三河国分寺跡(みかわこくぶんじ)・愛知県豊川市八幡町




三河国分寺跡(みかわこくぶんじ)・愛知県豊川市八幡町

三河国分寺 – Wikipedia
http://https://ja.wikipedia.org/wiki/三河国分寺

天平13年に仏教を深く信仰していた聖武天王が発した「国分寺建立の詔」により、

全国六十余カ国に東大寺を総本山として建立しました。

三河国分寺は、8世紀後半に完成し、

国家仏教と天平文化の地方への普及に大きな役割を果たしたといわれています。

調査により、壮大な伽藍があったことがわかり、

現在その上に建っている国分寺には、三河国分寺の銅鐘が伝わっているそうです。

金堂

本尊を祀る建物。
跡地上にはかつて現国分寺の旧本堂が位置したが、現在は東方に移転している。
経典(金光明最勝王経)を納めた塔(国分寺以外の場合は釈迦の遺骨(舎利)を納めた)。
他の堂宇に先がけての建立とされる。
基壇は掘込地業と版築により、約16.8メートル(56尺)四方を測る。
特に基壇化粧において、通常の壇上積・乱石積・瓦積ではなく
ヒノキ角材の特殊な構造が採用される点が注目される。
この基壇は現在も高さ約1.5メートルの高まりとして遺存するが、
南側では後世の削平を受けているほか、北側・西側では戦国時代に土塁として盛土がなされ、
改変が加えられている。
基壇上の建物は30尺(約9メートル)四方で、10尺等間の3間四方とする。
規模が小さいため通常の七重塔ではなく五重塔であったと推測され、
元興寺(奈良県奈良市)の五重小塔がひな型になるとする説もある。
現在は礎石2個(1個は原位置)を遺存するほか、
発掘調査では青銅製の水煙破片が検出されている。

講堂

経典の講義・教説などを行う建物。
基壇は東西約30.6メートル(102尺)・南北50尺以上(60尺程度か)を測る。
基壇外側では、雨水に備えたと見られる玉砂利の集積が認められる。
基壇上面の残存状況が悪く礎石等の遺構が検出されていないため、
建物の規模・構造は明らかでない。
講堂の裏手には僧房の存在が推定される。

回廊

金堂・中門を結ぶ屋根付きの廊下で、金堂左右から出て中門左右に取り付く。
三河国分尼寺と同様に複廊式回廊になる。
基壇幅は約9.1メートル(30尺)、柱間は桁行方向12尺・梁行方向10尺。

南大門

寺域南面の築地塀に開かれた、国分寺の正面門。
基壇は東西約17.6メートルと推定されるが、南北は不明。
基壇上面の残存状況が悪く礎石等の遺構が検出されていないため、
建物の規模・構造は明らかでない。

築地塀

寺域を区画する塀。
東面では基底部幅3.0-3.2メートルを測る。

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