高根山(447m) 大洞山(930.35m) 井戸口山(1169.23m) 扇平山(1168m) ナダクマシロ山(1418m) 常光寺山(1438.94m) ナダクマ山(1081)




高根山(447m) 大洞山(930.35m) 井戸口山(1169.23m) 扇平山(1168m) ナダクマシロ山(1418m) 常光寺山(1438.94m) ナダクマ山(1081)

高根山(たかねやま)

標高 447m 登山日 2022年10月22日
高根城跡 水窪100山の一座
所在地  静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方

大洞山(おおぼらやま)

標高 930.35m 登山日 2022年10月22日
三等三角点(栃窪) 水窪100山の一座
所在地  静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方

井戸口山(いどぐちやま)

標高 1169.23m 登山日 2022年10月22日
二等三角点(山住山) 水窪100山の一座
所在地  静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方

扇平山(おおぎだいらやま)

標高 1168m 登山日 2022年10月22日
水窪100山の一座
所在地  静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方

ナタクマシロ山

標高 1418m 登山日 2022年10月22日
 水窪100山の一座
所在地  静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方

常光寺山(じょうこうじさん)

標高 1438.94m 登山日 2022年10月22日
 三等三角点(常光寺) 水窪100山の一座
所在地  静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方

ナタクマ山

標高 1081m 登山日 2022年10月22日
 水窪100山の一座
所在地  静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方

難易度 ★★★   オススメ  登山口(ナビ検索) 高根城公園駐車場
スタート地点(06:59)→大洞山登山口(07:08)→高根山(07:17)→大洞山(08:49)→井戸口山(10:09)→山住峠(10:43)→家老平(11:01)→扇平山(11:15)→ナダクマシロ山(11:49)→常光寺山(12:09~12:29)→ナダクマ山(13:21)→林道終点(13:50)→上村公民館(14:31)→ゴール地点(14:39) 所要時間 7時間39分 累積標高 1910m / 1903m 距離 21.8km
■ー

水窪百山」は、NPO法人「山に生きる会」の皆さんが調査・整備を主目的としてリストアップした山のリストです。

高根城公園駐車場

未踏の大洞山から山住峠、常光寺山への周回ルートを計画し

早朝「高根城公園駐車場」まで

ここから城跡への散策コースが整備されています。

高根城跡は発掘調査をもとに城郭の復元整備が行われ、

本曲輪部分には、井楼櫓、城門などが復元されています。

高根城(久頭郷城)の歴史と構造

高根城は遠江最北端に位置する山城で、標高420m・比高150mの通称三角山の山頂部を中心に築かれている。城址からは水窪町中心部及び北遠江と南信濃を結ぶ主要街道を見下ろすことが出来る。高根城はこの1本の主要街道を押さえることと、信濃国境警備を目的として築かれた城である。
城は山頂部に本曲輪・二の曲輪・三の曲輪を南北に配し、各曲輪には堀切が設けられている。南端部に城域を区切るために真中に土塁を挟んだ二重堀切が設けられ北側堀切は三の曲輪を取り巻くようにU字を呈している。城の東西に位置する崖地形を生かし、巧みに堀切を取り入れたコンパクトな姿は、戦国期の形態をよく残す。
城の創築は、出土遺物から15世紀前半、地元国人領主奥山氏が築いたと考えられる。その後、今川氏親等から安堵状を得ているため15世紀末頃から今川配下に組み入れられたと思われる。奥山支配は今川家の没落と、武田氏・徳川氏の台頭があった永禄年間後半頃に大きく変化することになる。「遠江国風土記伝」によると、永禄年中(1558~70)に、信州の遠山土佐守に攻められ落城したと伝わる。永禄12(1569)年には、今川氏真・徳川家康双方から所領安堵状を、元亀3(1572)年には武田信玄からも安堵状を得ている。遠州?劇の頃、奥山氏内部で、今川・徳川・武田のどこに組するかで内部分裂が起こり、奥山惣領家が滅亡し、最終的に傍系が武田配下に組み込まれた可能性が高い。
元亀3年8月には、武田軍が在番することが可能な城となっていたことが、高遠城の保科筑前守に対した武田信玄の28カ条の軍役条目から判明する。天正4(1576)年遠江から武田勢力が一掃される。高根城も、この時点で廃城となったと推定される。現在見られる高根城は、出土遺物やその構造から、元亀2年~天正4年の間に、武田氏の手によって、現在見られる姿に大きく改修されたのである。
江戸時代に奥山氏を祭る稲荷神社が造られ、現在も山頂に稲荷が祭られている。この稲荷神社に伴う改変を若干受けているが、武田氏の原型を良く留めていると評価されよう。
平成6年~11年にかけて、本曲輪を中心に発掘調査が実施された。この調査によって本曲輪から礎石建物1棟、堀立柱建物2棟(内1棟は、2間×2間の井楼櫓と推定)、礎石城門1基、堀立柱城門2基、柵列1条が検出された。また本曲輪の南側下段から、堀立柱城門1基、柵列1条、木橋跡、梯子跡も確認されている。最も注目されるのは、各曲輪を結ぶ城内道が完全な形で検出されたことである。幅約1間の道は、三の曲輪から土橋を利用し二の曲輪東中段を真っ直ぐ通り、梯子によって二の曲輪下段へと上がる。ここからは木橋を通り、直角に曲がり、城門をくぐり、更に三度直角に折れ曲がり、本曲輪搦手門へと至る構造であった。全国的にみても、完全な形で城内道が検出された事例はなく戦国期の城内構造を知る貴重な遺構と評価される。
出土物は、①城郭創築以前の遺物②奥山時代(15世紀前半から16世紀中頃)③武田時代(16世紀後半)④廃城後(江戸時代以降)の遺物が出土しているが、約8割が②の奥山時代の遺物であった。
発掘調査に併せて実施された整備事業で、礎石建物1棟、堀立柱建物1棟(井楼櫓)、城門4基、柵列2条が復元された。復元考証は、三浦正幸広島大学教授と織豊期城郭研究会が行った。なお、安全柵として本曲輪を囲む土塀、二の曲輪、三の曲輪を囲む柵列が模擬復元された。また本曲輪には管理施設が置かれている。
城内道は、位置はそのままで復元されたが、梯子、木橋については安全上の観点から現代工法によった。二重堀切を渡る木橋は遺構を保護するためと、南からの通路を確保するために設けられた新たな施設で、本来ここに位置していたものではない。

