菅原神社(天神山 193m)(中久津山 217m)・・新城市大野字柿田
新城市大野字柿田の天神山に鎮座する菅原神社
国道151号線、大野交差点から湯谷温泉方面へと北上すると
道路の右側に長い石段が目に止まります。
社務所・石鳥居
大野 史跡・名所案内
大野の聖地 天神山
大野の聖地 天神山
この天神様は、南北朝時代に領主鈴木喜三郎が、城山に山城を築いた時、北の守護神として祀ったのが始めといい、又、大野の有力者荘田氏が、部落の鬼門に当たるこの山に、魔除けてして祭ったともいわれている。その後、天神様に菅原道真が、魔除けと知恵の神として祭られ、この天神様も菅原神社と名をかえている。一九一段を上りつめた上にあり社殿の脇には、秋葉・金比羅の両大権現も祭られ、全山が天下泰平・五穀豊穣・村中安全を祈る聖地であると共に、景勝の地、天神公園として親しまれ、社務所前にある石灯篭は、見事な形をした町内屈指の道標銘である。
本殿までの石段は191段
菅原神社
天神山にある菅原神社は慶安年中(1648ー51)の創建と伝わる
御祭神は菅原道真公・誉田別命・伊邪那美命
扁額には熊野山・天満宮・八幡宮
天神様
大野の町から国運151号線を井代へ行く途中の右に天神様を祭る山があり、この山を天神山と呼んでいる。この天神山の頂上には菅原神社がある。
昔、大野の荘田という人が、魔除けの神である天神様を大野の町の鬼門に当るこの山へ祭り、町の安全を祈願したのが始りである。
天神様は菅原道真公を祭り、学問の神様であるが、もとは魔よけの神様として崇敬されていた。その訳はこうである。藤原氏のざん言によって九州の大宰府へ流された道真公が、大宰府で死去してから天変地異が続き、その上藤原一族に不運が続出した。これは菅公の霊のたたりだといううわさが高くなった。そこで菅公を祭って異変や悪疫を防ごうという風が急に広まり、全国的に天神様を祭るようになった。この大野の天神様もこうしたことに関係があろう。
また、この辺では落雷よけに「クワバラ、クワバラ」と唱えるが、これは菅公の所領であった和泉国(大阪府)に桑原という所があって、ここは一度も雷が落ちたことがないので「クワバラ、クワバラ」と唱えて雷よけとするようになった。
天神様は、今では学問の神として崇拝されているが、この大野の天神山へ登ってみると、社殿の中に天下泰平、五穀成熟と書かれた額が掲げられ、社殿の横には秋葉大権現と金比羅大権現の2神が祭られている。この町の人のたちが魔をよけ、平穏を願い、豊作を祈ってきた様子がよく分る。鳳来町誌民族資料編(南設楽郡鳳来町発行)より引用
境内社 秋葉社・金毘羅社
境内から大野の町並み
天神山(193m)
菅原神社の社殿より尾根沿いに数百メートル進むと
天神山(193m)の山頂へと至る
さらにその先に三等三角点峰でもある
中久津山(217.7m)へと進んでみました。
*一般登山道でなない区間となります*
中久津山(217.7m)
三等三角点(217.71m)(井代村)
国道152号「別所街道」より望む中久津山と天神山