名僧皇円阿闍梨が衆生救済の為龍蛇と化し入定され、池の主神となられた。この霊を高弟の浄土宗開祖法然上人が供養のために檜づくりのおひつに赤飯をつめ、一つは池宮神社に、一つは師の皇円阿闍梨にと、池心に沈めたことから始まり、以来今日まで続いている奇祭で遠州七不思議の一つにあげられている。

「訪問日」2020年2月23日

波小僧(遠州灘の浪の音)

遠州灘
浜岡砂丘(静岡県御前崎市池新田)*地図*
■「アクセス」★★
Wikipedia(波小僧)
■「関連施設」浜岡砂丘・白砂公園
昔、昔の話です。若者が田んぼに着くと、日照りで、稲は今にも枯れそうです。「困ったな、もう何日も雨が降っていない。この稲がいつまで生きながらえてくれるものやら」田んぼの世話が終わり、一息ついていると、近くの草むらから、かすかに声が聞こえてきました。「お助けください。どなたか、助けてください」声のする辺りを見ると、とても小さな子が、手を合わせておがんでいました。「私は、波小僧という者で、南の海に住んでいます。この前の嵐で、ここまで流されてしまいました。私は、海の中でしか生きていけません。どうか、海に連れて行ってください」驚きながら話を聞いた若者は、かわいそうに思い、波小僧を海までだっこして行き、波打ちぎわにそっと置いてやりました。波小僧は何度もお礼を言いながら波間に消えていきました。日照りは、その後も何日も続きました。若者の田んぼの稲は、どれもぐったりしています。とほうにくれた若者はあぜ道にすわりながら、ぼんやりと海をながめていました。キラキラ光る波の間に小さな人影が、しきりに手をふっています。いつかの波小僧が現れたのです。「この前は、助けていただいてありがとうございました。つらそうな顔をして、どうしたのですか」波小僧が問いかけると、若者は日照りが続き、困っていることを話しました。それはそれは大変ですね。私の父は雨ごいの名人です。助けてくださったお礼に、雨を降らせてもらいましょう。これから先も、雨が降る時は東南の方角で、雨が上がる時は西南の方角で波の音を鳴らしてお知らせします」波小僧はそう言うと、波の中へ消えていきました。

まもなく、東南の海から波の音が聞こえてきました。すると、たちまち雨が降り出し、いつの間にか、辺りの田んぼは水でいっぱいになりました。

遠州灘の海鳴りを波小僧が奏でるというお話は、「遠州七不思議」として伝えられています。浜松市西区舞阪町の旧東海道松並木には浪小僧の像もあります。

「住所」 〒437-1612 静岡県御前崎市池新田9124 浜岡砂丘

■東名高速道路相良牧之原ICから30分・菊川駅からバスで35分
「訪問日」2020年2月23日

無間の鐘

掛川市東山・粟ヶ岳
粟ヶ岳(静岡県掛川市東山)*地図*
■「アクセス」★★★
Wikipedia(無間の鐘)
「関連施設」粟ヶ岳阿波々神社
1300年ほど昔の話粟ヶ岳のふもとに弘道仙人という山伏が住んでいた。山伏は不動明王に鐘をつくって供えることにしました。できあがった小さな釣鐘を粟ヶ岳の頂上付近にある観音寺の松の木に吊るし、願ったそうです。「この鐘の音で、人々が平和に暮らせますように」鐘の音は山頂から広く広く響き渡り人々の心を癒しました。粟ヶ岳は別名、無間山とも呼ばれていたので、その金は無間の鐘と呼ばれるようになったそうです。いつしかこんな噂が立ち始めました。鐘を1度つけば災難をまぬがれる。鐘を2度つけば病気が治る。鐘を3度つけば家が栄える。鐘を4度つけば出世する。鐘を5度つけば子孫まで栄える。鐘を6度つけば武運長久となる。鐘を7度つけば末永く長者になれる。この噂はあっという間にひろがり、各地から鐘をつくために多くの人が押し寄せたそうです。しかしそこは細く険しい山道です。足を滑らせ谷底に落ちる人。虫や山蛭、蛇に遭い怪我を負う人。中には、富や名声を願うあまり勢いよく鐘をついたせいで、岩場から足を滑らし死んでしまった人もいました。

観音寺の和尚様は悲しみました。せっかく人々の幸せを願って作られた鐘が、人々を惑わしてしまっている。罪深い人間が不幸を招いていることはわかっているが、これは弘道仙人の意に反している・・・。もうこの鐘は無くしてしまった方がいい。そうして釣鐘を取り外し、深い井戸の底に埋めてしまいました。その井戸は鐘を埋めてからというものの、水が全く出なくなり、無間の井戸とよばれるようになりました。

