三岳城跡(みたけじょうあと)三嶽城跡 おんな城主 直虎 ゆかりの地




三岳城跡(みたけじょうあと)三嶽城跡

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http://shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4415028

静岡県浜松市引佐町にある三岳城跡(みたけじょうあと)です。

三岳山(標高466.3m) 山頂付近一帯が三岳城跡になります。

今回は登山がてら山頂を目指します。

登山視点での記事も書きましたのでご覧ください。

三岳山(466.3m)・兎荷山(410m)引佐町 の記事

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車では三嶽神社まで行くことが出来ます。

三嶽神社(みたけじんじゃ)の記事

ここからだいたい30分程度山道を歩きます。

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三岳城跡

当城は三岳山の山頂にあり、井伊氏の築いた諸城のうちの本城である。
南北朝時代、延元3年(1338)秋、後醍醐天皇の皇子宗良親王が再び伊勢より井伊谷に入られ、
この城を南朝勢力の遠江における軍事上の拠点となされた。

足利尊氏勢の高師康・高師冬。高師兼・仁木義長の大軍に攻められ、
ついに興国元年(1340)正月落城し同年八月二十四日夜、
詰城大平城も追い落とされて南朝の拠点は失われた。

宗良親王は駿河の安倍城に移られたものと推定されている。
その後戦国期元駿河守護であった美濃の斯波義達が井伊谷に入り、
引馬城大河内貞綱と井伊氏がこれにくみした。

今川氏親は細江町刑部城・堀川城に伊達忠宗を入れて前進基地として三岳城を攻めた。
永正10年(1513)に掛川城・城主朝比奈泰以を主力とする今川勢の総攻撃によって落城した。

この城は山頂から尾根に沿って細長く築かれ、一の城,二の城。三の城と分かれ、
深い谷や急な斜面など峻険な自然地形を巧みに利用し、中世城郭の典型的な形態を有している。

一の城

山頂にあって一番大きく、大型の土塁を幾重にも巡らせ、
谷下・兎荷方面からの攻撃を防ぐ。

二の城
一の城より東の高地一帯にあって、川名・滝沢方面よりの敵を防ぐ。

三の城

現在の三岳神社の境内にあり本丸に迫る敵を阻止し、
山城で一番重要な水を確保する役割を果たした。

宗良親王の庵室もこの地にあったと伝えている。
籠城中に後醍醐天皇の崩御にあわれ、親王は城の紅葉を折ってこれに
「おもふにもなほ色浅き紅葉かな、そなたの山はいかが時雨るる」
の一首を添えて吉野に届けられた。
井の国 引佐町散策 浜松市より

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山道をしばらく歩くと道が二手に分かれます。

左に行くと二の城跡ですが、今回は断念。

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直ぐ横には石碑、

二代箒(ほうき)松の石碑は川奈青年団が、

三岳城を忍んで建立したもらしい。

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一の城桝形門跡

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ここからは足場が悪く急斜面になっている。

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二の曲輪跡には巨石群

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三嶽城跡

所在地 静岡県浜松市北区引佐町三岳
遺 構 曲輪、石垣、土塁、横堀
形 式 山城
築城者 井伊道政
築城年代 南北朝時代

井伊氏の本拠地は麓の井伊谷城のさらに麓一帯ですが、

有事の際の詰め城としてここ三岳城を利用しました。

井伊家居館跡(いいけきょかんあと)の記事

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山頂からのパノラマ

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井伊氏ゆかりの三岳城跡、下山後はゆかりの地巡りをしました。

おんな城主 直虎 ゆかりの地

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