菖蒲根山(756.7m) 橿山(1059.2m) 桂窪山(1020.25) 白倉山(1027.4m)・浦川駅より




菖蒲根山(756.7m) 橿山(1059.2m) 桂窪山(1020.25) 白倉山(1027.4m)・浦川駅より

JR東海 飯田線「浦川駅」より、旧龍山村と旧佐久間町の山を歩いてきました。

この辺りの山々は植林帯が殆どを占め、

登山対象となる山は秋葉ダムの西に聳える「白倉山」ぐらいで、

その他は登山者もほぼ訪れることのないマイナーピークばかりの静かな山域です。

菖蒲根山(しょうぶねやま)

標高 756.65m 登山日 2024年1月13日
三等三角点(小野入)
所在地  静岡県浜松市天竜区佐久間町浦川

橿山(かしやま)

標高 1059.22m 登山日 2024年1月13日
三等三角点(橿山)
所在地  静岡県浜松市天竜区佐久間町戸口

桂窪山(かつらくぼやま)

標高 1020.25m 登山日 2024年1月13日
三等三角点(桂窪) 別名 マンボ山
所在地  静岡県浜松市天竜区龍山町瀬尻

白倉山(しらくらやま)

標高 1027m 登山日 2024年1月13日
一等三角点(白倉山) 静岡の百山
所在地 静岡県浜松市天竜区佐久間町

奥白倉山(おくしらくらやま)

標高 1050m 登山日 2050年1月13日
白倉山 最高点
所在地 静岡県浜松市天竜区佐久間町

難易度 ★★    オススメ  登山口(ナビ検索) 浦川駅
浦川駅(08:01)→橿山(10:25)→桂窪山(10:59)→橿山(11:36)→和→山間峠(12:36)→地八峠(13:25)→地八峠入口(14:09)→白倉山(14:13)→浦川駅(16:33) 所要時間 8時間31分 累積標高 2136m / 2136m 距離 25.2m
■白倉山は一等三角点が置かれている標高1027.1メートルの山。一等三角点が1880(明治13)年に設置されるまでは六ツ野山と呼ばれていた。白倉川の源頭に位置し、渓谷には金山滝、箱淵滝などがあり、遊歩道も整備されている。白倉山は国有林内にあり、山頂から伸びる尾根筋は保護樹帯となっており、ブナ、ミズナラ、イヌシデなどの落葉広葉樹林が残されている。

「静岡の百山」は、東部から西部、北部まで静岡県内の山が幅広く選ばれています。 叉、海岸近くの低山から南アルプスの3000mを越える山までバラエティーに富んでいます。 本自体は山名の由来、歴史など生活に密着した山の説明が中心で、登山のガイドブックではありません。 山の知識を深め、より楽しむための本です。

遠州(えんしゅう)地方とは旧令制国の遠江国(とうとおみ)一般的には、大井川から西側の範囲湖西市・浜松市・磐田市・袋井市・森町・掛川市・菊川市・御前崎一部(牧之原市・島田市・川根本町)のことを言います。 遠州灘から浜名湖、南アルプス・深南部まで、バリエーションに富んだ山々が多く魅力に満ちた山域です。

JR東海 飯田線の「浦川駅」の駐車場より。

浦川駅(うらかわえき)は、飯田線の前身「三信鉄道」の駅として、

1934年(昭和9年)11月に開業した駅です。

現在の駅舎は、昭和9年の開業当時から使用されている物だそうです。

外壁や屋根、ドアなどは、サッシやトタンに張り替えられていますが、

三信鉄道の標準的な駅舎の形を残している大変貴重な建物です。

駅前の看板には「鮎と歌舞伎の里 うらかわ」の文字。

三信鉄道(現JR飯田線)開通後は、

浦川の清流にアユを求める釣り人でもにぎわうようになったそうです。

この時は解らなかった「歌舞伎の里」の意味も後ほど判明しました。

浦川小学校の前を通り、大千瀬川へと合流する手前の相川に掛かる橋を渡ります。

合流点には可愛らしい「浦川キャンプ村」のバンガローが建っています。

その先を右折し、「林道 佐久間線」から、和山間集落へと至る山道へ。

和山間集落

荒れた山道を登ると、標高400mに位置する「和山間集落」へ。

ここから菖蒲根山まで尾根伝いに登っていきます。

尾根には民家跡や畑跡が残っていました。

一度、作業林道へ出て菖蒲根山へ。

菖蒲根山(756.65m) 三等三角点(小野入)

前回は戸口山から歩いた菖蒲根山、地元では「浦川富士」とも呼ばれているそうです。

山頂には景色も山標も無く三角点のみ。

この地は中央構造線の外帯の山、三角点の保護石にも緑色片岩が使用されています。

さらに橿山方面へ進んだ先、P809の先の鉄塔より。

離山や日本ヶ塚山方面には雪が降っているのが見えます。 

橿山(1059.22m) 三等三角点(橿山)

