小牧山稲荷神社 吉五郎稲荷社・愛知県小牧市堀の内




小牧山稲荷神社 吉五郎稲荷社・愛知県小牧市堀の内

小牧市観光協会

 

 

小牧山(85.9m)の麓に鎮座する小牧山稲荷神社です。

吉五郎伝説でも有名な狐をお祀りしたそうです。

 

 

参道

 

 

 

小牧山吉五郎 稲荷社縁記

 

 

天正の昔には小牧山一帯には多くの狐がいたそうです。

狐の大親分が小牧山吉五郎狐、その他、

お梅、助五郎、勘八、文治、銀九郎等の名の付いた狐がいたそうです。

なかでも小牧山の吉五郎は勝妖力霊力があり、

大親分と里人は神通力を認めていた。

よって小牧山に吉五郎稲荷社を創建したようです。

 

神社沿革史には個人・舟橋家が京都伏見稲荷大社から

神位を授与され守護神とし祀られた。

 

 

 

拝殿

 

 

 

本殿

 

 

 

境内

 

 

小牧山稲荷神社

 

吉五郎伝説  信長・家康、後に控えしは吉五郎大親分

徳川の世の小牧山は人の入れぬ山となり鬱蒼と茂る

原生林の森と化しました。

狐狸の 棲家となるのにそう時間はかかりません。

小牧山の狐と正眼寺の狸が化け比べをしたとか

天気雨の日は狐の嫁入りだとか、芝居見物に狐が現われたとか

噂が飛び交いまし た。

小牧の郷土史家津田応助は「お梅・お初断片」(旧本陣家記録)に

古老の昔話 を交えて、『伝説・老狐小牧山吉五郎』(昭6刊)を

小説風にまとめ、吉五郎伝説とし て世に広めました。

 

 

 

小牧山初里姫竜王大神

 

 

吉五郎稲荷社 参道鳥居

 

 

 

吉五郎稲荷社

 

 

吉五郎の伝説

 

『小牧山吉五郎』といえば、遠い昔から郷土小牧・尾張を代表する

名伝説です。その発祥は約三百年前の寛永年間と伝わる。

最も盛んに俗間に宣伝されたは、寛暦・天明の時代とか。

その史実は鷹木村(現・春日井市)の某旧家に

『老狐山吉(吉五郎のこと)』という書物が残りなど、

又、本小牧旧本陣記録に『お梅・お初の初恋の棚 』という部分がある。

元禄年間、小牧の旭の里に津田房勝という文人が『正事記』の中にも、

小牧に人間の意のままの振る舞いを成すという白狐・吉五郎らしい狐が

住んでいる記録が残っている。

小牧山吉五郎伝説: 吉五郎太鼓保存会

 

吉五郎伝説

小牧山に、吉五郎という狐が住んでいました。

子分は200匹もいて、この地方の狐の親分でした。

この吉五郎の伝説は、江戸時代につくられて広まりました。

吉五郎がお梅という美女の狐をめぐって、

東九郎という美男の狐と争うお話です。

この伝説のもとになった本は見つかっていませんが、

いくつかの話を合わせているようです。

津田応助という人が、この話を『伝説老孤小牧山吉五郎』という本に

まとめて、現在に伝わっています。

 

あらすじ

東九郎の恋人お梅をうばった吉五郎は、

やがて若いお初という狐も好きになります。

恨んだお梅は東九郎と相談し、吉五郎を毒殺しようとしますが、

吉五郎に恩義のある天狗がその計画を知り、

吉五郎に伝え、ばれてしまいます。

怒った吉五郎はお梅・東九郎と決闘しますが、

お梅に切りつけられ逃げ帰ります。

仕返ししようとお梅の家をおそった時は、

東九郎と逃げたあとでした。そんな騒動を起こした吉五郎も、

その後はお初とおだやかに暮らしたそうです。

 

その後の吉五郎伝説

明治43年の冬、ある青年が吉五郎と思われる狐を銃でしとめました。

剥製にして自慢していたところ、伝え聞いたお初とその子四匹が、

青年の家の雨戸をたたき、「せめて皮だけでも返してほしい」と

頼んだということです。

 

吉五郎稲荷

小牧山の大手道(南側の登り口)を少しのぼったところに、

吉五郎稲荷があります。これは昭和11年に、

小牧山の吉五郎にちなんで建てられ、五穀豊穣、商売繁盛、子孫繁栄などの

ご利益があるとされています。

 

いたずらが大好きな吉五郎

吉五郎の得意技は、美しい女の人に化けることでした。

村人のごちそうを取ったり、肥だめをお風呂とだましたり、

葉っぱの切符で電車に乗ったり、いたずらばかりしていました。

 

 

 

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