瀑布山不動寺 黄檗宗 浜松市浜北区平口




瀑布山不動寺 黄檗宗 浜松市浜北区平口

瀑布山不動寺H.P
http://fudouji.main.jp

浜松市浜北区平口にある黄檗宗の寺院「瀑布山不動寺」へ

「黄檗宗(おうばくしゅう)」とは聞きなれない宗派ですが、

日本に3派ある禅宗の一派(他は 曹洞宗・臨済宗)のひとつに数えられます。

元は臨済宗黄檗派でしたが、明朝の動乱から逃れた中国人(華僑)が

元々の明朝風様式を残した黄檗宗を今に伝えています。

先日訪れた宝林寺、こちらも中国風を色濃残す寺院です。

初山 宝林寺(しょさんほうりんじ)の記事

不動寺 境内の散策路を歩いていると、

素人の自分でもわかる「河岸段丘(かがんだんきゅう)」の地形、

天竜川が削った台地の際、ここの地名も平口です。

河岸段丘と不動寺(現地案内板)

三方原台地のすぐ下の平坦地を「富岡段丘面」その下が
「姥ヶ谷段丘面」最下段を「浜北段丘面」という。
この段丘は天竜川の流れに沿って発達した「階段状」の地形で、
旧天竜市を扇頂部とする洪積時代の扇状地が
大きく三回にわたって隆起したため、
三方原台地東縁に三段にわたって旧氾濫源が段丘面を形成した。
ここ「不動寺」のある段丘崖は、二段目の「姥ヶ谷段丘」と
三段目の「浜北段丘」の境にある。
この見事な典型的な「河岸段丘」は全国的にもよく知られている。
「不動の滝」を初めとして、この段丘崖には清水も多く
縄文・弥生の集落も発達し、段丘面には聖なる地として、
古墳も多く築造されてきた。
そのような悠久の歴史をもつ地に「瀑布山不動寺」が建立されている。

不動の滝、台地から湧き出る水、

案内板の説明にもある通りこの辺一帯には遺蹟が多く残ります。

本堂

明治19年(1886)の再建。
正面に豪華な破風、向拝の軒下に龍の彫り物。
堂内の格天井の花鳥の絵画や大小様々な絵馬や
参拝者の写真も奉納されている。

平口 身替り不動(不動寺)
浜松市浜北区平口

由来
通称「平口のお不動さん」として昔から広く世に親しまれている遠州の名刹不動寺
今を去る千三百年前、奈良時代に行基菩薩が開祖した不動霊山と伝承される。
行基が、この地方を安脚の途上、 疫病のはやりを知り夢枕に不動明王が出現。
その不動明王像を彫り、本尊として安置したことにはじまる。
それ以来、開運、家内安全、無病息災、交通安全、厄除け霊験あらたか。
そのご利益は広大無辺で周知の通なり。

本堂の階段上の左右には名工 鈴木八郎が彫った

飛竜の昇り竜と降り竜。


奥乃院

不動寺の本堂右奥には羽天狗を祀った奧の院があります。

こちらでは、空を自由に飛びまわり神通力に優れる羽のある羽天狗を御神像に祀っています。

悪運断ち切りて幸運を運ぶ、航空旅行安全と必勝祈願のご利益が大きいとのことです。

明治37年には日露戦争の必勝祈願に乃木将軍も参拝したそうです。

三重塔と十六羅漢 
江戸時代弘化2年(1845)建立

由緒書によれば、三重塔は金光明経塔といい、
一石に一字の御経を刻み納経されている。
塔には弘化2年当山8世圓成の代と刻印されている。
この御経は除難の利益があり参拝することで
災いから逃れることが出来ると説法されている。
三重塔の周囲には仏道成就のため菩薩行を修行する
釈迦の弟子十六羅漢像が配置されている。


御朱印

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