犬山城・愛知県犬山市犬山北古券




犬山城・愛知県犬山市犬山北古券

国宝 犬山城

愛知県犬山市のシンボル「犬山城」へ

江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守であり

国宝天守5城のうちの一城、現存する日本最古の様式です。

別名、白帝城(はくていじょう)

織田信長の叔父信康が天文6年(1537年)、木曽川沿いの丘陵上に築城、

元和3年(1617年)尾張徳川家の付家老の成瀬氏が城主になりました。

木曽川のほとりの小高い山の上に建てられた天守閣からの眺めは絶景です。

犬山城、第一駐車場(一時間¥300-)の隣に「犬山神社

南の登城口には「三光稲荷神社」「針綱神社」が鎮座

いずれかを経由して鉄門へ向かいます。

愛知県犬山市のシンボル「犬山城」の南 登城口に「針綱神社」とともに鎮座する「三光稲荷神社」です。 かつては三狐山(三光山)に鎮座し、犬山城主織田信康の保護を受けていたといいます。江戸時代以降、犬山城主成瀬氏の守護神とされました。

犬山城の登城口にある「針綱神社」。春の犬山の風物詩、絢爛豪華な車山(やま)で有名な「犬山祭」は針綱神社の御例祭、平成28年12月には「ユネスコ無形文化遺産」に登録されました。

愛知県犬山市、針綱神社・三光稲荷神社と同じく犬山城の南 登城口近くにある犬山神社。 この地には犬山城の西御殿(平岩親吉の屋敷を移築した建物)が存在した場所です。

鉄門(くろがねもん)

鉄門(くろがねもん)前には入場券の販売所があります。大人は1人550円

国宝 犬山城

通称 白帝城

立地 平山城

天守構造 望楼型・三層四階地下二階・複合式天守

天守の高さ 約19m

築城年 天文6年(1537)

築城者 織田信康(織田信長の叔父)

廃城年 明治4年(1871)

指定文化財 国宝(天守)

主な城主 織田氏・池田氏・石川氏・成瀬氏

所在地 愛知県犬山市犬山北古券65-2

犬山城の歴史

犬山城は天文六年(1537年)に織田信長の叔父にあたる

織田与次郎信康によって造られました。

戦国時代なので、その後何代も城主が代わりましたが、

1600年の関ヶ原合戦の頃を中心に、城郭は整備されていきました。

小牧長久手の合戦(1584年)の際には、豊臣秀吉は大阪から

12万余の大軍を率いてこの城に入り、

小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。

江戸時代になり、尾張藩の付家老、成瀬隼人正正成が元和4年(1618年)

城主となってからは、成瀬家が代々うけついで明治にいたりました。

明治4年(1871年)九代目成瀬正肥のとき廃藩置県で廃城となり、

城門など天守閣を除く建物はほとんど取り壊されてしまいました。

明治24年の濃尾震災で天守閣の東南角の付櫓など、

ひどく壊れてましたので、それを修理する条件で

再び成瀬家所有の城となりました。

その後、伊勢湾台風などでも被害をうけましたが、

昭和36年(1961年)から40年まで4年間をかけて

解体修理をおこないました。望楼型の独立天守で、高さは24メートルです。

国宝に指定されている犬山城、松本城、彦根城、姫路城の四城のなかでも、

最も古い城であります。

平成16年4月、財団法人、犬山城白帝文庫が設立され、

城の所有は個人から財団法人になりました。

天守閣構造の大要

坪数 約二百坪

外観 三重(内部四階、石垣の中二階付)

内部

一階

納戸の間 百五十畳
中央部四室に区画した所があり、西南部に床が七寸髙く、

所謂、上段の間が南面して設けられ、天井 床の間 床脇等の痕跡もあり

特別室になっている。

創建当時の城主の居間でその北が武者隠の八畳で、

万一を警護する武士の詰所である。東二間は共に納戸で六畳と十畳とあり、

以上四室を取巻く二間巾の板の間は武者走りと言います。

二階

武具の間、百四十四畳 中央部が武具の間で西北東に武具棚があります。

三階

唐破風の間、二十八畳 小間合わせて四十一畳 外観二重の屋根裏に当る

四階

物見の段、二十八畳 四方に約半間の廻縁及勾欄あり展望がよろしい

天守の石垣

低いのは室町時代特徴であります

神木「大杉様」

天守の東方に櫓に囲まれた杉の木があります。

この杉は元々、犬山城よりやや背が高く、伊勢湾台風の際、

落雷があり枯れてしまいました。

それ以降、地元の住民は、杉の木が犬山城の身代わりになってくれたとして、

しめ縄をして祀っています。

武具の間

付櫓

この位置は東南のすみの突出部にあたり、

攻撃、守備用として造られたといいます。

突出部は下段に三ヶ所の連子窓がありそれぞれ遠くまで

見渡すことができます。

広さ 15.22平方メートル(8畳余)

唐破風の間

唐破風の間

ここは南北に唐破風の間を配置し東西を千鳥破風となっている。

当初天守築城当時はなく元和4年(1618年)から

貞享2年(1687年)にかけて、70余年の間に成瀬城主が装飾として

増築したものと伝えられております。

広さ 81.936平方メートル

成瀬家以前の城主

壁の上部には初代・成瀬正成から続く歴代城主の絵がかけられています

成瀬家は平成の世にあっても犬山城を所有し続け、

2004年に財団法人ができるまで唯一の個人所有の国宝でした。

成瀬家歴代城主

初代 成瀬正成
2代 成瀬正虎
3代 成瀬正親(まさちか)
4代 成瀬正幸
5代 成瀬正泰(まさもと)
6代 成瀬正典
7代 成瀬正壽(まさなが)
8代 成瀬正住
9代 成瀬正肥(まさみつ)
10代 成瀬正雄
11代 成瀬正勝
12代 成瀬正俊
13代 成瀬淳子 現(財)犬山城白帝文庫理事長

通常、天守にはフェンスが張ってあったりと安全ですが、

創建当時と同じ高さらしく、ひざぐらいまでの高さの手すりしか付いていません

そのためかなりの高度感、絶景を堪能できます。

城内と奥に尾張三山「尾張本宮山・尾張富士・尾張白山」

木曽川の堰にもなっている「ライン大橋」、

綺麗な円錐状の「伊木山(いぎやま)」

金華山に建つ岐阜城 方面

各務原アルプス

愛宕山(269m)、中央にあるピークが八木山(296m)

両山の間に挟まれた双子山(標247m)と合わせ八木山三山と呼ばれています。

御嶽山 方面

ツインブリッジ(新犬山橋)日本モンキーパークの観覧車も見えます。

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