草薙神社(くさなぎじんじゃ)
草薙神社龍勢保存会公式H.P
http://kusanagi-ryusei.jpn.org
式内延喜式
草薙神社由緒
御祭神 日本武尊
御創建 景行天皇五十三年
例祭日 九月二十日御由緒
当社は式内延喜式神名帳に「駿河国有度郡三座並小云々草薙神社」と記載されている。
御祭神は景行天皇第二子皇子日本武尊を御祀り申し上げて鎮座してあります。国史社伝によれば、尊は東国の蝦夷が、叛いたので、之を平定する為、吾嬬国に赴く途中、
このあたりで逆賊起こり、原野に火を放って尊を焼き殺そうとしたので尊は出発の折、
伊勢神宮に参拝し、倭姫命より戴いた佩用の剣を抜いて「遠かたや、しけきかもと、をやい鎌の」と
鎌で打ち払う様に唱へ、祓ひて剣を振り、あたりの草をことごとく薙ぎ払った処で手打石により日をつけた。
その火は逆に逆賊の方へ烟りなびいて、尊は無事にこの難を切り抜けられました。その後、佩用されていた天叢雲の剣を草薙の剣と名称を変更になり、
尚、尊を焼き殺そうとした処を草薙と言はれる様になりと、語り伝へられている。その後景行天皇が日本尊命の勲功の地を尋ねようと、五三年八月に天皇は郡郷に詔して曰く
「冀くば、日本尊命の征定された国郡を巡視する。」
そこで天皇は直ちに出発せられ、先ず伊勢に行幸され、
次いで東国に向かはれ九月二十日に当地に御着になり尊の奮斗の後を封じて御親しく一社を建立し、
日本武尊を奉祀し、御霊代として、草薙の剣を奉納されました。景行天皇五三年九月二十日(昭和六十年より一、八六三年前)依って
当月当日(九月二十日を以て例祭日と定めて今日に及んでおります。その後草薙の剣は第四十六代天武天皇の朱雀元年に勅命により現在の熱田神宮に奉祀しされました。
先日、古事記を読み静岡県清水区にある
草薙神社(くさなぎじんじゃ)に向かうことに
小雨の中参拝です。
途中の坂道は細い曲がりくねった車道
歩道が狭く交通量も多いので危険です。
一の大鳥居は草薙駅南東1.5Kmほどのにあるそうですがこちらには立ち寄れず
龍勢花火は、火薬を詰めた筒を長い竹の先につけて打ち上げる花火です。
現行では、草薙が市内唯一の伝承地です。
草薙における龍勢花火の起源は明らかになっていませんが、
元禄年間(1688~1704)には草薙神社の祭礼で龍勢の打ち上げがおこなわれたと伝えられています。
龍勢花火の打ち上げ日は、毎年9月20日に近い休日です。
かつては青年会が伝承の中心でしたが、
現在では草薙神社龍勢保存会が10支部を取りまとめ、実施しています。
無形民俗文化財、「のろし」から発展したといわれる龍勢(流星)は、
約15mの尾竹竿にロケット式火薬噴射竹筒を結びつけて
上端部に各種変化花火を仕込んだもの。
打ち上げ高度は300mにも達し、
昼のろしを龍勢、夜のろしを流星と呼ぶそう。
境内には龍勢(流星)煙火が展示されている。
草薙神社は日本武尊(ヤマトタケル)『草薙剣伝説』が残る地に建立された神社です。
第12代・景行天皇の御代、日本武尊は蝦夷征伐のため東国へと赴きました。
その途上、相模にて国造(くにのみやっこ・首長)の謀にあい、
日本武尊がいた野原は炎に包まれてしまいます。
日本武尊は手にした「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」で周囲の草を薙ぎ払い、
窮地を脱したとの伝承があります。
この故事により、この剣は後に「草薙の剣(くさなぎのけん)」と呼ばれることになります
日本武尊が没した後に景行天皇は日本武尊勲功の地を尋ね、この地に社を建立。
ご神体として草薙剣を奉納したと伝えられています。
その後草薙剣は熱田神宮に奉祀されました。
参道を入ってすぐに日本武尊 像
御神木の大楠の樹齢は1000年と言われている
舞殿の横には龍勢(流星)煙火
本殿右に社務所があります。
お守り・お札・御朱印などはここで頂けます。
本殿の左右に、境内社が並んでいる。
左 境内社の写真は撮り忘れてしまった。
本殿の右は、住吉・春日・愛宕・白髭・厳島・稲荷・荒神、天神。
左は、浅間、山神・八幡・子安・天皇・賀茂・内宮。
この後、尊が狩りで汗をかいた折り、ここの清水で手を洗われた所という
②の手水ケ谷 宇手ケ谷と
尊が野火の難に遭った時、鞍より下りた所という
③の鞍下ケ谷(鞍卸ケ谷)に立ち寄りました。