七面山 敬慎院・山梨県南巨摩郡身延町身延
山梨県南巨摩郡身延町身延にある日蓮宗の霊山 七面山(標高1989m)
敬慎院は山頂近くに伽藍を構え、
身延山と法華経の信仰者の守護を誓った七面大明神をお祀りしています
毎日多くの参拝者が登拝をしている信仰の山です。
七面山表参道の登拝口
ここから敬慎院まで50の丁石が続く
和光門
和光門・46丁目
つづら折れの道を曲がりますと、目の前に和光関と書かれた扁額のある門があらわれますが、これが和光門です。山頂の入り口で、このすぐ先が七面山本社のあるところです。 七面山 敬慎院H.P
鐘楼
鐘楼
和光門をくぐって坂を登りつめたところにあります。この梵鐘は登詣した人が自由に撞けます。仏と法(妙法)と僧に感謝の心をこめて撞きましょう。鐘は延宝3年(1675)の鋳造です。 七面山 敬慎院H.P
七面山 敬慎院
七面山敬慎院・50丁目
御来光遥拝所から随身門をくぐって石段を下ると真正面にあります。身延山久遠寺に属し、法主に任命された「別当」が運営しています。敬慎院の伽藍は七面大明神をまつる七面山本社を中心に、池大神宮、願満社、参籠殿からなっています。
その中心となるのは七面山本社で、東向きに富士山に向かって建てられており、七面造りといわれる独特の様式です。静まりかえる一の池を背にしてたてられているこの本殿は、周囲を圧するような荘重な景観をみせています。七面山 敬慎院H.P
七面山
日蓮大聖人と七面天女
日朗上人と南部実長公
願満稲荷社
池大神宮
池大神宮
本社の右手に池大神宮があります。池大神宮は七面山が開創される以前からこの山にまつられていたといわれますが、お池を守る神様として信仰されています。 七面山 敬慎院H.P
朗師堂
七面山を開山した日朗上人がお祀りされています。
回廊をくぐり一の池 滸まで
七面大明神(七面天女)出現 霊場です
一の池
一の池
本社正面右側に続く回廊をくぐりますと、高山には珍しい大きな池が見渡せます。その昔、日朗上人が登山してきてこの池のほとりに立ったところ、池に七面大明神が竜の姿で現れたと伝えられています。
いまでもある日突然に不思議な波紋が現れることがあると言われています。一の池は七面山信仰にかかわる存在で、池そのものが信仰の対象となっています。池は一年中かれることのない神秘的な水をたたえ、四季折々に幽玄なたたずまいをみせています。 七面山 敬慎院H.P
随身門
有名な随身門越しの額縁富士山
富士山の真西に位置、素晴らしいアングルです
随身門・49丁目
七面山の山頂にあります。右大臣・左大臣の御神像を安置した二間半の大きな門です。この随身門の前で御来光を拝するのですが、霊峰富士をはじめ、眼下には身延山や鷹取山の姿を望むことができます。大正10年に完成しました。 七面山 敬慎院H.P
二の池
二の池
七面本社の右手の道をしばらく進むと二の池があります。一の池にくらべると規模は小さいのですが、シラベ、ツガ、トウヒ、カラマツなどの木々がそびえ立ち、霧草がたれさがっている風景は一の池とはまた違った趣があります。 七面山 敬慎院H.P
二ノ池宮
七面山奥の院の縁起
七面山奥の院の縁起
身延のご草庵に九ヶ年の間住まわれ御修行されていた日蓮聖人は、常日頃から念じつつも七面山には遂に登ることができませんでした。
そこで、師孝第一と仰がれていた日朗上人(六老僧の一人)は、御遺志を継がれ南部波木井公らと共に始めてこの山へ登られました。当時は非常に険しく道なき山でしたので、一行は尾根伝いに登って来られたと云われます。
夕暮れ近くにやっとの思いで到着し一休みしていた時、此の大きな石の上に、何とも神々しい光を放たれながら七面大明神がお姿を現されました。
日朗上人はこの大きな石を影嚮石(お姿を現す石)と名付け、その前に祠を結ばれて七面大明神をお祀りし、「影嚮石」と名付けられました。
これが七面山奥の院の開創であり、永仁五年(一二九七)九月十九日であります。後に社殿は老朽化などで何回も改築され、参籠殿も時代と共に整備されるようになりました。
影嚮石
影嚮石
しめなわをはった巨大な石で、この石のところに七面大明神が現れ(影嚮)たと伝えられるところからこの名があります。石のまわりを7度唱題しながら廻るとご利益があるといいます。 七面山 敬慎院H.P
七面山 奥之院
奥之院
奥之院は本社から8丁ほどの距離を行った、影嚮石の前にある社殿です。七面大明神をまつる七面宮と参籠殿からなる眺望のよい堂舎です。 七面山 敬慎院H.P
裏参道(北参道)登拝口にある両部鳥居
神通坊境内を抜けた先にあります
七面山 敬慎院 御朱印