宗岳寺廃寺跡 八曽山(327m) 八曽黒平神社・愛知県犬山市八曽
愛知県犬山市にある八曽自然休養林
南側には東海自然歩道が通っていて、八曽モミの木キャンプ場が
八曽山への登山口となっています。
八曽山は別名 黒平山とも呼ばれ、
山頂には明治 11年 ( 1878年 ) ころ、遠州秋葉寺で修行した
奥平貫山禅師が開いたとされる宗岳寺跡が残っています。
八曽モミの木キャンプ場
車で入れるのは「八曽モミの木キャンプ場」まで
駐車場(¥500-)で利用可能です。
八曽山へはこの看板の右側より東海自然歩道経由で片道1時間半程
また岩見山を経由していくルートもあります。
岩見山より望む八曽山
左に見える八曽山 ( 別名 黒平山 )、
この山の平な山頂部に宗岳寺か建立されていました。
山頂に近づくと知多の石工が築いたと伝えられる石垣が続く
山頂域周囲をぐるりと石垣で囲まれるほど広範囲で
当時の規模を偲ばせます。
現在は池・風化した石仏などが散在している他、
石垣・石段等の遺構が草に覆われています
八曽黒平神社
山頂には、小さな祠があり、「八曽黒平神社」といわれています。
その祠の奥には、二等三角点があります。
山頂の広い部分の周辺をぐるっと石垣が囲んでいます。
山頂あった説明によると
奥平貫山と言う僧が塔野地にあった宗岳寺を1878年頃に山頂に再建したそうですが、
自由民権運動に関わったとし、1884年逮捕・投獄され、翌年に獄死を遂げたそうです。
その結果、宗岳寺は住職を失い廃寺になったそう
不動明王像
宗岳寺廃寺跡
現在 寺の建物は撤去され石仏、石碑のみ残っている八曽 宗岳寺廃寺跡。明治 11年 ( 1878年 ) ころ、遠州秋葉寺で修行した奥平貫山禅師が宗岳寺を開いたとされている。
奥平貫山禅師は霊験が高いとして信仰を集め、参拝者が多くおまつり行事等は盛大に行われていた現在は小さな祠が祀られ、石仏、石垣が残っている
犬山市説明看板
山頂にあった「宗岳寺」について
山頂にあった「宗岳寺」について
「宗岳寺」は稲沢市から塔野地に1720年移転、その後1847年伽藍焼失し、そのまま放置されていました。それを明治11年(1878年)頃、「奥平貫山」が再建したものです。信徒であった入鹿村からの寄付があり、知多の石工が石垣を組んだと伝えられています。本堂・庫裏一棟(六間半、四間の大きさ)、仏堂一宇、鎮守堂一宇が尾張、美濃境にあった黒平山の山頂に再建されました。「奥平貫山」は遠州秋葉寺(現秋葉神社)で修行したことから、本尊である薬師如来像のほかに、住職をしていた遠州千光寺からもたらされた秋葉三尺坊大権現が祀られ、12月には、尾張の三大祭りと言われた「秋葉の火祭り」が盛大に催されたと言われています。「奥平貫山」は、民権運動に関わっていたと推察され、その軍資金を強盗により得ようとした「名古屋事件」に連座し、明治17年(1884年)12月逮捕、その翌年獄死しました。
[資料 犬山市史 通史編 下 近代 現代 P60~P77]
八曽山(黒平山)(327m)山頂