黄檗宗 都智山 白岩寺・岡県島田市御仮屋町
静岡県島田市御仮屋町にある黄檗宗 都智山 白岩寺(はくがんじ)です
円山応挙作の幽霊の掛け軸が納められていることでも有名です
白岩寺の境内からは、上にある白岩寺山「白岩寺公園」(160m)
さらに八幡山(211m)まで続くハイキングコースが整備されています。
黄檗宗 都智山 白岩寺
今も残る 円山応挙作と云われる幽霊の掛け軸
白岩寺は、隠元禅師を宗祖とする黄檗宗の末寺で、山号は都智山。隠元禅師の法統を継ぐ宝山最頂禅師が、当時の島田代官長谷川藤兵衛と小塩孫十郎真之の助力により寺は建立されました。
白岩寺の寺号は以前、島田北部の伊太村白岩に朽ちかけた禅寺があり、その堂の再興を意味することと、地名をとって白岩寺と名付けられました。
正徳4年の火災で伽藍が焼失し、彦根城主井伊候の寄進により間もなく再建されました。
境内地にある地蔵堂の本尊地蔵菩薩は慈覚大師の作と言われ、井伊候の婦人 栄香院殿が寄附されたものです。また、堂内には千体地蔵菩薩、弘法大師の木像などが安置されています。
白岩寺の秘蔵に、円山応挙の筆と云われる、乱れ髪の湖畔に立つ幽霊の掛け軸があります。
この掛け軸は画に精魂が宿っているのか、掛け軸の代々の持ち主に不思議な出来事が起るため、転々と人から人に譲り渡され、最後に白岩寺に納められることとなりました。
西国三十三ヶ所のお地蔵様
白岩寺から白岩寺山(白岩寺公園)へと登っていく途中に「愛宕大権現」
愛宕大権現由来記
火災除、鬼門除として霊験あらたか
愛宕大権現由来記
これは宝永七年(約二六〇年前)当時三世妙童浮慧和尚が七代将軍徳川家継の病気平癒を祈るために大老井伊掃頭奈直治に招かれて江戸桜田の邸で
大般若経を誦じたとき将軍の守本尊の愛宕権現が霊験をあらわして病気は平癒された。それで将軍からこの尊像をよく祀るようにと言われて、将軍の小袖、団扇と硯箱を添えて和尚にたまわった。妙童和尚はただちにこれを当山の山上に紀り、その後六十一年ごとに開帳が催されてきたものである。堂は初め山上に祀られてあったものが、大正十五年四月の開帳の際に現在の位置に修築移築されたものである。当権現は島田、金谷両町の鬼門除けとして尊ばれ、また鎮火の神として護符をうけるものも多く、また神舟行出漁にもその神札を携えて安泰を期して、二百年にわたって霊験あらたかなものであった。明治初年に神仏混淆の祭事が法令で禁じられてから、一時は当寺の管理を離れていたが、この由緒ある尊体の祭事を絶つことは忍びがたいものとして、仏体をもってまつり、信徒の寄進で、その年再建をみたものである。以末毎年四月三日を縁日として、参詣の喜男喜女で賑わっている。
愛宕大権現由来記
愛宕大権現由来記
宝永七年(1710)年、白岩寺二世妙童浮慧和尚が徳川家継の病気平癒のため、江戸で大般若経を誦じた。すると、家継の守本尊である愛宕権現の霊験により病気が平癒した。それで将軍からこの尊像をよく祀る様にと和尚に宝物と共に賜った。和尚はこれを当時からこの島田金谷両町の鬼門除けとしても尊はれ、さらに鎮火の神舟行出漁の安泰を期して御神礼を携えるなと、二百余年にわたり霊験あらたかであった。
大正十五年(一九二六)年 山上から現在地へ再建された。
平成二十四年一月 老朽化の為現在の姿に再建される。
愛宕大権現
白岩寺山(160m)「白岩寺公園」
島田市街と大井川の奥に牧之原台地
手前は大津谷川、奥に富士山静岡空港が見えます