「住所」 〒436-0001 静岡県掛川市東山1050−1 阿波々神社(粟ヶ岳)

お車をご利用の場合 粟ヶ岳ふもとまでの時間、東名掛川I.C.より約35分・東名菊川I.C.より約35分・新東名島田金谷I.C.より約30分、駐車場(無料)ふもと普通車約30台、山頂普通車約50台(駐車場の台数に限りがありますのでご承知おきください。)注 山頂までの道路は道幅が狭く、すれ違いが困難なため、粟ヶ岳ふもとから山頂まで約1時間のハイキングコースでの登頂がおすすめです。

京丸牡丹

浜松市天竜区春野町小俣京丸
京丸藤原本家(静岡県天竜区春野町小俣京丸)*地図*
■「アクセス」★★★★
Wikipedia(京丸牡丹)
「関連施設」京丸の里(京丸藤原本家)京丸山・牡丹谷
周智郡の一番北の山の中に、春野町気田という町があります。この町から三十キロも道もない山の中を奥へ行きますと、そこに『京丸』 という小さな村がありました。そこには600年のむかし、源氏と平氏と戦って、負けた平家の人たちが、のがれて 来て住んでいるのだと言われています。そしてこの村のけわしい気田川のふちに、美しい、大きなぼたんの花が咲くと言います...むかしの、むかしのことでした。ある日、この山の中の京丸の村に、若い男が一人迷い込んで来ました。食べるものはなく、安心して休む所もなく、男は険しい山道を歩いて来たことで、すっかり疲れ果ててものも言えないほどでした。男は、この村の村長の家の戸口に立ちました。『ごめん、下さいませ』『どなたじゃな。見なれない旅のお人じゃな、どうなされた』『はい、迷ってしまいました。おやどをお願いできませんでしょうか』『うん、よしよし』村長は親切に、食べるものをあげたり、世話をしてやりました。そのおかげで旅人は、しだいに元気になっていきました。ところで、この村長には、若い娘が一人ありました。娘もまた、やさしく親切に、男の世話をしてやりました。こうして幾日かがたつと、男はすっかり元気になりました。ですが、若い男はこの村を出ようとはしません。それよりも、村の人達と一緒になって仕事を手伝うのでした。男はいつしか、村長の美しい娘と中むつまじく話をするようになりました。

村長はそのことを感付きますと、あたまをいためるのでした。それはこの小さい村では、昔からよそから来た人を村人とはしない、という決まりになっているからでした。村長は困ったすえに、

『旅の人、この村にはな、きまりがあるでのう、どこかへ行って下さらぬか、村長として、私からきまりを破ることは出来ませんでのう。よろしかったら、娘は、つれて行ってもよいでのう』

『はい、ありがとうございます』

つぎの朝、若い男は娘をつれて、京丸の村を出て行きました。村長は若い二人が、どこかで幸福に暮らすことを、心の中で、静かにいのっているのでした。

ところがです。

それから五ヶ月ほどした、ある日の夕暮れ時でした。

『お父さま、お父さま』と、裏口で、小さい声で呼ぶ声がしました。

.『だれじゃな』

村長が行って見ますと、それはあの若い二人が、みすぼらしいすがたで、しょんぼりと立っているのでした。

『あ、お前達か』

『はい』

『困ったな』

『・・・・・・』

『だが、村のきまりは、きびしいのじゃよ』村長は、厳しく言いました。

『はい、お父さまの、お顔さえ見れば・・・・・.』娘も男も泣いていました。今は、そう言うより外には、言うことはありませんでした。

二人は村を出た後、方々をさまよって歩きましたが、身寄りをもたない二人にはどこにも働かしてくれる所も、身をよせる所もなく、乞食のようにして暮らしてきた末に、京丸の村がなによりも懐かしくなり、つい帰って来てしまったのでした。

ところが帰ってみると村の掟があるからと、きびしい父の言葉、娘たちは淋しくなって、その夜、父の家に泊まりはしたものの、あまりの淋しさに、眠ることはできませんでした。さびしい、さびしい夜、ついに二人は、夜が明ける前に、そっと、村長の家を出ました。山の中でも、お月さまは美しくかがやいていましたが、二人には、その美しいお月さまの顔は見えませんでした。