大洞山 登山口

城跡を見学して行く予定でしたが、先が長いのでスタート地点を変え

「林道 立山線」起点より。

大洞山の登山口を過ぎると高根城公園 東側登城口へ

林道終点 高根城登城口

高根城跡 (たかねじょうあと)(浜松市天竜区水窪町地頭方)
昭和57年2月16日 市指定史跡

高根城跡は、久頭合の山頂、標高420mに位置しています。南北朝時代、後醍醐天皇の孫尹良(ゆきよし)親王を守るためにこの地の豪族である奥山金吾正定則が応永21年(1414)に築いたといわれています。ここから一望できる水窪川の対岸には奥山氏が親王のために仮宮を建てた内裏(大里)と、御旗を掲げた場所(小畑)が地名に残っています。戦国時代、この地域に権力を及ぼしていた今川義元が桶狭間の戦いで敗退し、三河の徳川家康や甲斐の武田信玄の力が及ぶところになりました。永禄12年(1569)高根城主民部少輔貞益の時、信州遠山郷の遠山土佐守に攻められ落城しました。高根城落城後、元亀3年(1572)、武田軍の別動隊は青崩峠を越えて遠江へと侵攻しました。この時すでに高根城は武田の手が加わり、さらなる遠江侵攻を目指す武田軍の拠点として大改修が行われていたと考えられます。
発掘調査をもとに城郭の復元整備が行われ、本曲輪(ほんくるわ)部分には、井楼櫓(せいろうやぐら)、主殿、城門などが復元されました。

高根山(447m)

高根山 (標高447m) の山頂は東屋があるこの辺り

山標は復元された本曲輪部分にあるようです。

高根城登城口の先、「林道 立山線」の終点から尾根に取付き

大洞山の一般道へ合流しました。

踏み跡も明確な登山道です。

放置されたテレビケーブルの中継版や拡声器などがあり、

この辺りから尾根は急に細くなっていきます。

何個かゴブを越えて行きます。

良い感じ岩尾根、

イワカガミの葉も沢山、花の時期には綺麗だと思います。

登り進めると一部紅葉し始めていました。

眼下に水窪(城西)の町並みがみえます。

さらにその先に急な岩場があります。

ここが核心部、右にトラバースが付いているのですが、

足場も悪く数十メートル切れ落ちています。

過去には事故も起きており、通過には細心の注意が必要です。

最後、山頂手前に巨岩がありますが、

こちらは右に安全な巻道が付いています。

大洞山(930.35m) 三等三角点(栃窪)

山頂から100m弱下り鞍部へ

向皆外(むかがいと)からのルートもあるそうです。

P1129付近は苔の森

井戸口山・竜頭山・大洞山 分岐より

山頂周辺に以前は無かった林道が出来ていてビックリ!

