旧見付学校附磐田文庫・「旧見付学校」日本最古の木造擬洋風小学校 / 磐田市見付




旧見付学校附磐田文庫・「旧見付学校」日本最古の木造擬洋風小学校 / 磐田市見付

磐田市観光協会 / 旧見付学校
http://kanko-iwata.jp/tanoshimu/tanoshimu-298/

磐田市見付宿通り沿いに「旧見付学校」があります。

日本最古の木造擬洋風小学校です。

旧見付学校

「旧見付学校」は学制発布後まもない明治8年(1875)に落成した
現存する日本最古の洋風木造小学校校舎です。
当初は四階建てでしたが、明治16年(1883)に増築されて
今の五階建てとなりました。
記録によると明治14年(1881)の見付学校の生徒数は
男300名・女182名の482名で、
就学率(学校に入った人の割合)は、66%でした。
この建物は大正11年(1922)まで小学校として、
その後は中学校・裁縫女学校・教員養成所・病院等として使用されました。
現在は学校関係の資料等が展示されています。
昭和44年、国指定となっています。
磐田市教育委員会

史跡旧見付学校

見付学校を第12中学区内第1番小学校にと地元の熱意で、
明治7年(1874)堂宮棟梁伊藤平右衛門の設計で着手、翌8年開校しました。
基礎の石垣は遠州横須賀城の石垣を利用し、
間口12間・奥行き5間の木造洋風建てに屋上2層の楼を完成させました。
玄関はエンタシス様式の飾柱、分銅付の窓の日本最古の現存木造洋風校舎です。
明治16年(1883)に2階天井裏を改築し、現在の3階2層になりました。
磐田市教育委員会文化財課

旧見付学校

磐田のシンボルともいわれる建造物。
旧見付学校は明治5年(西暦1872年)の学制発布を受け、
翌年8月に宣光寺、省光寺などを仮校舎として開校しました。
新築工事は、名古屋の堂宮棟梁 伊藤平右衛門(後の9代目伊藤平左衛門)に委嘱し、
明治7年(西暦1874年)10月に工事着手、
翌年1月11日に上棟式を行い8月7日に落成、開校式が挙げられました。
現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎で、国の史跡に指定されています。
5階建ての洋館風の館内は教育資料の展示や授業風景を再現しています。


伝酒井の太鼓

酒井忠次が三方原の戦いに於いて、徳川家康の窮地を救ったと伝えられる太鼓です。

見付の町民がこれを買い受け、見付学校の開校を祝して寄贈しました。

もし本当に当時のものなら凄いですが、

当時は学校の予鈴代わりに使われていたそうです。

四階は校長室があったと伝わります。

数畳もない五階の塔部分は「伝酒井の太鼓」が置いてあったそうです。

旧見付学校磐田文庫

幕末に建てられたとされる私設図書館
旧見付学校の敷地内にある磐田文庫は、
江戸時代末期に建てられたとされる私設図書館です。
二階建ての土蔵で、旧見付学校とともに国の指定史跡となっています。
学校に隣接する淡海国玉(おうみくにたま)神社の神官で
国学者の大久保忠尚が自宅で私塾を開き、元治元年(1864年)、
図書館として境内に磐田文庫を創設したといわれています。
明治12年(1879年)には、見付学校に磐田文庫の建物と蔵書のすべてを寄贈しました。

旧見付学校

入館無料
営業時間
午前9時~午後4時30分
休業・休館日
毎週月曜日(月曜日が祝日又は振替休日の場合は開館)
国民の祝日の翌日(土・日・月曜日の場合は火曜休み),年末年始(12/29 – 1/3)
交通アクセス
JR磐田駅北口1番乗り場から、遠鉄バス31「磐田市立病院・大藤・神増原行き」、
32「磐田市立病院・笠梅原・山梨行き」乗車、「旧見付学校」下車、徒歩約1分
JR磐田駅北口2番乗り場から、遠鉄バス80「見付・磐田営業所行き」乗車、
「新通町」下車、徒歩約5分JR磐田駅北口1番乗り場から、
「秋葉バス遠州森行き」乗車「旧見付学校」下車、徒歩約1分

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