蜆塚遺跡(しじみづかいせき)




蜆塚遺跡(しじみづかいせき)

蜆塚公園 浜松市H.P
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/hamahaku/04smzkap/kouen.html

浜松市博物館へ行くため蜆塚遺跡へ、

雨のため詳しく見ることが出来ませんでしたが、

無料で見ることができ、気持ちの良い公園なので天気のいい日は…

お勧めです。

国指定史跡 蜆塚遺跡

(縄文時代 約3,000~4,000年前)

静岡県浜松市の中区にある蜆塚遺跡(しじみづかいせき)は、
木の実の採集や狩り・漁によって食料を得た時代のムラの跡です。
蜆塚遺跡では20数軒の家の跡や30ヶ所ほどの墓、4ヶ所の貝塚が発見されました。
貝塚のひとつは、発掘調査当時のまま保存され、ガラス越しに貝殻の堆積や
その間にはさまれている動物の骨や遺物を観察できます。
蜆塚遺跡は浜松市蜆塚公園として整備されています。
なお、蜆塚遺跡から発掘された土器や石器、装飾品は、蜆塚公園内に併設されている
浜松市博物館に展示してあります。

蜆塚遺跡(しじみづかいせき)は、静岡県浜松市中区蜆塚にある

縄文時代後期から晩期(約3~4千年前)頃の集落遺跡です。

この遺跡は比較的規模の大きい貝塚があることで有名な遺跡でもあり、

その多くが二枚貝の蜆(シジミ)で構成されていたことが

遺跡周辺の地域名「蜆塚」の由来になっています。

遺跡は明治時代から学界では知られていて、1959年に国の史跡に指定されました。

調査は数度にわたって実施され、平地式の住居跡が20数戸、墓地などの存在が明らかになり、

首飾りや貝製腕輪を身につけた人骨なども出土しました。

20世紀末の1983年に本格的な発掘調査が行われ、

縄文時代後期から晩期の勾玉や土器、鉄鏃などが出土しています。

これらの出土品の多くは遺跡南側に併設されている浜松市博物館に展示されています。

復元された住宅内に入ることもできます。

復元したムラ

1955(昭和30年)から4年間にわたる発掘調査によって、
6本柱と4本柱の四角な家のあとと、8本柱のまるい家のあとが
20数件みつかりました。
屋根や柱はくさってしまっていますが、想像すると木で骨ぐみをつくり、
草で屋根をふいたと考えられます。
蜆塚遺跡の発掘調査が行われてから、30年たったのを記念して、
1985(昭和60)年7月に、発掘調査でわかったことをもとにして
新しくつくりかえました。


蜆塚のムラ跡

蜆塚のムラ

4年にわらる発掘調査で、およそ3~4,000年前の家のあとが20数件みつかりました。
何回も建てかえたあとを調べてみると、このムラでは4〜5件の家で20人ぐらいが、
生活していたことがわかりました。
当時の人々は、平均して40歳ぐらいで一生を終わり、その墓はムラの中につくりました。
長さ150cm、幅80cm、深さ50cmほどの墓穴が30みつかりました。
くびかざりや貝のうでわを身につけた人骨などが掘り出されています。
なお発掘調査したあとは、うめもどしてあります。

蜆塚遺跡から掘り出されたもの

蜆塚遺跡から、人々が魚やけものをとるために、
石や骨で作った道具、木の実や貝などを煮たり、
たくわえたりするのに使った土器、人々が身につけた首さざりや
貝のうでわなどがみつかりました。
土器の形やもようのちがいから、およそ3~4,000年前の
ムラのあとであることがわかりました。
この遺跡から掘り出されたものは、遺跡の南側にある浜松市博物館に展示してあります。


四本柱の家のあと


旧高山家住宅

旧高山家住宅は博物館開館日の午前9時30分から午後4時30分までの間、

内部の見学ができますが、雨天の場合は閉鎖

残念ですが、今回は見ることができませんでした。

旧高山家住宅

この建物は、市内村櫛町で漁業・農業を営んできた
高山家の住宅として使われていたものである。
同家は安政(1854~1860)のころ分家し、その時、堀江(今の舘山寺町)
から古い建物を購入、移築したという。
小規模な民家建築であるが、これが江戸時代終わりごろの浜名湖東岸では
標準的なすまいであった。
屋内は、右手が土間、左手が前後2室の床上部分で四間取(田の字型血)
成立以前のかたちをとどめている。
(1980年、現在地に移築) 案内板より

旧高山家住宅

旧高山家住宅は、浜松市村櫛町にあった古民家の受贈をうけ、
蜆塚公園へ移築したものです。
1980年に移築工事を完了し、一般公開をおこなっています。
この住宅は、19世紀半ばの浜名湖東岸地域における、
最も標準的な農民の住宅の様相を示すものです。
旧高山家住宅の特徴は以下のとおりです。

19世紀半ばの農民の住宅である。
間口5間、奥行き約3間半で、現存する浜松市内の古民家のなかでは比較的小規模である。
間取りは、床上を前後2室に区切っただけの簡単なものである。
土間と背面の部屋の境は開放となり、視覚的に一体感があるが、
土間と前側の部屋の境は一部が壁でさえぎられる。
浜松市H.P より

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