スーパー林道天竜線から続いていました。

井戸口山(1335.28m) 二等三角点(山住山)

山住山とは常光寺山の別名だが、

三角点の点名は井戸口山が山住山とややこしい。

山頂より竜頭山

天竜スーパー林道(スーパー林道天竜線)を歩き山住峠へ

起点は国道152号(秋葉街道)から天竜川に架かる雲名橋、

ここから秋葉山本宮秋葉神社を経て龍山町・春野町・佐久間町の境界を抜けて

水窪町の水窪ダムまで続く延長全長約53kmのスーパー林道(特定森林地域開発林道)です。

常光寺山(左)ナダクマシロ山(右)

山住峠の駐車場からは双耳峰のような「常光寺山」と「ナダクマシロ山」

下山はこの尾根を下ります。

山住峠

山住神社

浜松市天竜区水窪町山住に鎮座する「山住神社」です。

「山住神社」は山犬(狼)を祀る神社として有名。

山門の前には狼狛犬が安置されています。

元亀3年(1572年)、武田勢に追われていた徳川家康が山住に逃げ込んだときに、

山犬が一斉に吠えて武田勢を退散させたとされ、

三方ケ原の戦いの後、家康より二振りの刀剣が奉納されています。

山住神社 拝殿

浜松市天竜区水窪町山住に鎮座する「山住神社」。 山住神社は、山住山(1107m)の山頂に鎮座し、山犬(狼)を祀る神社として有名。山住神社からスーパー林道天竜線を南下すると秋葉神社へと通じています。

スーパー林道天竜線から尾根に乗り常光神へ

常光神

木々が生い茂り展望こそないですが、

正面に常光寺山を望むことができる場所にあります。

三等三角点(家老峠)(1108.02m)

さらにその先に三等三角点(家老平)標高1108.02mがあり、

ここに水窪百山「山住峠」の山標があります。

カモシカと森の体験館(廃館)

再び林道へ出ると「家老平」へ

ここには「カモシカと森の体験館跡(廃館)」があり、数台の駐車スペースもあります。

また、ここからは常光寺山への最短ルートの登山口があり、

整備された登山道での登頂が可能です。

扇平山(1173m)

家老平の登山口より再び山中へ

しばらくは林道と並行し緩やかな登りが続きます。

少し登った所が水窪百山の一座「扇平山(1173m)」

正面に歩いて来た井戸口山、

この辺も色付き初めていました。

崩落地より望む南アルプス深南部

スーパ林道と門桁山〜大ハカ山〜五丁板頭山

後ろには麻布山〜前黒法師山、黒法師岳〜バラ谷ノ頭〜房小山の稜線

ナタクマシロ山(1418m)

先ほど山住峠から見えた双耳峰のような一座「ナタクマシロ山(1418m)」

ここから常光寺山までは100m程下り、再び登り返します。

常光寺山(1438.94m)

三等三角点(常光寺)

山頂の北側からは南アルプス深南部が一望できます。

右に観音山~熊伏山の稜線

青薙~大沢山~大ヌタ山と中央に大野山と大野集落

奥に白倉尾根から続く中ノ尾根山、さらに奥茶臼山付近も見ることが出来ます。

奈良代林道から続く黒沢山

左に中ノ尾根山、右には光岳と信濃俣

麻布山と前黒法師山の間から不動岳、丸盆岳〜黒法師岳〜バラ谷ノ頭

いずれもまた歩きたい山ばかりです。

常光神社 奥宮「32 奥宮(天寿山 常光神)」

向市場方面へ下山し始めると広い窪地に常光神社の奥宮があります。

常光寺山は修験の山で山中には33の行場があり、

ここはその32番目の行場にあたります。

常光寺山には行者が修行したという 行者道があり

神話になぞらえた33の行場 掛所をめぐる険しい道があります。

33の業場、掛所と唱え言葉とは次のようです。

1.山住 大宮司 庭前

「ゆう タスキ掛けて登るよ み山路を 心にかかる雲・霧も無し」

2.鳥居場

「みそぎ せし 鳥居が下に ぬかづきて 打つ 柏手の 音もたえせぬ」

3.初瀬川(水行をし、みそぎのはらいを唱える)

「高天原に カンヅマリマス カムロギ カムロミノミコト モチテ・・・略」

4.シメ掛け岩(水神 山神 道祖神)

