平山洒水の滝 不動尊 常実坊(最勝寺)・神奈川県足柄上郡山北町平山




平山洒水の滝 不動尊 常実坊(最勝寺)・神奈川県足柄上郡山北町平山

東光院の別院「丹沢山別院 最勝寺

日本の滝百選にも選ばれている『洒水の滝』は最勝寺の境内にあります

洒水の滝は、鎌倉時代に源頼朝に挙兵を勧めた文覚上人が

百日の荒行をしたと伝えられる滝です

東光院は文覚上人をしのんで昭和56年に竹林を切り開いて、

別院の最勝寺を開山しました。

境内には、『常実坊』という文覚上人ゆかり、

洒水の滝を祀っている寺院もあります。

平山洒水の滝不動尊常実坊
洒水の滝傍らにあり滝堂とも呼ぶ龍王山誓源寺と号し天台宗なり。古くは平山原480にあり、明治21年頃平山の住人古瀬喜作氏の寄進である現在地に建立される。往昔、文覚上人百日の荒行をなせし時の御作不動明王を安置すと云う。これより洒水の滝不動尊と呼ぶようになり、霊験あらたかにして足柄地域はもとより遠く京浜地域までその信者多く集うようになる。明治6年時の大僧正・桜井敬徳、元老院議官・町田久成両氏の紹介により滋賀県大津の円城寺(三井寺)の山中より常実坊を遷座奉る。これより平山洒水の滝不動尊常実坊とよぶようになる。伝文覚上人御作不動明王像おん丈53cm、石刻座像、一部色彩色。素朴な厨子に鎮座し、前にせいたか、こんからの両童子控う。上人は平安末期から鎌倉初期の真言僧、俗名遠藤盛遠、元上西門の北面武士、誤って袈裟御前を斬り一念発起得度し熊野、高雄を初め山岳修験を重ね験力著しき修験者となった。神護寺再興について後白河上皇の忌避にふれ伊豆に流されている。この頃頼朝の知遇を得る。当地の修法はどの頃か詳らかざるもこの頃であろう。

常実坊

文覚

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・真言宗の僧。俗名は遠藤盛遠(えんどうもりとお)。摂津源氏傘下の武士団である渡辺藤・遠藤氏の出身であり、北面武士として鳥羽天皇の皇女統子内親王(上西門院)に仕えていたが、19歳で出家した。京都高雄山臣護持の再興を後白河天皇に強訴したため、渡辺党の棟梁・源頼政の知行国であった伊豆国に配流される(当時は頼政の子源仲綱が伊豆守であった)。文覚は近藤四郎国高に預けられて奈古屋寺に住み、そこで同じく伊豆国蛭ヶ島に配流の身だった源頼朝と知遇を得る。のちに頼朝が平氏や奥州藤原氏を討滅し、権力を掌握していく過程で頼朝や後白河法皇の庇護を受けて神護寺、東寺、高野山大塔、東大寺、江の島弁財天など、各地の寺院を勧請し、所領を回復したり建物を修復した。

丹沢山別院最勝寺

丹沢を守護する東寺真言宗の東光院の別院「丹沢山別院最勝寺」

日本の滝百選にも選ばれている『洒水の滝』は最勝寺の境内にあります

洒水の滝

洒水の滝(しゃすいのたき)は神奈川県山北町平山地区を流れる洒勾川の支流、滝沢川に懸かる三段の滝、「日本の滝百選」の他「かながわの景勝50選」、その水は「名水百選」にも選ばれています 鎌倉時代に文覚上人が修行した事でも知られています七月の第四日曜日には、滝祭りが行われ勇壮な「滝太鼓」が演じられ多くの人で賑わいます。

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