つぎの朝、村の前気田川のふちに、二人の死がいが白く浮いていました。

『あッ、村長さんの娘が・・・』

炭やきに出た村の一人が、見つけたのでした。

それから後、行き場のない二人のたましいは、毎年死んだ日になると、大きなぼたんの花となって、気田川のふちを、白くかざるのでした。そしてその白ぼたんの花は、一ひらづつ散って、気田川を流れて来るので、川下の人たちも、その話に涙を流すのでした。

京丸は遠州の北端、周智郡春野町気田の町から更に北東の山、又山の中の不便な所に、昔は戸数僅かに五戸ほどの村がありましたが、最近は次第に移住して、残るは村長の家が一戸となりましたが、今はその家も移住して誰も住んでいないといいます。昔は不便な所でしたが、今は林道が開発されて、自動車で近くまで行くことができます。

「住所」 〒437-0608 静岡県浜松市天竜区春野町小俣京丸 京丸藤原本家

■(京丸藤原本家)春野石切線、石切の林道ゲートまで車で進入可能、以降徒歩約1時間

三度栗

菊川市三沢・周智郡森町園田
菊川市三沢*地図* ■周智郡森町園田*地図*
■「アクセス」
Wikipedia(三度栗)
「関連施設」ー
■実が1年に3度実ることから、「三度栗」と呼ばれる栗の木が遠江の各所にあります。三度栗は昔から“遠州の七不思議”の1つに数えられています。昔のこと、秋のある日に菊川の三沢の村へ、弘法大師が巡ってきました。そのとき村の子どもたちが4、5人、山で拾ってきた栗の実を、うまそうに食べていました。
大師はそれを見ると、「私にも1つくれんかの」と言い、子どもたちも素直に「はいどうぞ」と、ごろごろっと大師の掌の上にのせました。「これはこれは、よい子じゃな」と大師はいっしょになってうまそうに食べ、「このお礼に、これからこの村に、栗が1年に3度なるようにしてあげよう」と言って、子どもたちの頭を撫でました。
それから、この三沢には、1年に3度栗が実るようになりました。(「菊川むかしばなし」より)昔、徳川家康が戦争に負け、一人で園田村へと逃げてきた。長い道のりを走ってきた家康は空腹でたまらなかった。
すると、近くにあった農家へと飛び込み、家の中にいた老婆に食べるものを求めた。老婆は大きな箱に一杯、栗の実を持ってきてくれた。
家康は喜んで、いくつも皮をむいては食べた。お腹が膨れ元気になった家康は、残った栗の実を1つ、その家の門前に埋めた。そして、自分が食べた分、早く実がなるようにと言いながら、右足で軽く踏みつけた。その後、家康の蒔いた栗から芽が出て、毎年6月、9月、11月と3回も花が咲いて実がなる不思議な栗の木となった。

静岡県菊川市三沢に伝わる三度栗伝説は、遠州七不思議のひとつ。弘法大師空海が諸国巡礼の折、三沢村を通りがかったところ、村の子供たちがおいしそうに栗の実を食べていた。これを見た空海が自分にもひとつわけてくれないかと頼んだところ、子供たちは快く栗の実を差し出した。これに喜んだ空海は、「これからは、この村に年に三度栗を成らすことにしよう」と言い、この地をあとにした。以来三沢の栗は、年に3度実をつけると言われている。(Wikipedia)
静岡県周智郡森町園田に伝わる三度栗伝説は、徳川家康にまつわるものである。武田軍との戦いに敗れ敗走する家康は、園田の地までたどりつき、一軒の農家の庭先に座り込んでいた。何か食べるものはないかと、この家の老婆に尋ねると、老婆は拾ってきたばかりの生栗を差し出した。 家康はこの栗を幾つか食べ、残った実一つを庭先の畑に埋めて、自分の食べた分だけ実るよう祈り去っていった。やがてそこに芽を出した栗の木は、年に3度実をつけるようになったと言われている。(Wikipedia)
「住所」 静岡県菊川市三沢・静岡県周智郡森町園田
「訪問日」ー

