宮口六所神社・静岡県浜松市浜北区宮口




宮口六所神社・静岡県浜松市浜北区宮口

静岡県浜松市浜北区宮口に鎮座する「宮口 六所神社

創建は不詳、延喜式「多賀神社」とされていますが、他の神社にも比定する説もあります。

御祭神は「底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神・

底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命」の六柱。

旧 麁玉郡、「宮口村・新原村・灰ノ木村・堀谷村・大平村」の、

五か村を包舎した氏神様をお祀りします。

9月に開催される例大祭では、宮口地区の屋台が広い境内に集結します。

境内の掛林は浜松市保存林に指定されています。

宮口六所神社 参道

天竜浜名湖鉄道(宮口江家)から北に進んだ先に「宮口 六所神社」の参道とぶつかります。

献灯された常夜灯が立ち並ぶ広い参道です。

興覚寺

参道の途中には、応永年間(15世紀初期)創建と伝わる

臨済宗方広寺派の寺院「興覚寺」があります。

境内には宮口三十三観音のうち、五体(二十四番~二十八番)の石仏が置かれています。

また、興覚寺の背後には、「興覚寺後古墳」・「大屋敷墳墓」があります。

「興覚寺後古墳」は、古墳時代後期6世紀前半に築かれた全長35mの前方後円墳。

県内最大級の横穴式石室を有する古墳で、馬具直力、須恵器などが出土しています。

興覚寺後古墳の下には「大屋敷墳墓」があります。

鎌倉時代に造られたと考えられる墳墓で、石を積み上げた一辺約3m四方形の集石墓。

中心に組合式五輪塔が置かれています。

興覚寺後古墳

浜松市指定史跡

興覚寺後古墳

昭和六十一年六月四日指定

全長三三mの前方後円墳です。墳丘は前方部を西に向けています。後円部には死者を葬った横穴式石室があります。石室は南向きに閉口していて、片袖式石室と呼ばれる形状をしています。この石室は横穴式石室の中でも古い特徴を持っていることから、遠江における導入期の横穴式石室であるということで注目されています。昭和六十一年度に発掘調査が行われ、石室内から金銅張の馬具をはじめ、太刀や鉄鍬などの鉄製品、玉類、須恵器が出土しました。古墳の建築時期は六世紀前半(古墳時代後期)と推定されています。この古墳は、当時この地域における有力者の墓と考えられています。

平成十五年三月 浜松市教育委員会

宮口六所神社 9月に開催される祭典では、宮口地区の屋台が境内に集まる。境内の掛林は浜松市保存林に指定されている。由緒

社標

一、神社名 六所神社(旧郷社)

昔麁玉郡・宮口村・新原村、灰ノ木村、堀谷村、大平村の五か村を包舎した大氏神様であります。

ニ、御祭神並びに由緒

底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神
底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命
此の六柱の大神は神世七代伊邪那岐の大神中つ瀬に降り禊ぎ給りてなりませる神にして国造りされた御祭神であります。昔多賀神社とも申し えられて遠州国式内社六十二座社の内の一社でありまして明治四十年九月から昭和二十年まで県より幣帛供進使が参向しました。
三、御祭事
1 例大祭 九月第一土・日
2 春祭(新年祭) 二月十一日
3 秋祭(感謝祭) 十一月二十三日
4 七五三詣 入学報告、成人祭、結婚式、長寿祭等、人生儀礼の御祭事も随時行われています。大祭には歌舞伎、花車等の神賑しで有名でありました。
四、御神徳
商業高校の私達を御守護して下さった先程代々の方々が大氏神として厚い信仰を捧げて来られ現代の私達も亦これを後代に博えて毎日を幸福にくらすように心がけていきたいと思います。
平成十四年九月吉日 六所神社

宮口 六所神社 拝殿

宮口 六所神社は式内社の多賀神社に比定する説と、

若倭神社(先程の八幡神社)に比定する説があります。

「麁玉村誌」には「元六所大明神と称し、延喜式の遠江六二座の一つ、麁玉郡多賀神社

と称するもの之なり明治六年郷社に列せられ六所神社と改称す」と記されています。

また、「遠江国風土記伝」によると、六所明神の社が申堂(庚申寺)の北東にあり、

申堂と合わせて式内社若倭神社に比定しています。

本殿・境内社

境内と御神木

六所神社の東参道を抜け、 国道326号から高根山へ東参道

  • このエントリーをはてなブックマークに追加