浜石岳(707m) 薩埵峠・静岡県静岡市清水区




浜石岳(707m) 薩埵峠・静岡県静岡市清水区

浜石岳 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/浜石岳

興津川添いに車を止めてスタート

興津川沿いから薩埵峠へ


白髭神社

白髭神社から真っ直ぐ東へ向かうと

墓地があります。

白髭神社(しらひげじんじゃ)の記事


墓地前 案内版

墓地の奥からが薩埵峠への登山口

手前にトイレと休憩所・案内版、トレッキングポールまであります。

「親知らず・子知らず」の難所から眺める絶景

歌川広重(安藤広重)の描いた「東海道五十三次」。
浮世絵に描かれた江戸時代の東海道沿いの情緒ある美しい風景の数々は、
170年以上経った今日大きく様相を変え、今やその殆どが往時の面影を残していない。
しかしその中で、広重が描いた構図に近い風景が残っていると言われている数少ない場所が、
かつての東海道「由比宿」と「興津宿」の間に位置する「薩埵峠(さったとうげ)」だ。
勿論、描かれた当時と比べると、東海道線、国道バイパス、
東名高速という交通・物流の大動脈が通り、大きく様変わりしたことに相違ないが、
それでも広重が見たであろう光景を髣髴とさせるような景色が広がっている。

由比宿から興津宿の間は、大井川などと並び東海道の難所と言われたところで、
波間を縫いながら岩伝いに浅瀬や岩の合間を通る「下道」を通わなければならず
「親知らず・子知らずの難所」とも呼ばれたまさに旅人泣かせの場所であった。
その後、薩埵峠を越える「中道」が切り開かれたが、
数キロに渡って険しい山道が続く難所には変わりなかった。

しかし、険しい峠を越えた旅人には、(晴れていれば)旅の疲れを吹き飛ばしてくれるような
素晴らしいご褒美があった。
眼下に広がる海と地平線に見える山並み、そしてその向こうに雄々しく
美麗な姿を見せる不二の山「富士山」とで織り成される「絶景」である。
広重もさぞや感激したことであろう、「ヒロシゲブルー」の美しい海と優雅に浮かぶ帆掛け舟。
そして画面真ん中よりもやや左手に聳える富士山。
絶景を目にした広重の興奮が伝わってくるような一枚。
「由井(由比)」東海道五十三次の中でも印象的な風景である。

古戦場「薩埵峠」

広重が東海道五十三次を描いた時代よりも遡る事およそ480年ほど前の
1351年(正平6年/観応2年)と、およそ260年ほど前の1569年(永禄12年)に
「薩埵峠」は戦場になっている。
それぞれ、「太平記」で有名な足利尊氏と足利直義の間で起きた戦と
武田信玄と北条氏政の間で起きた戦だ。
特に後者の戦は、徳川家康が北条側につき武田信玄と敵対関係になる流れの中で起きていることもあり、
この「薩埵峠」の戦の結果いかんでは、
その後の日本の歴史ももしかして変わっていたかもしれない戦なのである。

薩埵峠 駐車場からさらに少し行った所が浜石岳への登山口

ここからひたすら山の中を歩きます。

始めは急な登りが続きますが、すぐに緩やかな尾根歩き

途中、立花池への分岐 池まで寄り道しました。


立花池

山中に開けた神秘的な立花池

頂上が近づくにつれ所々景色が開けます。

途中の分岐、別のルートもあるようです。

この辺は沢場で泥濘んでいます。

最後の浜石岳との分岐

最後木の根の急な登り


電波塔

頂上は賑わっています。

眺望はほぼ360度、富士山に駿河湾と三保の松原

伊豆半島までが見渡せ本当に素晴らしい。


三角点


浜石岳ハイキングコースマップ

頂上から分岐まで戻り

帰りは青少年野外センター方面へ

青少年野外センターまで数分

ここまで車で来ることが出来ます。

ここからだと気軽に登れます!!

青少年野外センターからは車道を由比駅方面まで下ります。

その後は宿場町を観光しながら薩埵峠まで戻ります。

ルートなど気になられた方はご覧ください。

薩埵峠(薩た峠・サッタ峠)・浜石岳

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