片葉の葦

袋井市広岡菊川市三沢
妙日寺(静岡県袋井市広岡)*地図* ■静岡県菊川市中内田*地図*
■「アクセス」★★
Wikipedia(片葉の葦)
「関連施設」妙日寺応声教院
豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎といった少年のころ、現在の頭陀寺町の松下嘉平次という武士のところへ下男として働いていた。藤吉郎の仕事は毎日草を刈って畑を耕すことであったが、将来、偉い武士になりたいと望む彼にとってこの仕事は嫌で仕方がなかった。 いつも、草を刈りに家の東にある雑草と葦に囲まれた小池のほとりへと出かけると、まずはゆっくりと鎌を研ぎ出した。そして、鎌を研ぎながら、あたりに落ちている松葉を拾い、それを手裏剣の代わりにして池で泳ぐメダカの目を狙って投げていた。初めのうちは全くあたらなかったが、何日も繰り返しいるうちに三度に一度、そして二度に一度はメダカの目に刺さるようになった。また、研いだ鎌を持つと、前に生えている葦の片側の葉のみを切り落とした。葉の付け根からのみ切り落とすことにより、戦いに出るときのために腕を磨いていた。その後、秀吉が鎌を研いだ池は「鎌研ぎ池」と呼ばれるようになった。そして、この池に住むメダカは、松葉の手裏剣によって片目をつぶされたので、みんな片目になってしまい、片方の葉のみ切り落とされた葦は、片葉の葦となってしまった。
■片葉の葦(湖西市白須賀)浜名郡白須賀(現・湖西市白須賀)の、新居から元宿へ入る右側の山の中腹に八幡社がある。その木の下に堤があるが、葦はそこにも生えている。それは、大名が参勤交代での道中をした時、ある大名がここへ駕籠をとめて降り立とうとして、よろめいて倒れそうになり、葦をつかんで体を支えた。 葦はそのために葉をむしり取られた。それから片葉となったのである。
■片葉の葦(菊川市中内田)八百年の昔、源氏と平氏が戦ったころ、源氏の武士の中に、熊谷次郎直実という勇ましい男がありました。 直実は後に、「戦などして、人を殺すのは嫌だ」と、蓮生坊という坊さんになりましたが、生まれが東なので、東海道をよく通りました。それでまだ武士だったころ、菊川町の応声教院にお詣りに来ました。ある時、乗っていた馬をお寺の前につないで置くと、そこに生えていた葦の片方だけを残らず食べてしまいました。それでこの葦は、片葉になったと伝えられています。
「住所」 〒437-0021 静岡県袋井市広岡2340-1 妙日寺・〒439-0036 静岡県菊川市中内田915 応声教院

「概要」「片葉の葦」は静岡県西部のみならず、県内、他県にも広く伝えられています。
■JR袋井駅から徒歩で30分(妙日寺)、菊川駅から車で10分・東名菊川ICから車で10分(応声教院)
「訪問日」2020年6月3日2021年9月5日

池の平の幻の池

天竜区水窪町奥領家
池の平(静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家)*地図*
■「アクセス」★★★★
Wikipedia(池の平)
■「関連施設」池の平亀の甲山
池の平(遠州七不思議~幻の池~)標高880m亀の甲山の中腹に「池の平」と呼ばれる窪地がある。
この窪地は、普段は一滴の水もない杉木立の平坦な場所であるが、
7年に一度こつ然と水が湧き出て満々と水を湛えた周囲が約200m、
水深が2~3mもの池ができるという不思議な現象の起こる場所です。
この幻の池は「池の平」と呼ばれています。「池の平」に突然、池が出来るのは御前崎市佐倉にある
「桜ケ池」に棲んでいると言われる「竜神」が、
信州の諏訪湖に行く途中に休息ためだからとか、
諏訪明神が休息する場所だからと伝えられている。
そして「池の平」に池が出来る年は、
なぜか日照り続きの夏に限られるといわれているのである。昔から、この池の水は胃腸の病気の妙薬だといわれ、水が湧いて池が出来ると、
この水を汲みに村中の人たちがお祭り騒ぎのように、賑やかに集まってきたという。
そして1週間くらい経つと自然に水は引いて、池は跡形もなくなってしまい、
せっかく村人たちが汲んできた水も同時に消えていってしまうと伝えられている。
水窪の古老たちの話では、池が出現する際、
大きな花火を打ち上げるような「ドーン」という音が聞こえたという。どうして満々と水を湛えた大きな池が、突然出現するのだろうか。
標高からみて地下水が湧きあがるとは考えにくい。
水窪の地層は古く硬く水が浸み込みにくい所が多い。
降った雨はすぐに斜面を流れ落ちていってしまう。
草の保水力が高まり、夏の雨水がジワジワと集まるだとか、
地下に水みちがあって水が溜って池が出来るなどと言われているが、
実際のところ出現の謎はわかっていない。
水窪情報サイト 水窪観光協会より

