桜ケ池(池宮神社) 遠州七不思議(子生まれ石)・静岡県御前崎市佐倉




桜ケ池(池宮神社) 遠州七不思議(子生まれ石)・静岡県御前崎市佐倉

静岡県御前崎市佐倉にある桜ケ池は

約二万年前 風と波で砂が運ばれ堰き止められて出来た池で

「遠州七不思議」の一つ「龍神伝説」が残る地です

池のほとりには「池宮神社」が鎮座します

この神社は仏教との結びつきが深く、浄土宗の開祖 法然の師匠でもある、

天台宗の高僧 皇円阿闍梨が龍となってこの池に入定、池の主神となりました

以来 秋の彼岸に赤飯を詰めたお櫃を池に沈めて

龍神に供える奇祭「おひつ納め」が行われています

桜ケ池は名の通り桜の名所、

多くの人で賑わっています

入り口には龍のモニュメント

「桜ケ池 龍神伝説」は遠州七不思議の一つに数えられています

桜ヶ池とおひつ納め

桜ヶ池は、約二万年前に出来た砂丘堰止湖です。県立自然公園の一環にあり、静岡県の自然百選の森にも選ばれた神秘な原生林に囲まれた県指定名勝地です。桜ヶ池のほとりにある池宮神社の祭りに、五穀豊穣を祈るため、秋の彼岸の中日に行われる「おひつ納め」(県指定無形民俗文化財)がある。平安末期、比叡山の名僧皇円阿闍梨が衆生救済の為龍蛇と化し入定され、池の主神となられた。この霊を高弟の浄土宗開祖法然上人が供養のために檜づくりのおひつに赤飯をつめ、一つは池宮神社に、一つは師の皇円阿闍梨にと、池心に沈めたことから始まり、以来今日まで続いている奇祭で遠州七不思議の一つにあげられている。

手水舎

法然上人・皇円阿闍梨の供養碑

皇円阿闍梨は天台宗の高僧であり、

浄土宗の開祖・法然の師匠として知られています。

皇円は、釈迦入滅より56億7千万年後に弥勒菩薩が衆生を救う時まで、

菩薩行をおこなって衆生を救いたいという願いを立てます。

そのために人よりも遙かに寿命の長い龍に化身することを欲し、

この桜ヶ池に入水寂滅します。

桜ケ池 遥拝所

数年後、弟子の法然は師を偲んでこの地を訪れ

桧のお櫃に赤飯を詰めたものを池の中心まで運んで投げ入れました。

それ以降、法然の弟子の親鸞や熊谷蓮生房などが継承し

今に伝わる奇祭となったと伝わります

桜ケ池

沈められたお櫃は数日後には空になって必ず浮き上がってくるそうです。

さらにこの池は底なしで、諏訪湖に繋がっているという伝説があります。

同じく遠州七不思議の一つ、浜松市天竜区の水窪町の山中にある幻の池

「池の平」は龍が途中で休むために現れるのだとされています

「おひつ納め」と「皇円阿闍梨」

皇円阿闍梨(こうえんあじゃり)は肥後の国(熊本県)に生まれ、幼くして比叡山で学問・仏法を修行され、後に歴史書「扶桑略記」三十巻を記した。 皇円上人は悟りの境地を得るために天台の「止観」という方法に基づき、さまざまな難行・苦行を重ねられた。しかしながら、仏法の極め難きを知り、五十六憶七千万年後に出現すると伝えられる弥勒菩薩に会うことを発願された。 そして、その弥勒菩薩の教えにより人々を悩みから救うことが出来ると考え、嘉応元年(一一六九年)六月十三日(九十六才の時)身を龍と化し、この桜ケ池に入定された。 おひつ納めは、後に皇円上人の高弟、法然上人(浄土宗開祖)が桜ヶ池を訪れ、師である皇円龍神の安泰と五穀豊穣を祈り、赤飯をつめたおひつを神社に一個、桜ケ池に一個納めたことに由来する。 以後、親鸞上人(浄土真宗開祖)、熊谷蓮生坊直実が継承し、以来八百数十年続いている奇祭である。 また、この桜ケ池は信州(長野県)諏訪湖と底が続いているとも言い伝えられている。それはすべての命をはぐくむ水の神様を共に崇め、感謝するという古代人から現在の我々に至るまで心の底が通じていることを象徴している。 御参拝の皆様も、慈悲深い皇円上人、そして大自然の恵に合掌して感謝いたしましょう。

池宮神社

池宮神社

<御祭神>

瀬織津比咩命・事代主命・建御名方命

<御神徳>

瀬織津比咩命は大祓詞に現れる代表的な清め祓いの神で諸々の罪穢を祓い、開運厄除の御神徳極めて高い。事代主命・建御名方命は共に大国主命の御子神で、事代主命は通称エビス様と称せられ商売繁昌、福の神として、建御名方命は武勇の神又、農、耕、水の守護神として崇められている。

<祭日> 例祭=春、秋の彼岸の中日 納櫃祭=秋の彼岸の中日

<御由来>創祀は敏達天皇十三年(584)に瀬織津比詳命がご出現。社殿の造営がなされた。後、栄枯盛衰が激しく平安時代初めには衰退し、社殿は大破した。しかし平安時代中期一条天皇の長保三年(1001)社家の遠祖源朝臣信栄が社勢を再興。室町時代に入ると駿河・遠江を領有する今川氏の崇敬を受けたが戦国末期に武田・徳川両氏の高天神城争奪の地となり、社殿をはじめ神宝、旧記、古文書の大部分を焼失。江戸時代に神官信盛が再び興し徳川家の崇敬を受け、明治維新に至るまで地頭の祈願所となっていた。享保十六年(1731)には正一位の神階宣示を受け、本殿は宝暦十年(1760)、拝殿は元文四年(1739)に、時の大宮司従四位下佐倉治部大輔源朝臣信幸が造営し、その名を池宮天王社とも称され現今に至る。

池宮神社 拝殿

本殿

八幡神社・弁天神社・津島神社

法の沢 八幡神社
榑林(くればやし)一族の氏神、八幡神社とし祀られた。
昭和49年に浜岡東小学校建設の敷地となったため、池宮神社に移された。

津島神社
祭神は素戔嗚尊(牛頭天皇)で、疫病除け、田の害虫除けの神として信仰されている。平成3年3月(1991年)、弁天神社と合祀され、池宮神社境内に移され現在に至る。

弁天神社
祭神は田霧姫命・市杵島姫命・端津姫命で、海上交通を守護する神として信仰されている。平成3年3月(1991年)、津島神社と合祀され、池宮神社境内に移され、現在に至る。

神船置場

佐倉護国神社

龍神殿

社務所内には資料の展示スペース

宝篋印塔と鐘楼

静岡県の自然百選の森にも選ばれた原生林

櫻ヶ池観世音菩薩

桜ケ池 池宮神社 御朱印

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