大山寺(だいせんじ)・鳥取県西伯郡大山町




大山寺(だいせんじ)・鳥取県西伯郡大山町

「伯耆大山」の中腹、鳥取県西伯郡大山町にある「大山寺(だいせんじ)

天台宗別格本山の寺院で、山号は「角磐山」・御本尊は「地蔵菩薩」です。

中国三十三観音第二十九番に数えられています。

大山寺は、奈良時代の養老年間(約1300年前)に「金蓮上人」が地蔵菩薩をお祀りし、

山岳信仰に帰依する修験道の道場として開かれました。

貞観7年(西暦860年)には天台宗第4代座主「慈覚大師」により天台宗に改宗しました。

平安時代以降、山岳信仰の仏教化が進むにつれて寺院が増え、

最盛期には100を超える寺院と3000人以上の僧兵をかかえるほどの一大勢力として、

比叡山、吉野山、高野山に劣らないほどの隆盛を極めていました。

また、近世・封建時代には江戸幕府より3000余石寺領をゆるされ、

別格本山としてその隆盛を極めました。

しかし、明治初期の神仏分離・廃仏毀釈をきっかけに衰退の一途をたどり、

数多くあった寺も現在は4つの参拝堂と10の支院を残すのみとなりました。

本堂は、昭和3年に鐘楼と共に一度焼失、

鐘楼は昭和25年、本堂は昭和26年に再建されます。

その後、大山寺本堂と鐘楼は、平成29年10月に文化財として国に登録されました。

重要文化財の阿弥陀堂や弥陀三尊を初めとした宝物類も数多く残されており、

山陰の名刹として多くの人々の崇敬を集めています。

山門(仁王門)

大山寺(だいせんじ)

鳥取県西伯郡大山町大山9

山号 角磐山(かくばんざん)

宗派 天台宗

寺格 別格本山

創建 養老2年(718年)

開基 金蓮

本尊 地蔵菩薩

大山寺の由緒

大山は、『出雲風土記』に火神岳あるいは大神岳と記された古くからの信仰の山で、約1300年以上も前から修験道の荒修行の場所として崇敬され、奈良時代となる養老2年(718年)、出雲国造俊方(金蓮上人)によって「大山寺」が開創・創建されたことに始まります。開山時は真言宗の寺院でした。

平安時代の貞観7年(865年)に天台宗となり、天台宗別格本山角磐山大山寺として指定されました。寺には地蔵菩薩の顕現として大智明権現が祀られました。

鎌倉時代から室町時代にかけての大山寺は尼子氏や毛利氏などの戦国武将からも崇敬され、盛んに寄進や造営がなされ隆盛を極めました。その後は、高野山金剛峯寺や比叡山延暦寺と並ぶ大寺となり、「大山僧兵3000人」と言われるほどの勢力になりました。

江戸時代に入ると幕府から3000石の寺領が安堵され、西明院谷、南光院谷、中門院谷の三院谷の上に本坊である西楽院が支配する一山三院四十二坊の体制がとられました。

明治時代に入ると神仏分離と廃仏毀釈が起こり、明治8年(1875年)に大山寺の寺号も廃絶され寺領の多くも没収となりました。

本尊であった大智明権現が大神山神社奥宮に移され、本堂には従来の本尊に代わって米子市内の大神山神社の御祭神が祀られました。

明治36年(1903年)に大山寺の寺号は復活したものの、42あった子院は現在10を残すのみとなりました。

大山寺

H.P                   https://daisenji.jp/

所在地     〒689-3318 鳥取県西伯郡大山町大山9

電話番号    0859-52-2158

FAX        0859-52-2158

参拝期間    4/1〜11/30

時間      午前9時〜午後4時(季節により変更有)

その他の期間も参拝は出来ますが、

宝物館「霊宝閣」は12/1〜3/31の間は休館となります。

参拝志納金   (大人300円・小人・200円)※霊宝閣入館料含む

仁王門(山門)には寺号である「角磐山(かくばんざん)」の扁額が掲げられています。

大山寺縁起によると、天空遥か彼方の兜率天の角が欠け、大きな盤石が

地上に落ちて来ました。盤石は3つに割れて、その1つは熊野山になり、

2つは金峰山になり、3つはここ大山になったと云います。

こうしたことから、大山を角磐山と名付けられました。

護摩堂

山門から参道を登った先には、右に「護摩堂」・左に「下山観音堂」が建ちます。

護摩堂内では御本尊の不動明王のもと、天台密教の修法、護摩焚が行われます。

下山観音堂

御本尊は十一面観音菩薩です。

白鳳期の金銅仏で国の重要文化財に指定されています、現在「霊賓閣」に安置されています。

下山観音堂の御本尊はその控仏となります。

下山観音堂の隣が社務所となっています。

灯明杉・灯明地蔵尊

さらに、本堂へと続く階段の左には「灯明杉」とその傍らには「灯明地蔵尊」

その昔、日本海を航行する船が難航の折、この杉の頂から閃光を発し、

方向を教えたために難を逃れたといわれる霊木と伝わります。

開運鐘

本堂隣の境内には「開運鐘」と書かれた大きな鐘が置かれています。

これは鎌倉時代に作られたもので、梵鐘には天女が描かれています。

願い事をしながら鐘を1つ突けば、その望みを叶えてくれるとされ、

開運のスポットとなっていましたが、現在は撞くことは禁止されているようです。

宝牛

大山は、古くから牛や馬の守り神としても信仰されていました。

平安時代には全国から牛や馬を売り買いする人が集まり、

自然と牛馬市として整備されていきます。

そして明治の中頃には年間1万頭以上の牛と馬が売買される、

国内最大の市になるほど栄えました。

大山寺では売買された牛の霊を慰めるために「宝牛」という像が置かれています。

この像は別名を「撫牛」ともいい、1つの願いだけを心に念じて撫でると、

その願いを叶えてくれるという縁起のよい牛です。

大山寺本堂

御本尊は地蔵菩薩です。

本堂は、昭和3年に鐘楼と共に一度焼失してしまいます。

鐘楼は昭和25年、本堂は昭和26年に再建されています。

焼失前の本堂は元の大日堂で、明治8年以降本堂となったものでした。

その後、大山寺本堂と鐘楼は、平成29年10月に登録有形文化財として国に登録されました。

「大山寺縁起」によると、俊方(後の金蓮上人)はある日、大山で鹿を弓で射ましたが、

その対象が鹿ではなく地蔵尊だったと知りました。俊方は殺生は罪深いことだったと悟り、

出家して「金蓮」と名乗り、草庵をむすび地蔵菩薩を祀ったと云います。

この草庵が大山寺の起源とされていますが、この説話が影響しているのか

現在でも、大山の周辺には石造りの地蔵尊が数多く見られます。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加