一度、林道へ降ってから橿山の山頂へ。

自然林の山頂には三等三角点と天竜土木事務所の橿山無線中継局舎が建っています。

ここからは少し寄り道をして、旧 龍山村瀬尻の山「桂窪山」を往復します。

桂窪山(1020.25m) 別名(マンボ山)

橿山の山頂から中電「静岡幹線」の鉄塔手前の中巡視路を東へ下り「椎ヶ沢林道支線」へ。

「椎ヶ沢林道支線」沿いに進んだ先にある三角点ピーク(1020.25m)は、

「桂窪山(かつらくぼやま)」別名(マンボ山)と呼ばれています。

三等三角点(桂窪)

林道のどこからでも取付ける程、緩やかな山頂域には三角点と山標のみ。

来た道を戻り、再び橿山から和山間峠を目指します。

下山時に使う白倉山北尾根、雪も降ってきました。

P742先の鉄塔より、

左に菖蒲根山と登ってきた尾根を望みます。

和山間峠(688m)

和山間峠からは整備されたのか、特に歩き易い区間が続きます。

シルバーの看板の所で地八峠へ向けて、南向きに方向を変えます。

地八峠(903m)のお地蔵様

白倉山が近づくと雪・風が強くなって来ました。

P1000の先から、 いったん地八林道に下ります。

すっかり雪山となった地八林道を歩き白倉山の登山口へ

白倉山(1027.40m) 一等三角点(白倉山)

奥白倉山(1050m)

白倉山の最高地点は「奥白倉山(1050m)」と名付けられています。

ここから北尾根を使い浦川へ下ります。

歩き始めはP945へと続く中電巡視路のため快適な道です。

P896の手前で、一旦地図に無い林道へ出て再び尾根を下りますが、

この辺りは灌木の藪が煩わしいです。

P710.36 三等三角点(向山)

P642を過ぎると少し晴れて来ました

浦川へと下る手前の鉄塔からは思いがけない景色が望めました。

ここから先に見える山の鞍部は「二本杉峠」と呼ばれ、

中央構造線の断層谷観測地として有名な場所です。

二本杉峠の少し小高くなったところは「ケルンバット(断層小丘)」、

その横のくぼ地は「ケルンコル(断層鞍部)」と呼び、ここを中央構造線が通っています。

ここから見ると、佐久間の市街地から角度を変えて、

二本杉峠、ホウジ峠へと伸びているのがよくわかります。

集落へ下る手前に墓地があり、この一画に「尾上栄三郎塚」があります。

案内板によると、この地で病死した江戸時代の歌舞伎役者・尾上栄三郎を偲んで、

ここ浦川では江戸安政年間から「浦川歌舞伎」として伝わっているそう。

歌舞伎の里 浦川の意味にも納得です。

尾上栄三郎塚

この塚には、江戸歌舞伎の名門である音羽屋の名優として名を連ねた四代目  尾上栄三郎が眠っています。

幕末安政五年(一八五八年)江戸大火のため一座を組んで地方巡業の旅にでた栄三郎は信州飯田で俄に発病し、当時名医とうたわれた三輪見龍医師を尋ねてこの裏鹿(浦川)の里にたどりつきました。

見龍や村人達の献身的な治療により一時は快方に向かいました、栄三郎は不治の病と悟り、生命あるうちに今生の思い出と村人へのお礼をと病のまま浦川旭座の舞台に立ったのでした。

演ずるは忠臣蔵五段目・山崎街道早野勘平、栄三郎はこの舞台の上で生涯を閉じたのです。

そしてそのなきがらは、生前の遺言により、この尾平峠に埋葬されたのです。

毎年秋分の日には栄三郎の供養がこの尾平峠で行われ、またその日は浦川旭座で栄三郎追善公演が行われます。

静岡、愛知の県境に位置する浦川地区の街並みは、

伝統的建造物群として「浜松地域遺産」に認定されました。

戦前は繭、戦後の復興期は材木の集積と取引で栄え、

現在も残る蔵や、商人宿として使われた建物が往時の光景をしのばせる街並みです。

浦川駅より浦川小学校

白倉山からは右の尾根を使い下山してきました。

浦川駅に戻り終了しました。

帰りの道中、近くの断層の露頭を見学しました。

旧 佐久間町を始め、飯田線沿線沿いには、

中央構造線の観察が出来るポイントが幾つも存在しています。

浦川駅より静岡県道1号線を東へ、

大千瀬川に掛かる錦橋を越えた先に案内板が設置されています。

その先には、コンクリートで覆われていない山の斜面が露頭しています。

写真の上の方に見られる黒い岩は三波川変成帯(黒色片岩)です。

その下あたり、粘土を含んだボロボロにくだけた地層は、(断層粘土)といい、

断層によってできた破砕帯の中の一部で、まさにこれが中央構造線そのものです。

中構造線(破砕帯)

ここに見られる粘土を含んだボロボロにくだけた地層は、中央構造線の運動によって出来た断層地帯の破砕帯で、これが中央構造線そのものです。

ここと尻平沢~出馬川中流とを結んだ方向が中央構造線の方向(北60°東)ということになります。

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