岩略寺城跡(長沢山城跡) 御城山(183m)・愛知県豊川市長沢町御城山
愛知県豊川市長沢町御城山にある岩略寺城跡 (長沢山城跡)へ
宮路山から北西に伸びる尾根上のピーク、
御城山(183m)の中腹から山頂に掛けて築かれた山城跡です。
岩略寺城の詳細は定かではありませんが、
一説には今川氏の一族である関口満興の弟の直幸が長沢氏を名乗り築いたとされます。
あまり手が入っておらず、数百年前の遺構がよく残り見応えある城跡です。
豊川市立長沢小学校 横の長沢地区市民館より
東海道を歩き登山口(登城口)向かいます。
岩略寺城は東海道を押さえる要衝に位置します。
一等水準点(68.63m)(162)
兒子神社の社号標だけありました。
近くには一等水準点
岩略寺城跡
岩略寺城の詳細は定かではありませんが、一説には今川氏の一族である関口満興の弟の直幸が長沢氏を名乗り築いたとされます。「桶狭間の戦い」後は今川氏から独立した松平家康によって攻略され、深溝松平伊忠が守将として入城しています。その後、徳川氏の関東移封に伴い、廃城になったと思われます。現在城址には土塁や三日月堀、井戸跡などの遺構を確認することができます。
岩略寺城跡
城山林道の入口、獣避けゲートを開けた前に看板。
「標高百六十八メートルの「御城山」全山の要塞化。
中世山城の本県最大の遺構。」とあります。
井戸跡
岩略寺城(長沢山城)跡
標高174mの御城山の中腹から山頂に掛けて築かれた山城。文安年間(1444年〜1449年)に関口満興によって築城され、弟の長沢直幸が城を守ったと伝わっています。
三河では最大級の山城であると同時に、愛知県に残る数少ない良好な保存状態を保った山城のひとつ。いまも曲輪、井戸、堀、堀切、石塁、土塁などの遺構が完全に近い状態で残っています。
井戸跡
岩略寺城は井戸の多い山城で、
確認される井戸は5か所にも及びます。
本曲輪
「本曲輪(主郭)」は方形で周囲には土塁が巡る。
北側の土塁の外側には平地があり、そこが「二ノ曲輪」とされています。
二ノ曲輪
本曲輪の北西下には「三日月堀」と記された空堀、
切岸の裾野を巡る空堀になっている。
北へ伸びる尾根に食い違い虎口があり、北側の曲輪は通路に面して土塁を備える。
主郭から北東、東へ伸びる尾根に高い切岸の曲輪が連なる。
城内には井戸跡とされる深い穴が五か所ほど残っています。
本曲輪の土塁
腰曲輪
林道終着点、案内板から入っていくとすぐ右手に南曲輪があり、
その上が腰曲輪となります。
その一段上が本曲輪となり、周囲に土塁が巡っています。
南曲輪
岩略寺城要図
ゲートを開ければ林道終点の案内板まで車で来ることも出来ます。
ここから中電巡視路を使い三角点ピークへ
御城山(おしろやま)・四等三角点(183.54m)(城山)