七面山(1989m) 登拝・表参道 北参道 周回




七面山(1989m) 登拝・表参道 北参道 周回

七面山 Wikipedia

日蓮宗の霊山 七面山へ

表参道から北参道(裏参道)を周回してきました

七面山(ひちめんさん)

標高 1989m 登山日 2019年12月6日
法華経を守護する七面大明神を祀る山岳信仰の山
所在地 山梨県南巨摩郡身延町身延

難易度 ★★    オススメ ★★★ 登山口(ナビ検索) 羽衣 登拝口
神力坊(2丁)(06:02)→肝心坊(13丁)(06:28)→中適坊(23丁)(06:51)→晴雲坊(36丁)(07:27)→敬慎院(08:09)→七面山(山頂標柱場所)(08:55~09:10)→敬慎院(09:42~09:55)→七面山二ノ池(10:03)→敬慎院奥の院(10:13~10:17)→七面山北参道登山口(12:18)→七面山表参道登山口(12:53) 所要時間 6時間56分 累積標高 1665m / 1681m 距離 15.9m
■七面山(しちめんさん)は山梨県南巨摩郡にある山。山頂付近に1982.4mの三角点があるが、登山道からやや離れたところにある最高地点の標高は1,989mである。山頂付近が身延町の飛び地となっており、山頂は身延町と早川町の境になる。東側は身延山、富士川を隔てて天子山地と対峙し、西側には笊ヶ岳、青薙山など、赤石山脈南部、白峰南嶺の山々が連なる。 頂上には一の池、二の池、三の池等、池がある。一の池正面の祠には水晶玉が祀られている。
■文永11年(1274年)に日蓮が開いた日蓮宗の総本山である身延山久遠寺の奥の院にあたる信仰の山で、日蓮書状(「日蓮上人遺文」)にも記されてており、日蓮の高弟である日朗が開いたといわれる。各所に崩落が見られるため「ナナイタガレ」「オオガレ」とも呼ばれ、日蓮書状にも崩落の様子が記されている。 山頂近くの標高1700m付近には敬慎院があり、多くの人が宿坊に宿泊する。敬慎院から山頂付近にかけては富士山の好展望地として知られる。 富士山のほぼ真西にあるため、春分・秋分の日には、富士山山頂からのご来光が望める。 敬慎院には名物とも言える非常に長い敷布団があり、宿泊者はその布団に並んで寝る。なおその敷布団を収納する際はロール状に丸めていく。 奥の院には影嚮石(ようごうせき)という七面天女由来の磐座があり、その周りを回りながら願い事をするとよいという。日本二百名山の一つにも選定されている。
■身延山詣りの信者が、帰りに赤沢の宿を経て春木川に降りて、今度はこの山に登拝したという。表参道の入り口には、お万ノ滝がある。徳川家康の側室、お万の方が滝に打たれ、やっと女人解禁、七面山に登ったという。杉木立の中、登拝道を五十丁目石に励まされて、お題目をとなえながら敬慎院を目指す。ここの日の出迎拝台に立つと、春秋、彼岸の中日には、富士山の頂上からの日の出を拝める。日が昇り、随身門を抜けて敬慎院本堂に日が差し込む
■ー

日本百名山』(にほんひゃくめいざん)は、小説家、随筆家の深田久弥の著した山岳随筆。文筆家で登山家でもあった本人が、実際に登頂した日本の各地の山から自身が定めた基準で、100座を選び主題とした随筆集。

表参道 羽衣の登拝口

ここから敬慎院まで50の丁石が続く

2丁目・神力坊

神力坊・2丁目

身延山12世円教院日意上人の代に創立され、神力坊という称号は身延山33世遠沾院日亨上人の代につけられたものです。ここから登詣道がはじまるので、参拝者が道中安全を祈念して出発する場所です。神力坊の本堂には日蓮聖人の木造とともにお萬の方の木像が安置されています。また七面山の守護神であり、七面山登詣者の守護神でもある伽藍坊大善神の木像が登詣道をはさんだ向かいの堂にまつられています。ここでは参籠ができ御祈祷も修します。

