矢岳山(926.9m)・静岡県浜松市天竜区佐久間町
峰 集落より望む「矢岳山」
天竜区佐久間町の「矢岳山」へ
佐久間湖を隔て愛知県の「離山」と対峙する県境の山です。
県道290号(水窪羽ケ庄佐久間線)沿い、二本杉峠付近 羽ヶ庄の登山口より
矢岳山(やたけさん)
標高 926.9m | 登山日 2020年5月3日 |
悲しい伝承が残る 県境の静かな山 | |
所在地 静岡県浜松市天竜区佐久間町佐久間 |
難易度 ★★ オススメ ★ | 登山口(ナビ検索) 二本杉峠 |
スタート地点(08:20)→矢岳山(09:38)→ゴール地点(11:04) 所要時間 2時間43分 累積標高 685m / 683m 距離 4.4km | |
■矢岳山へは、二本杉峠付近の羽ヶ庄・北条峠からそれぞれ登山口がある。 ■国道152号 佐久間町戸口の大井橋から国道473号方面へ、さらに県道290号(水窪羽ケ庄佐久間線)より 二本杉峠にアクセス ■ー ■ー |
矢嶽山藤づるの橋
矢嶽山藤づるの橋
鎌倉に幕府ができる少し前のことじゃった。武将の妻と家来五人がこのむかいの山の矢嶽山ににげてきてな、追ってきた七十五人の敵をにわかづくりの藤づるの橋に誘いこんで切り落としたんじゃ。谷底に落ちた武士めがけて矢嶽山の頂上から石をころがり落としたのでたくさんの血が流れてな、七日七夜も川は真赤だった。それでこの谷に流れる川の名は「厚血川(河内川)」になったと。
(佐久間昔ばなしより)佐久間町
佐久間の民話「谷嶽山 藤づるの橋」
源平の動乱の際、粟津の戦いで木曽義仲の軍が敗れ、大勢の家来たちも命を落としました。その中の侍の奥方が伊藤兵部五郎らの家臣に守られながら、羽ヶ庄近くまで落ちのびて来ましたが、羽ヶ庄にも75人の追っ手がすぐ近くまで押し寄せて来ていました。兵部五郎も味方と敵の人数を比べ、もはやこれまでと覚悟を決めましたが、主人や奥方のご恩に報いるためにも少しでも敵を苦しめてやろうと考えました。やがて兵部五郎を先頭に、山中に豊富にある藤のつるが集められ、山へ登って来る途中のがけに橋がかけられました。山頂にかがり火をたかせ、かたずを飲んで敵の動きを待ちました。山の頂に赤々と燃える火を見つけた追っ手の侍たちは、いっせいにかがり火めざして登り始め、藤づるの橋にさしかかりました。罠とは知らない侍たちは手がらをわがものにしようと、勢いこんで橋を渡り始め、ちょうど橋の中ごろにさしかかった時、橋のわきに隠れていた兵部の手の者が力をこめ一刀のうちに藤づるを切り落としました。追っ手の者はどうすることもできず、谷底にまっさかさまに落ちていきました。75人が命を落とした谷の水はくる日もくる日も血で赤く染まり、その川は七日七夜、赤く流れ続いていたそうです。このことから、この川は「厚血川」と呼ばれるようになったということです。 浜松だいすきネット より
登山口
県道290号(水窪羽ケ庄佐久間線)
羽ヶ庄(はがしょう)の登山口より
一旦、河内川まで下る
河内川
「厚血川=河内川」の地名由来を聞くと近寄りがたい雰囲気ですが、
羽ヶ庄の北には、鉄鉱石採掘を推測させる芋堀(いもほり)の地名があり、
鉄分の多い土砂が赤い水となって流れ出し、人々を驚かせたのではとも記述もあります。
河内川からは踏み跡・テープもあり
比較的歩きやすい登山道
イワカガミ
標高差500mの急登
唯一展望のあった地点より、亀ノ甲山 方面
ツツジ
矢岳山(926.9m)山頂
三等三角点(黒下)
国土地理院発行の地図では「矢岳山」とありますが、
以前は「谷嶽山」と表記されていたそうです。
二本杉峠にある神社へお参り
秋葉三尺坊大権現・金比羅大権現