「鹿島立ち ここぞ行場の 初瀬川 シメ引きはべて 渡り初めけむ」

5.鏡滝(沢移りの時)

「面影のうつる鏡の 滝なれば 姿かたちを すぐにながむる」

6.清滝(ハライドの神)

「日向なる ここは 阿波岐が原なれば そそぐ心も ここも清滝」

7.みそぎ川(龍神)

「かき流す 大山本の みそぎ川 はらいしするも 荒磯の波」

8.勝手明神

「勝手のみ思う心は あだ桜 花も紅葉も 散るぞはかなき」

9.袖すり岩

「いたづらに袖をば すりな 世の中に 人の心の あさぎそめてよ」

10.やまんば押し手岩(いぶきど主の神)

「けを吹いて疵を求むる罪あらば祓い給えよ 伊吹戸の神」

11.鐘かけ岩

「鐘懸と聞けばあらたや 荒金の 慎む身こそ やすく登らん」

12.胎内くぐり(やまんば神)

「おちこちの山巡ります姥が身の 神の栄を守り鶴亀」

13.橋立行場(イチキシマ姫のみこと)

「神の通う 高天原の道なれば 峯より かかる石のきざはし」

14.双子石(子安明神 コノハナサクヤヒメのみこと)

「あいせみよ あれにせ島に ならいてや 石も玉なす ふたご生みける」

15.おかめ石(うづめのみこと)

「おかめ石 まわりて通れ 杖つくな さわらぬ神に 罪咎はなし」

16.鳥住み

「松が根の 苔むす岩に鳥住みて 豊かなる世のしるしなるらん」

17.朱雀石(かぐつちのみこと)

「みんな身を はかる つばさの鳥なればあけの雀も 光かしこし」

18.女神(イザナミのみこと)

「二親の 手上に育つ 身の程を思えば なぞか 恩をおくらん」

19.男神(イザナギのみこと)

「御神すら親子の誓い ましませば ましてや おのが親をあがめん」

20.天神(テンソンニニギのみこと)

「かきわけて遥かに拝む 神代なる天の岩くら 岩間へだてて」

21.八針峯(3132座)

「白妙のおがせをちぎに とりさいて いともかしこし 峯の八針」

22.天の岩戸(白虎金山彦のみこと)

「白雲の 立ち添う秋の 静けなき 空ちょう星のにしを守らん」

23.平等石(日月星神)

「千早振る 神のちかいは 平等石めぐる心を 常に忘るな」

24.烏帽子岩(山住大神)

「久方の 雲井に高き 烏帽子岩 国、安かれと祈る しるしぞ」

25.はにやすひめの神

「動きなき岩根に生うる ささ草の茂れる枝に 神は ましけん」

26.宝命水(水神山神)

「伝え聞く 薬なるらん 山住の祝いの水を イザヤ 汲みつつ」

27.ひもろぎ(天神七代地神5代」

「神さびて 幾代経ぬ欄 岩境の岩さかえます 天津ひもろぎ」

28.天の 浮橋(イザナギイザナミふたはしら)

「二神の流れをくみて 今の世は 安国渡る 天の浮橋」

29.高天原(天神 地祇 の神)

「あらとうと ここは高天原なれば八千五百万の神に祈らん」

30.飛び石行場(西のぞき)

「覗き見る 鏡にかけて 世の中の 塵を払いて 澄み渡るらん」

31.飛び石行場(東のぞき)

「あけくれに のぞきのちかい 守りなば いずれの神も 恵みそえけん」

32.奥宮(天寿山 常光神)

「仰げただ 神の誓いは あらたさよ 千歳の齢 のぶとこそきく」

33.本社 拝殿(山住神社拝殿)

「一筋に 願いをかけて 玉だすき 叶う心のむすぼれもなし」

NPO法人山に生きる会H.Pより

常光寺山 山中 山頂付近に常光神社 奥宮が鎮座します。  由緒等に関しては全く不明ですが、 この常光神社のある辺りの景観は素晴らしいです。

ナダクマ山(1081m)

一般道から外れて、水窪百山の一座「ナダクマ山(1081m)」へ寄り道。

この先は踏み跡が薄いので注意が必要です。

何度かショートカットしながら、林道まで下山

倉庫代わりになっている廃車があります。

矢岳山

大洞山・井戸口山

上村集落より望む大洞山と井戸口山

今日歩いて来た山並を望みながら。

上村集落の社「山住◯開先祖若宮大神」とあります。

亀ノ甲山〜ボンガ塚〜大津山

水窪中学校と向市場集落

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