岩嶽神社「京丸 岩嶽山に咲くヤシオツツジ」・静岡県浜松市天竜区春野町小俣京丸
浜松市天竜区春野町にそびえる1369mの岩岳山(いわたけさん)
少し進んだ先には岩嶽神社(いわたけじんじゃ)が鎮座します。
周辺は、「京丸のアカヤシオおよびシロヤシオ群生地」として
国の天然記念物の指定を受けており、
毎年4月下旬から5月中旬にかけてアカヤシオが
山肌を染めるように咲きほこります。
アカヤシオが咲き終わる5月中旬頃からはシロヤシオが咲きはじめます。
登山口の「シンフォニー前」には50台程度の駐車スペース。
林道を歩き、ヤシオの里から荷小屋峠を登るルートと、
キマタ山・入手山を経由し尾根を登るルートがある。
荷小屋峠からの登山道沿いに「岩嶽神社」の祠
樹林帯を登りつめた先の分岐を
竜馬ヶ岳 方面へ向かうと直ぐのピークにある祠
岩嶽神社
利保坊 像の両脇には珍しい猿の狛犬
春野町 小俣京丸 岩嶽神社 由来
岩嶽神社に、おまつりしてある利保坊さまは、京丸本家十五代当主忠吉の弟、安右衛門(やすうえもん)です。小さい時から、信仰が好きで、秋葉山に入り修行致しました。年頃になり分家の「おふじ」という娘と一緒になり間もなく、子供が授かり其の子は、男の子でした。安右衛門は小さい時から目が悪く又、妻はお産が重く産後の肥立ちが悪く、間もなく「おふじ」は亡くなってしまいました。男の子の名前はいせ吉といいました。
安右衛門は、いせ吉を連れて一人ではどうする事も出来ず、本家と分家で世話をしたそうです。いせ吉もだんだん大きくなり手もかゝらなくなったので、安右衛門は本家と分家にたのみ又、秋葉山に修行に入ったそうです。時々京丸に帰ってきては我が子の成長を楽しみにしていたそうです。いせ吉は分家の佐平と、とても仲が良く分家にいる時が多かったそうです。いせ吉も、だんだん大人になり安右衛門も安心したようでした。ある時、安右衛門は、京丸の人達にも何も言わずに行方が、わからなくなってしまったそうです。京丸の人達も色々手をつくしたそうですが何年かわからなかったそうです。ある時京丸の向かいの牡丹谷に昔は大勢の炭焼きの、人が入って居りましたが、其の人が荷小屋から少し登った所の「ツガの木」の根元に行着がおいてあると京丸へ知らせがあったそうです。京丸の人達が皆で見に行きますとやはり安右衛門の行着だったそうです。
いせ吉の悲しみは、本当に気の毒だったそうです。それからは、いせ吉はどこへ行くにも父の行着をわが身からはなさなかったそうです。その頃小俣京丸に、御嶽教がさかんだったそうです。早速皆で相談して、御嶽教の清水光明、永徳れい神様達にお願いして、岩嶽山へ利保坊さまとして、おまつりしていただいたそうです。
ある時、清水光明様に利保坊さまの「おつげ」があり「我れ、天に登りて、龍となりみなの者を、守る」とおつげがあったそうです。
それからは、目の悪い人、、又お産の重い人、色々ななやみのある人は一生懸命お願いすれば、きっとかなえて下さるとの事でした。
昔は四月二十日は、岩嶽山のおまつりでした。
最近は毎年四月、五月は大勢の登山者でにぎわっております。利保坊さまが行着をおいた場所の「ツガの木」はまだ元気で青々として居ります。もう二千年の年月がたっているそうです。
御嶽教の先達さまに「おつげ」があってからはツガの木の根元には九頭竜さまが、おまつりしてあります。
小俣の登山道からしばらく登った所にお滝があります。左側のお滝が、利保坊さま、右のお滝がお母さんおふじさま、真ん中の小さなお滝がいせ吉のお滝といわれ岩嶽利保坊親子滝と呼ばれております。どんなに日照りの時でも、この三すじのお滝は毎日同じ様に流れて居ります。
安右衛門 寛政五年(一七九三年 生)
行方不明 万延元年(一八六〇年)
利保坊さまとしてまつられた年 文久二年(一八六二年)平成十年 春野町小俣京丸有志一同
協力者 山本貞子
秘境、京丸 岩嶽山に咲くヤシオツツジ
国の天然記念物
遠州七不思議の1つとされる伝説の京丸牡丹は、61年目に1度咲く幻の花として伝えられています。
京丸の牡丹谷一帯200ヘクタールには4月下旬から赤ヤシオ、5月上旬からは白ヤシオと呼ばれるヤシオツツジが咲きほこります。
霧の中に浮かぶヤシオツツジは、民謡京丸牡丹の茶摘節のうまれたふる里でございます。春野町では京丸牡丹、岩嶽山、ヤシオツツジ、春野町のシンボルとして永遠に語りつがれて行く事でしょう。
岩嶽利保坊親子滝
静岡県民謡 京丸牡丹の茶摘節
岩岳山(1369m)山頂
アカヤシオ