■「住所」 〒431-4101 静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家
「概要」亀ノ甲山(844m) ボンガ塚(940m) 遠州七不思議(池の平)・登山記

子生まれ石

牧之原市西萩間 大興寺
子生まれ石(静岡県牧之原市西萩間)*地図*
■「アクセス」★★★
Wikipedia(子生まれ石)
「関連施設」子生まれ石大興寺
西荻間の龍門山大興寺より北に沢川が流れています。この右岸に岸壁があり、高さは約3メートルほどで壁面には点々とこぶのような突起があります。その突起は繭(まゆ)や瓢箪(ひょうたん)のような形をしていて、壁面に一端をあらわしてから、だんだん全形を露出していきついには川底に落ちていくそうです。昔、大興寺に学徳ですぐれた名僧がいました。ところがその和尚さんが重い病気にかかり、明日をも知れぬ身となってしまったので、皆、悲しみに包まれていました。ある日、小僧が和尚さんの枕元にいき「和尚さま、大変です、石が落ちそうです」と言ったので「ああ、そうか、ではお前にやろう」と言いました。すると、この後和尚さんの病はぐんぐん快方していったのです。それに引きかえ、石をもらい受けた小僧は、目がくぼみ頬はこけて顔は青ざめていき、ついには石をもらい受けてから三ヶ月目に亡くなってしまいました。昔から和尚が死ぬたびに石が落ちたものですが、今墓地に並べてある多くの瓢箪石の中に、たった1つ形の悪いのがあります、これがその時の石だったと云われています。この石は大興寺の住職が死ぬるのと時を同じくして落ちるので「住職の墓石」(無縫塔)としているそうです。■「住所」 〒421-0508 静岡県牧之原市西萩間426 大興寺

■金谷駅からバスで30分
「訪問日」2020年2月23日

晴明塚

掛川市大渕
晴明塚(静岡県掛川市大渕)*地図*
■「アクセス」★★
Wikipedia(晴明塚)
「関連施設」晴明塚
今からおよそ千年前、京の都に安陪清明という天文暦学にくわしい陰陽師があった。ある時荒波で聞こえた遠州灘に面したこの地に立ち寄り、村人の乞いに応じてそれまでしばしばおそった津波防止のために、ここにあずき色の小石を
積み上げて熱心に祈祷をした。
その霊験により以後この村には津波の災難がなくなったと言われる。この為村人は自然の暴威を鎮めた清明の徳を讃えてここに清明塚と称するようになった。
又清明塚に祈願すると疱瘡にかからぬと信ぜられ往年その流行期には遠近から多数参詣者があった。
疫病予防の為には赤い石一個を借り出しお礼の時には二個にして返す。返した石はどんな色の石でもあづき色に変わると伝えられ遠州七不思議の一つに数えられている。

「住所」 〒437-1302 静岡県掛川市大渕3901-2 浜地内 晴明塚
「概要」遠州七不思議のひとつで、平安時代の陰陽師「安倍晴明」にまつわる塚です。今からおよそ1000年前、あずき色の小石を積み上げることで、晴明はこの地の住人を津波の悲惨な被害から救いました。村人たちは晴明の偉業をたたえてこの塚を祀り、これを晴明塚と呼ぶようになったと、伝えられています。

■東名袋井ICより車で20分

「訪問日」2020年2月23日

能満寺のソテツ

榛原郡吉田町片岡・能満寺
能満寺(静岡県榛原郡吉田町片岡)*地図*
■「アクセス」
Wikipedia(能満寺のソテツ)
■「関連施設」能満寺
能満寺にある樹齢1000年のソテツは、高さ約6メートル枝数約90本あり「日本三大ソテツ」のひとつに数えられ国指定の天然記念物となっています。
【遠州七不思議と伝説】
その昔、陰陽師の安倍晴明が大井川をながれてきた大蛇を葬り、そこに中国から持ち帰ったソテツを植えたところこのような姿になったと言われています。
また、徳川家康がこのソテツを大変気に入り海から船を使い苦労して駿府城へ移植したところ、その日から夜になるたび「いのう…(帰ろう)いのう…(帰ろう)」となく声が聞こえるようになったため、家康は故郷が恋しくて泣いている大ソテツを能満寺へ帰してあげたという言い伝えがあります。

■「住所」 〒421-0303 静岡県榛原郡吉田町片岡2517 能満寺
島田駅からバスで25分 ・片岡北 吉田特別支援学校前から徒歩で7分
「訪問日」2017年8月15日