七面山 敬慎院H.P

13丁目・肝心坊

13丁目 肝心坊まで来た頃に日の出

天明2年(1782)6月、日行法師の創立されたそうです

23丁目・中適坊

享保8年(1723)3月、蓮信法師の創立

甲府盆地

南アルプス 方面

一丁目毎に標語があります

雲海に突き出た富士

36丁目・晴海坊

文化元年(1804)善心日修法師の創立

和光門

荘厳な和光門 ここから院内へ

七面山 敬慎院

山梨県南巨摩郡身延町身延にある日蓮宗の霊山 七面山(標高1989m) 敬慎院は山頂近くに伽藍を構え、身延山と法華経の信仰者の守護を誓った七面大明神をお祀りしています毎日多くの参拝者が登拝をしている信仰の山です。

敬慎院から続く階段を登る

有名な随身門越しの富士山

富士山の真西に位置し、素晴らしいアングルです

富士山、天子山塊の毛無山・雨乞岳が印象的

手前には身延山

随身門

山頂方面へ、人に慣れた鹿

カラマツの美しい森

サルオガセ

ガレの脇を登って行く

七面山大崩れ(ナナイタガレ)上部より

駿河湾まで見渡せるが、終始 落石の音が響く

山頂に近くと南アルプスな雰囲気に

七面山(1989m)山頂

二等三角点

再び随身門前の展望ポイント

秩父の名峰群

先程よりクリアに

敬慎院では朝の読経中

一の池

七面大明神(七面天女)出現 霊場です

二の池

二の池には二ノ池宮

影嚮石

七面天女由来の磐座

七面山 奥之院

七面山奥の院の縁起

身延のご草庵に九ヶ年の間住まわれ御修行されていた日蓮聖人は、常日頃から念じつつも七面山には遂に登ることができませんでした。
そこで、師孝第一と仰がれていた日朗上人(六老僧の一人)は、御遺志を継がれ南部波木井公らと共に始めてこの山へ登られました。当時は非常に険しく道なき山でしたので、一行は尾根伝いに登って来られたと云われます。
夕暮れ近くにやっとの思いで到着し一休みしていた時、此の大きな石の上に、何とも神々しい光を放たれながら七面大明神がお姿を現されました。
日朗上人はこの大きな石を影嚮石(お姿を現す石)と名付け、その前に祠を結ばれて七面大明神をお祀りし、「影嚮石」と名付けられました。
これが七面山奥の院の開創であり、永仁五年(一二九七)九月十九日であります。後に社殿は老朽化などで何回も改築され、参籠殿も時代と共に整備されるようになりました。

笊ヶ岳

奥之院 裏から北参道(裏参道)へ

30丁目・明浄坊

七面山の裏参道入口から登り、30丁目に位置している坊

七面山の大トチノキ

七面山の大トチノキ

トチノキ科のトチノキ、安住坊の庭の西方、一段と高い所に立っている。ここは七面山裏参道19丁目、標高1,000mの所である。根元の周囲8.10m、目通り幹囲6.80m、太い幹は地上約9mで折れ、地上3mから上方で枝を四方に出し、枝張り東方13m、西方9.5m、南方8m、北方10m、樹高約25m、外見ではわからないが、幹の中は空洞になっている。樹勢盛んで、5月下旬沢山の花をつける。
七面山の開創は日蓮上人の高弟の日朗上人と南部実長公といわれているが、このトチノキはその日朗上人お手植と伝えられている。もしこれが真であるとすれば樹齢は700年近いことになる。トチノキの巨樹として県下の代表的なものである。 早川町役場H.P

19丁目・栃之木安住坊

この坊の名は、日朗上人のお手植えといわれる大きな栃の木(山梨県指定天然記念物)

に由来します

麓に近付くと紅葉も少し

綺麗な杉の参道

紅葉の身延山

一丁目には お地蔵様

神仏習合色の強い両部鳥居

神通坊

神通坊の境内を経て、羽衣の登拝口へ

羽衣 登拝口

角瀬から赤沢宿に寄って来るべきだったと後悔

白糸の滝とお萬の方像 を見て帰路へ

羽衣白糸の滝

山梨県南巨摩郡早川町赤沢の羽衣にある「羽衣白糸の滝」七面山表参道の登拝口近く春木川に注ぐ滝で、古くから信仰の対象となっています。 別名「雌滝」とも呼ばれ約200m上流に「雄滝」がある。傍らには七面山の女人禁制を解いたことで知られる徳川家康の側室・お萬の方の銅像が立つ。

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