勝手神社(かつてじんじゃ)
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奈良県 吉野山観光協会H.P
http://www.yoshinoyama-sakura.jp
上千本エリアと如意輪寺・後醍醐天皇陵へ向かう道が
二手に別れる手前に勝手神社(かつてじんじゃ)がある。
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残念ながら本殿・拝殿の姿がない、
十数年前に不審火により消失した。
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勝手神社再建復興御寄附のお願い
勝手神社は、平成13年9月27日に残念なことに、不審火により焼失しました。
当神社は、元「吉野山口神社」とも「勝手明神」とも称された由緒ある式内社で、
「五節の舞」の発祥地と伝えられる歴史的にも大変貴重な文化財でございます
。創建は不明なるも一節によれば、考安天皇6年(紀元前386年)と伝えられ御祭神は、
天忍穂耳命・大山祇命・九々能智命・木花咲耶姫命・苔虫命・葉野姫命の6神で、
「勝運」と「芸能」や「山の神」「花の神」の御神徳が厚く、
古来より全国の人々から崇敬されてきました。
大海人皇子(天武天皇)が境内で琴を奏でたところ袖振山から天女が舞い下り舞ったり、
静御前が捕えられ境内で舞をさせられた舞塚があることでも有名です。
また、建物は「三間社流造り」で檜皮葺の日本でも数少ない社で
厳かで優美なために県の有形文化財に指定されています。 以下略
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在りし日の勝手神社の姿
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勝手神社
吉野八社明神のひとつで、金峯山の山の入口にあるので山口神社ともいう。
文治元年(1185)の暮れ、源義経と雪の吉野山で涙ながらに別れた静御前は、
従者の雑色男に金銀を奪われ、山中をさ迷っているところを追手に捕えられて、
この社殿の前で雅た姿で法楽の舞をまい、
居並ぶ荒法師たちを感嘆させたという話が伝えられている。
この神社の祭神は、大山祇神・木花咲耶姫命ほか三神で、
社殿は豊富秀頼が慶長9年(1604)の改修したのが、
正保元年(1644)12月に焼亡したので、翌2年に再建され、
さらに明和4年(1767)にまたも焼失した。
現在の建物はこののちの再建になるものである。
社殿の後ろの山を袖振山といい、天智天皇の10年(672)大友皇子に対抗して、
吉野に兵を挙げた大海人皇子(天武天皇)が、この神前で琴をかなでていると、
天女が後ろの山の上から袖をひるがえして舞いながら現れ、吉兆を示した。
この故事が五節の舞の起こりだといわれ、芸ごとに深いかかわりを持つ神様とされ、
かっては猿楽や能が盛んに奉納された。
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勝手神社の御朱印は吉水神社で頂けます。