天狗の火

御前崎市
白井鐵造記念館(静岡県浜松市天竜区春野町宮川)*地図* 
■「アクセス」不明
Wikipedia(天狗火)
「関連施設」御前崎市・秋葉山・白井鐵造記念館
御前崎の灯台から東、駿河湾に沿った海岸は、波の静かな、冬も暖かないい所です。昔のことでした。ある日、ここの堂山村という所の、文吉という元気な若者が、その隣の落居という所で漁師をしている、千吉の家に遊びに来ました。「久しぶりだなぁ」二人はいろいろ話をしているうちに、とうとう夜になってしまいました。「遅くなってしまった。そろそろ帰らねば」文吉が言うと、漁師の千吉は「おい、帰るのかい、今夜は泊まっていけばいいのに。それじゃこれを持っていけや、今日捕ったばかりのだよ」と、大きな魚をだしてくれました。「ほう、これは見事だ。じゃ遠慮なくもらっていくよ」文吉は大喜びで、その魚を携えて、海岸沿いの道を歩いて行きました。と、見ると、はるか山の上のあたりから青い火のかたまりが一つこちらに向かって飛んできます。「やっ、こりゃ天狗だな」驚いた文吉は、急いで浜辺にある小舟の中に逃げ込みました。そして舟底にべったりと顔をおしつけて「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、お念仏を唱えていました。するとその時、小舟がガタガタと激しく揺れてきました。

「ははぁ、いよいよ天狗のやつが来たな。魚をよこせと言うのだな」

「ほい」

文吉は持っていた魚を舟の外へ投げ出してやりました。

するてあたりは急に静かになりました。

「行ったかな。しかし近くに居ると・・・」

なお暫くしてから舟の中から起き上がりました。

見ると、もう天狗は居ませんでしたが、投げ出した魚は、そのまま砂の上にありました。

しかしよく見ると、その魚の二つの目玉は、綺麗にえぐり取られているではありませんか。

「やはりな」

文吉はその魚を捨てて帰りました。

このあたりではよく、天狗が海の上に出ました。そして青い火をメラメラと燃やすのですが、翌朝、浜に行っていますと、魚が砂の上に転がっていて、みんな目玉がえぐり取られていました。

しかし人々は、目玉を抜かれた魚は食べません。

参考・『遠州七ふしぎの話』(御手洗 清 遠州伝説研究協会 昭和五十九年)

「住所」ー

「概要」遠州七不思議・「天狗の火」は静岡県西部各地に伝説があります(静岡県中部にもあり)。今日の話は御前崎市の伝説になります。遠州七不思議の1つ遠州全域で様々な話が伝えられています。
天狗の火は遠州のいたるところで話があり、昔から様々な知識人がこれを書き記しています。浜松市安松町の「安松火」・浜松市笠井町の「お松火」・袋井市貫名の「気井の宮の火」・磐田郡豊田町の 「雨夜の火」・周智郡森町天の宮の「地蔵山の火」・小笠郡大須賀町の「龍燈の火 火姥の火」
「訪問日」ー

柳井戸

浜松市北区引佐町
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷*地図*
■「アクセス」不明 
「関連施設」龍潭寺井伊谷宮井伊谷城跡共保公出生の井
むかし、井伊谷(現北区引佐町井伊谷)に兵藤宗十所有の井戸がありました。直径3尺(約90cm)の円形で、地下6尺(約1.8m)ばかりのところに水がある。昔、この付近には柳の木など無かったが、この井戸をのぞくと水底に柳の影が映っていることがあり、「井戸の水面に柳が映ると、祟られる」という言い伝えがあります。遠州七不思議の一つに数えられている。
「住所」 〒431-2212 静岡県浜松市北区引佐町井伊谷(県道303号線神宮寺交差点の近隣)

■JR浜松駅より北へ20km(車で50分)・天竜浜名湖鉄道(「金指駅」下車・徒歩40分)・遠鉄バス浜松駅前バスターミナル(15)番より「奥山」行(「神宮寺」下車)・新東名「浜松いなさI.C.」より(車で10分)・東名「三ヶ日I.C.」より(車で20分)
「概要」現在、柳井戸があった場所は区画整理され、井戸はなくなっており、標識など場所を確認できる表示も無いそうです。場所は県道303号線神宮寺交差点の近隣とのことです。
■浜松市立中央図書館の郷土資料室所蔵の「遠江国怪奇不思議談」「遠江の伝説」に上記伝説の記述がありましたので、興味がありましたら一度ご覧ください。

「訪問日」ー

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