秋葉神社 掛川一ノ鳥居遥斎所・静岡県掛川市大池
静岡県掛川市大池、にある「秋葉神社 掛川一ノ鳥居遥斎所」です。
かつて大池橋の西詰には、旧東海道から秋葉山本宮へ至る秋葉道が分岐した場所で、
秋葉道入口には明和6年(1769年)建立の常夜灯2基、
安永9年(1780年)建立の青銅製鳥居があり、多くの参詣者が往来し賑わったそうです。
嘉永7年(1854年)常夜灯と鳥居が大地震により倒壊、
後に木製の鳥居に建て替えられ、明治24年(1891年)掛川森往還の開通に伴い移転し、
昭和8年(1933年)道路拡幅により撤去されました。
平成21年に秋葉神社本宮御鎮座千三百年記念事業として、現在の地に社殿が改築されました。
倉真川 (旧 二瀬川)
掛川宿から西に東海道を進み、倉真川の大池橋を渡ると五叉路になっており、
この地点に秋葉街道一の鳥居が建っていました。
ここで旧東海道は南に折れ、北西の道は秋葉山へと通じる秋葉街道の入り口でもありました。
この辺は「鳥居町」地名に名残りがあります。 橋の袂には案内板がありました。
大池橋と秋葉街道
大池橋と秋葉街道
大池橋は、文化・文政年間に編纂された「掛川誌稿」には、長さ29間(約52m)余り、幅3間1尺(約5.8m)余りの土橋と記されています。 東海道を東から来てこの大池橋を渡ると、正面に青銅製の鳥居とその両側に常夜灯が建てられていて、火防の神として広く知られた秋葉山へ通じる街道の入口であることを示していました。秋葉山へは、ここから9里(約35㎞)余りの道のりです。 常夜灯は、明和6年(1769)に、鳥居は安永9年(1780)に建てられたものです。 この鳥居と常夜灯は、嘉永7年(1854)の大地震により倒壊しましたが、後に常夜灯も建て替えられ、鳥居も木造で建て替えられました。 東海道は、鳥居の手前で左に折れます。
秋葉山本宮秋葉神社由緒
秋葉山本宮秋葉神社由緒
御祭神 火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)
伊弉諾・伊弉冉二柱の神の御子で火の主宰神である。
創建
秋葉山は、赤石山脈の遠州平野に突出した最南端で天竜川の上流に位置し、山頂に秋葉山本宮秋葉神社を祀る。上古より火の神様の鎮まります御神体山として崇拝され、初めて御社殿が建ったのは和銅二年(七〇九年)元明天皇の御製によるものと伝えられる。
御社号
上古は「岐陛保神ノ社(きへのほのかみのやしろ)」(岐陛は秋葉の古語)と申し上げたが、中世両部神道の影響を受けて「秋葉大権現」と称し、明治初年教部省の達で権現の号を改め「秋葉神社」となったが、昭和二十七年全国の秋葉神社の総本宮であるところから「秋葉山本宮秋葉神社」と改称した。
御神徳
火の幸を恵み悪火を鎮め、諸厄諸病を祓い除く火防開運の神として、火災消除・家内安全・厄除開運・商売繁昌・工業発展の御霊験あらたかなるものとして、全国津々浦々から信仰されている。 御霊験は奈良朝以来、屡々顕れ、御神威は海内に行きわたり、朝廷の御信仰篤く正一位の宣旨を賜って、正一位秋葉神社と申し上げる。
秋葉山本宮 秋葉神社 掛川一の鳥居由緒
秋葉山本宮 秋葉神社 掛川一の鳥居由緒
秋葉山本宮秋葉神社は天竜川の上流、赤石山脈の最南端、秋葉山を神体山と仰ぎ、御祭神は火之迦具土大神と称え奉ります。
御本殿(上社)は海抜八六六メートルに鎮座し、初めて御社殿が造営されてのは和銅二(七〇九)年と伝えられます。
古くから朝廷の御崇拝篤く神階正一位を賜り、火伏の本宮として全国から信仰を集めました。江戸時代になりますと諸国に秋葉講が出来、秋葉街道は参詣者で賑わいました。その盛況ぶりは「東海道名所図会」に「参詣は蟻の如く道に集い、国々県々多くの人々を集め」と記されています。
ここ掛川宿は東海道から秋葉街道への入口に当たります。安永9(1780)年、江戸日本橋の豪商、次郎兵衛翁より青銅製の鳥居が寄進され、歌川広重の「東海道五十三次」にも描かれる海道も名所となりました。
オランダの商館医シーボルトも「青銅製の二つの燈明台」が両側にある青銅鳥居の傍らを通り過ぎた。この鳥居をくぐってゆくと数十マイル離れたところに秋葉神社がある」と「江戸参府紀行」に記録しています。
また鳥居は秋葉山を遥かに拝む祈りの場所でもありました。
明治24年掛川森往還道の開通に伴い移転し、昭和8年に道路拡幅に因り鳥居が撤去されてしまいましたが、遥拝所として地元篤信家により護持されてきました。 平成21年本宮ご鎮座1300年記念事業として正式に本宮末社 「掛川遥拝所」 として社殿を改築し境内を整備致しました。 平成二十四年には参拝者の便を図り、駐車場を設けております。
秋葉山を遥かに拝み奉斎する祈りの場、歴史を有する掛川の名所、人々の憩いの場として永く親しまれることを願います。
秋葉神社 掛川遥拝所
平成21年には、本宮御鎮座千三百年記念事業として秋葉神社掛川遥拝所の社殿を改築し、
木造の鳥居が建てられました。
また鳥居の前には「右 あきは道 大池村」と刻まれた自然石の道標があります。
境内には徳川慶喜揮 毫の額「正一位秋葉神社」が残されています。
また、交差点の右奥の駐車場には『秋葉山 本宮秋葉神社』の
大きな案内板が2枚掲げられています。
歌川広重 東海道五拾三次 掛川
秋葉山遠望 二瀬川(現 倉真川)に掛かる大池橋 背後には秋葉山、
手前には木製の常夜灯が描かれています。
ちなみに江戸時代の大池橋は土橋だったそうです。
歌川廣重「東海道五十三次之内 かけ川」行書版
こちらには秋葉街道一の鳥居の様子が詳しく描かれています。
看板に書いている由来によると、安永9年(1780)江戸日本橋の豪商 次郎兵衛より
青銅製の鳥居が寄進されました。
また両脇には明和6年(1769年)建立の常夜灯が2基あったとされています。
嘉永7年(1854年)常夜灯と鳥居が大地震により倒壊、後に木製の鳥居に建て替えられ、
明治24年(1891年)掛川森往還の開通に伴い移転、
昭和8年(1933年)道路拡幅により撤去されました。