中宇利丸山(比丘尼山) 223m・比丘尼山城跡・世界の桜の園




中宇利丸山(比丘尼山) 223m・比丘尼山城跡・世界の桜の園

湖西連峰 金山の北西に位置する中宇利丸山  (比丘尼山)は、

城跡(比丘尼山城跡)のある標高223mの山で、

周辺には約10,000本の桜が植えられている「世界の桜の園」があります。

また中宇利丸山一帯は蛇紋岩地帯のため主木は生育の悪い樹高2〜3mのアカマツの他、

灌木に限られていて、固有植物や蛇紋岩帯特有の変化を持った植生が見られるそうです。

一面笹原が広がる気持ち良い所でした。

愛知県指定天然記念物

種別 名称 (植物)中宇利丸山の蛇紋岩植生 昭和55年2月12日指定

所在地 新城市中宇利字丸山 地内

面 積 72.911m²

説 明

ここでは、他の地域の同じ種類の植物と比べ、葉が細くなったり、花が小さくなったり、葉の表面がつるつるしたりと、蛇紋岩地地帯特有の変化が表れているものが多く見られる。主木は樹高2~3mほどの生育の悪いアカマツであり、わずかに落葉低木が混じり、常緑樹は少ない。草本層はスゲ種やイネ科の植物が多く見られる。さらに蛇紋岩変形を受けて新しい品種や固有植物になったものが見られ、平成13年度にはここで採取された「マツムシソウ」について、分類学的研究の結果、マツムシソウの新変種「ミカワマツムシソウ」が発見されて、基準標本地となっている。     新城市教育委員会

中宇利丸山の蛇紋岩植生

中宇利丸山(比丘尼城址)のある山は蛇紋岩地で成り立っています。

蛇紋岩はマグネシウムなどを多く含む岩石で大気に触れると崩壊し粘土化しやすく、

不安定で、土壌は未熟で乾燥しやすい特徴があります。

このような性質のため、蛇紋岩地帯には、植物の生育を阻害する成分が強く、

その地質に適応した固有の植物種や限定植物が見られます。

「愛の鐘」モニュメントがあります

世界の桜の園

学校を定年退職した方が、地元の人達と協力して、

世界中の桜の木で 山を埋め尽くす試みが行われています。

「日本に3百余種、日本以外の国に百余種がある桜をこの山で咲かせたい」

「世界の人々の手でサクラの園をつくりたい」

これら二つの願いを込めて名付けられたそうです。

至る所に標語や桜の豆知識、桜の木には品種や植えた方の名前などが記されていました。

比丘尼城跡

比丘尼城跡

比丘尼城跡は、宇利城跡(県史跡)から1.8km離れた南方に所在し、標高約220mで比高差150mほどの山頂に位置している。

遺構は、曲輪や土塁状の高まり、堀跡などが良好に残存している。

主郭の規模は50×30mを測り、主郭北側の一段低い位置に曲輪がひとつ配置されている。また、南側は帯曲輪状の平坦地が巡り、堀(横堀)と評価されている。虎口は曲輪の北、東、西に推測され、西側は堀切や竪堀が配され東側より防備性が高いものと思われる。

築城時期や城主は不明であるが、城の北側の川の対岸に『滝山くずれ』という墓があり、これは比丘尼城が落城した時に逃げた者たちが殺害された場所であるという伝承が残されている。

また、宇利城に対し、有事の際に子ども、女性などが避難した場所として機能した城であるとも伝えられている。

さらに、「比丘尼」という名から城主が女性であったとも言われている。 愛知県と静岡県との県境に所在するこの城は、南北朝時代に遡る可能性のある城とも言われている。

延元年間に駿河、遠江両国の守護であった今川氏とともに三河国の守護 高師秦は、北朝方に属していた。しかし、遠江の井伊谷を中心とする地域は、南朝方の勢力拠点となっていた。このため、三遠国境付近や浜名湖周辺では、延元2年(1337年)や延元4年(1339年)には、北朝方と南朝方の勢力が入り乱れる激しい攻防が繰り広げられた。

比丘尼城は宇利庄に位置し、ここの領主は北朝方の足利直冬であった。尊氏の子である直冬は、尊氏の弟であった直義の養子となった。しかし、尊氏と直義とは仲が悪く、直義が正平4年(1349年)に南朝方につくと、直冬も南朝方に味方するようになりました。

このような地域性と『滝山くずれ』との伝承から郷土史の観点では、この城は南北朝期に存在したのではないかと考えられている。

また、遺構に戦国期のものに見られる特徴が残っていることから、熊谷氏の居城となっていたものが宇利城を築城したことで城主がそこに移ったため、その支城となったとも言われており、この城は南北朝時代、戦国時代の2時期に使用されていたことが推測される。

現地は植樹された桜の名所「世界の桜の園」の園内にあり、園内の『桜』や『愛の鐘』などを散策しながらいくことができる。また、山頂からの宇利城跡への眺望はすばらしい。

吉祥山と本宮山

吉祥山の支尾根にある旗頭山(笠頭山)も同じ蛇紋岩質の山でした。

一帯にある旗頭山尾根古墳群は墳丘を土ではなく

石で造る積石塚古墳というめずらしい形式の古墳群で、

同じ地質のため木々が無くこちらもとても景色が良かったです。

雁峰連峰と風切山〜腕扱山

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