高野山 壇上伽藍 中門
高野山真言宗 総本山金剛峯寺 名所一覧
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大門から1km弱進むと左手に中門が見える。
この門をくぐると高野山 真言密教の中心地、壇上伽藍(だんじょうがらん)と繋がる
高野山の中でも新しい建物だが周囲とのバランスは取れている。
向かいには無料の駐車場もあるので、直接行けるも嬉しい。
高野山 壇上伽藍 中門
金堂の正面手前の一段低い所に、そびえる五間二階の楼門です。
壇上伽藍はかつて天保14年(1843年)の大火により、西塔のみを残して、
ことごとく焼き尽くされました。先代の中門もその折に失われ、今日までなかなか再建叶わずにおりましたが、
高野山開創1200年を記念して170年ぶりに、この度再建されました。持国天(じこくてん)像・多聞天(たもんてん)像・広目天(こうもくてん)像
増長天(ぞうちょうてん)像の四天王がまつられています。なお、持国天像と多聞天(毘沙門天)像は二天門であった先の中門に安置されていた像で、
類焼をまぬがれてこの度保存修理が完成しました。
広目天像・増長天像は現代の大仏師松本明慶師の手により新造されたものです。
高野山真言宗 総本山金剛峯寺
中門 案内板
高野山の総門である大門に対して、壇上伽藍の門は中門と呼ばれている。
創建は高野山開設創期にさかのぼる。
当初は結界の意味が強い鳥居状のものであったが、焼失と再建を繰り返しながら
五門二階の楼門となった。
江戸時代には3回焼失したことが知られており、地中には焼失前の礎石が埋まっている。
天保14年(1843年)焼失後は再建されず、礎石だけが露出した
中門跡としてその痕跡を残していたが、平成27年に厳修された
高野山開設1200年記念大法会の特別事業として172ぶりに再建された。
なお、正面に配置されている持国・多聞の二天像は文政3年(1820年)再建時のものである。
中門を壇上伽藍 金堂より
根本大塔より