猿啄城(さるばみじょう)・岐阜県加茂郡坂祝町勝山




猿啄城(さるばみじょう)・岐阜県加茂郡坂祝町勝山

猿啄城 Wikipedia

愛知 岐阜の県境を流れる木曽川

その木曽川が濃尾平野へと流れ出る手前にある城山(275.3m)は

通称「猿啄城(さるばみじょう)」と呼ばれる城跡です

ここは「各務原アルプス」と呼ばれる

各務原市内を東西に横断する山が連なっており、

その東の端にあるこの猿啄城には展望台も建っています

猿啄城の歴史

猿啄城の歴史

別の名を猿飛城、根尾山とも呼びました。記録によれば応永14年(1407年)の頃、西村豊前守善政の城であったそうです。下って享禄3年(1530年)から田原左衛門の居城となり、天文16年(1547年)には同族の多治見修理が謀反により城を奪いました。以後、18年間在城しましたが永禄8年(1565年)丹羽長秀は織田信長に命じられて東美濃を攻め、その諸戦で先陣の河尻秀隆(鎮吉)らが落城しました。このとき、信長は幸先よしと猿ばみ城の地名を勝山と改称、以後勝山城となりました。攻により河尻秀隆(鎮吉)は勝山城主となりましたが、天正3年(1575年)岩村城へ移るに及んで廃城となりました。

登山口

山頂までは30分程度、

登山道になるでそれなりの装備が必要です

国常立大神

展望台 城趾碑

猿啄城

猿啄城(さるばみじょう)は、現在の岐阜県加茂郡坂祝町勝山にある、室町・戦国時代の城である。別名猿ばみ城、猿飛城、勝山城。標高275.3mの勝山(城山)の山頂付近にある。猿啄城跡は、坂祝町指定史跡となっている。

岐阜県と愛知県の境の木曽川の北に位置する日本の城。この付近の木曽川(日本ライン)は急流であり、周辺は山となっている。このため飛騨国、東濃から美濃国、尾張国への重要な地点であった。標高265mの城山頂上には、展望台が設定されている。 Wikipedia

木曽川 坂祝町

木曽川の下流方面

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