二宮神社(にのみやじんじゃ) おんな城主 直虎 ゆかりの地




二宮神社(にのみやじんじゃ)

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「おんな城主 直虎」推進協議会
http://hamamatsu-daisuki.net/naotora/land/

井伊谷城跡から案内板に従い東側へ降りると

二宮神社(にのみやじんじゃ)へ

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式内社 遠江國引佐郡 三宅神社 旧村社

御祭神 多道間守命 宗良親王

井伊郷の荘司である三宅氏の始祖・多道間守を祀る神社。
元中2年(1385)には南朝方、後醍醐天皇の第4皇子である宗良親王を合祀。
二柱の神霊を祭祀するようになり現社号となった。

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一の鳥居は国道257沿いにある

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鳥居脇 天神社

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御神木

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足跡石

足跡石

表面に無数の凹みがあり、古来鬼の子供の足跡だと伝えられて来た。
氏子の初参りの時には、親は子供の足を足跡石に触れさせ、
鬼の子供のように強くなれかしと祈ったという。

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手水舎

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倉庫でしょうか?

社務所下にあります。

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社務所

社務所には人が常駐しておらず。

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二宮神社

南北朝の時代、井伊家は南朝方について、当地域の北朝勢力と争いました。
後醍醐天皇の皇子 宗良親王は、伊勢の大湊より船で当地に向かう途中、
嵐に逢い遭難してしまいました。
しかし、親王が乗った船は幸運にも「しろわの湊」に漂着し、
無事に当地の井伊家を訪れ、三岳城を拠点として戦いました。
しかしながらこの地の南朝方勢力は北朝方に一掃され、親王も信州に逃れ、
井伊家もいったんこの地の拠点を失いました。
二宮神社は井伊家にかかわる多道間守(橘の家紋)とともに
「二宮」と呼ばれた宗良親王を合祀しています。
平成28年3月 北区まちずくり推進課

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二宮神社御由緒

当二宮神社は多道間守と宗良親王との御二柱を御祭神としております。
往古は三宅神社と称し奉り天日槍尊の四世で井伊郷の荘司三宅氏の始祖
多道間守の尊霊を奉祀した延喜式の式内社に列せられた霊社であります。

第11代垂仁天皇の勅諚に応え常世の国から我国へ橘を招来したのが
この祖神多道間守で当地発祥の井伊家は式内社渭伊神社を象徴する井桁と
当三宅神社の橘とを家紋と致しました。

元中2年8月10日後醍醐天皇の皇子宗良親王が井伊城に薨ぜられるや
9月南帝の勅使中院為久卿、中院小将定平朝臣下向、御連枝の方、
方廣寺開山圓明大師を御導師として葬送の御儀を執行い当三宅神社に尊霊を合祀奉り、
爾来二柱の神霊を祭祀するため二宮神社と改称し奉りました。
全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年

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拝殿

かつては三宅神社と称していたらしい。

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天王社

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