信貴山城(しぎさんじょう)・奈良県生駒郡平群町




信貴山城(しぎさんじょう)・奈良県生駒郡平群町

信貴山城 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/信貴山城

信貴山頂上付近は信貴山城(しぎさんじょう)の史跡でもあります。

朝護孫子寺から歩いて20分ほど

信貴山城は大和と河内の国境にある生駒山系に属する信貴山(標高433m)

山上に築かれた山城である。

信貴山は大和と河内を結ぶ要衝の地で、

松永久秀は山上に南北700m、東西550mに及ぶ城郭を築いて、

大和経略の拠点とした。

信貴山中腹には、毘沙門天を本尊とする信貴山真言宗の本山である朝護孫子寺がある。

この寺は聖徳太子が物部守屋討伐の戦勝祈願をしたことに由来する。

信貴山城

平群町(へぐりちょう)指定文化財
平成5年4月12日指定
所在
平群町信貴山1308の1番地
所有・管理
信貴山歓喜院朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)

標高433mの信貴山雄嶽(おだけ)を中心とする山城で、
東西550m、南北700mにわたって120以上の郭を配し、
奈良県下最大規模を有する中世城郭。
空堀の切り通し堀、土塁、門等の城郭跡がよく残り、特に高櫓跡は著名で、
中世末、織豊期直前の山城跡として保存状況の極めて良好な例で貴重な遺跡。
信貴山は古代より河内と大和を結ぶ要衝地として幾たびか築城が繰り返された地である。
古くは天智期における高安城中心城域となり、
中世には護良親王が鎌倉幕府軍への対抗拠点とするなど戦略的に重要な位置にあった。
その後、戦国時代に木沢長政、松永久秀が築城入城し、
大和を抑える本格的な山城として整備される。
天正5年(1577)、松永久秀が織田信長に背き、
大軍の総攻撃を受け50日間籠城、10月10日に落城。
その後、廃城となる。

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