大須観音 北野山真福寺宝生院(ほうしょういん)




大須観音 北野山真福寺宝生院(ほうしょういん)

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大須観音 公式H.P
http://www.osu-kannon.jp/index.html

愛知県名古屋市中区大須にある大須観音こと

北野山真福寺宝生院(ほうしょういん)へ参拝しました。

大須観音は真言宗智山派に属し

浅草観音・津観音と共に、日本三大観音の1つとも言われる観音霊場でもあり

なごや七福神の一である布袋像を安置してます。

名古屋駅から地下鉄東山線で伏見

桜通線で大須観音まで。

久しぶりに見る凄い数の人

本堂

御本尊・聖観音さまをお奉りする『大悲殿』。
大須観音の中心でございます。本堂は明治時代の大須の大火、戦災で二度焼失しており、
現在の本堂は、昭和45年に建て直されたものである。
大須観音 公式H.P より

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大須観音の本尊は「聖観音」

「正観音」ともいい、六観音(十一面観音・千手観音・馬頭観音・如意輪観音・准胝観音)

のうちの一尊でもある。

観音菩薩(観世音菩薩、観自在菩薩)像には、さまざまな形態のものがあるが、

このうち、多面多臂などの超人間的な姿ではない、1面2臂の像を指して聖観音と称している。

ちなみに大非殿とは観音菩薩がいらっしゃるという意味

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大須観音略縁起

大須観音略縁起

当寺は、もと尾張国長岡庄大須郷(いまの岐阜県羽島市大須)にありました。
御開山は能信上人(のうしんしょうにん)です。

元亨四年(1324年)後醍醐天皇は、勅願を下したまい長岡庄に北野天満宮を御造営になりました。
天皇は能信上人に深く御帰依(きえ)になり、元弘三年(1333年)上人をその別当職に補し、
「北野山真福寺寶生院(きたのさんしんぷくじほうしょういん)」という寺号をたまわりました。

能信上人は当寺の開創にあたり、伊勢大神宮に百ヶ日間おこもりになり、
「この世の人々が、おすくいをうけ、おめぐみをいただきますには、
どなたさまをおまつりいたしたらよいでしょうか」と一心不乱においのりになりました。

上人の誠は神に通じ、ある夕べの霊夢に、「大慈大悲の観世音こそは利益無量、この世の人びとに、
もっともありがたいお方である。」とのお告げをえられ、
そのうえ観世音の貴いお姿を拝されたのであります。

そのお姿は、むかし弘法大師が一刀三礼御彫像(いっとうさんらいごちょうぞう)
あそばされた摂州四天王寺の大慈大悲の観世音菩薩に寸分たがわぬ御尊影でありました。

この霊夢のふしぎは、後村上天皇の御代にいたり朝廷にたっし、みことのりによって、
当寺に移され、ご本尊と仰ぐこととなったのであります。
それからのち、霊験はまことにあらたかなものがありました。

後村上天皇も厚く上人に御帰依になり、伽藍(がらん)を建立し、田地をたまい、
すえ長く「勅願寺となす」とのありがたいみことのりを下されました。

能信上人は、学徳ともに高いお方で、当寺の所蔵する多数の書物は、
東西の学者が珍重しているところですが、それらの多くは、上人がお集めになったものです。

さらに上人はすべてのひとびとら尊信をうけ、ある時には神宮の巫女が、
僧伽梨衣(そうぎゃりい)というおけさを大神のおさずけとして持ち来り、又ある時には、
神人が鬼面を持って来て「この面は観世音垂跡(すいじゃく)の夜叉面ゆえに、加持を加え、
諸人の禍(わざわい)をのぞき、福をさずけよ」と申したと伝えております。
そしてこれらは寺宝となって伝わっています。

御本尊の霊験は年とともに海内にひびきわたり、第二代住職は信瑜上人、
第三代住職としては任瑜法親王がおつぎになり、寺領も一万余石におよび、
伊勢・美濃・尾張・三河・遠江・信濃六ヶ国の真言宗寺院を末寺としました。

そののち戦国の世となりましたが、織田信長公も寺領五百石を寄進し、徳川家康公に至っては、
名古屋を建設経営するにあたり、慶長十七年、まず第一に、当寺を、いまのこの地に移されたのであります。

はたせるかな霊験、日に日に新に、善男善女の参詣きびすを接し、市の一大中心として繁栄し、
「大須観音」と俗称され、真言宗智山派別格本山として、今日に至っているのであります。
大須観音 公式H.P より

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仁王門

仁王門
本堂へ参拝頂くための入り口、仁王門でございます。
左右には仁王像が奉安されており、悪い物から山内をお守り頂いております。
大須観音 公式H.P より

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仁王門

本堂より仁王門を望む

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普門殿

普門殿
十二支・干支の守り本尊様をお奉りするお堂でございます。
こちらで皆様の干支のお守り、念持佛を受ける事が出来ます。
大須観音 公式H.P より

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本堂より普門殿

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鐘楼堂

鐘楼堂の前にはものすごい数の鳩

何名かが餌をあげてます。

鐘楼堂
華精の鐘(女人梵鐘)
昭和41年よい子たちの成長を祈る「母の愛」の鐘として、地元婦人会を中心に、
女人のみの寄進で女人梵鐘の銘のもと鋳造、
四面の池の間には杉本健吉画伯、四季の花、梅、牡丹、蓮、菊
(インド、中国、日本の代表的な花で仏教東漸を表す)の中心に、華の精の姿を描く。

「一打即滅無量罪」(一つ撞けば限りない罪がなくなる)「一打即生無尽蔵」
(永遠に楽しく生きる)を願い、万民豊楽を、祈念するものなり。
尚、この女人梵鐘には、当時の名古屋市長、杉戸清氏により、「華精の鐘」と命名され、
毎朝六時、私達に妙なる音韻を響かせている。
高さ二メートル 重量1500キロ 直径1メートル 音韻持続2分
『女人梵鐘鳴り渡る 和む響きが身をつつむ 万の人が助け合う 仏の教えの鐘が鳴る』
大須観音 公式H.P より

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西門

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