三嶋大社 (みしまたいしゃ) 伊豆國一宮
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三嶋大社H.P
http://www.mishimataisha.or.jp
伊豆國一宮 三嶋大社 (みしまたいしゃ)へ参拝しました。
あいにくの天気でしたが凄い人で賑わっています。
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たたり石
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相生松
安達藤九郎盛長 警護の趾
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神池
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厳島神社
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神池 (しんち)
天長四年(八二七)神池の水が渇れ天下大旱し神官の訴えにより
朝廷は三嶋神殿に於て澪祭(雨乞)を行わしめた
六月十一日から十五日まで大雨が降る
時の帝は当社に圭田を寄せ神官に禄金財帛を賜った (類聚国史)
元暦二年(一一八五)八月源頼朝は、神池に於て放生会を行いその際、
糠田郷・長崎郷を三嶋社の料と定めた (吾妻鏡)
厳島神社 (いつくしまじんじゃ)
祭神 市杵島姫命(天照大御神の御子神)
北条政子が勧請し殊の外信仰したと伝えられる当社は
家門繁栄・商売繁昌・安産・裁縫等の守護神として広く信仰されている
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ご神木
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神池の裏にご神木
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総門
総門 (そうもん)
外構えの門建築中伊豆震災にあったが昭和六年三月竣功
初めて台湾檜が使用された
昭和の神社建築の代表的建物の一つに数えられ格調の高さは有名である
当時の内務省神社局技師角南隆氏の設計監督である
(総工費当時約七万円)
旧総門は一部改修して芸能殿として保存
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社務所
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神馬舎 (しんめしゃ)
神馬は、慶応四年七月十日完成旧神馬舎に納められていたが、
戦後現在の神馬舎が完成し移したものである
古くから当社の神馬は毎朝、神様を乗せて箱根山に登ると言う伝説があり、
旧神官はお馬様が帰ったと言って朝食にしたと伝えられ
子供の成長と健脚を祈る風習がある
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芸能殿
安政の東海大地震の復旧工事で時の神主矢田部式部盛治により、
慶応四年二月十一日に完成した旧総門で、
昭和五年の伊豆大震災後現在の総門が落成したため、一時他に移したが戦後再建し、
一部改造の上芸能殿として保存している
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神鹿園 (しんろくえん)
芸能殿の裏には神の使いと言われる鹿が飼育されている神鹿園。
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神門 (しんもん)
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1867年(慶応3年)8月10日竣工の門で、昭和41年2月7日に三島市の指定文化財に指定。
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天然記念物三嶋大社の金木犀
樹高 約10米 目通り周囲 約4米
枝縁 約二百五十平方米昭和九年五月一日、文部省告示第一八一号により、
文部大臣から国の天然記念物の指定を受けた学名を薄黄木犀という
九月上旬より中旬にかけ黄金色の花を全枝につけ、
再び九月下旬より十月上旬にかけて満開となる珍しい老木で、
樹齢凡そ壱千弐百年、幾百星霜干魃や霖雨に堪え、又は風雨に侵されるも
樹勢尚旺盛にして葉の光澤も美しく、新緑に輝き誠に神々しい御神木で、
日本一のキンモクセイである
開花時には、馥郁たる芳香を放ち、風向きによっては一〇粁に及ぶという注意
一、柵内に立ち入らないこと
一、枝に触れないこと
一、其の他 モクセイを傷つけないこと
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舞殿 (まいどの)
古くは祓殿と呼ばれ神楽祈祷を行ったが後には主として
舞を奉納したので舞殿と呼ばれるようになった
現在は舞のほか、田打ち神事(県無形文化財)、豆撒き神事、
鳴弦式神事などの神事の他、祈祷等も行う
慶応二年十二月十八日の再建で
昭和五年の伊豆震災の復旧工事まで一部改修を行ったものである
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三嶋大社
祭神
大山祇神・事代主神大山祇神は山の神様で、山林農産を始めて殖産興業の神、
国土開発経営の神である。
事代主神は俗に恵比須様と申して、商工漁業、福徳円満の神である。由緒
元の官幣大社で、その創建は極めて古く、此の地に鎮座し、
神の御名により三島の地名ともなった。
延喜の制にはすでに最高の格である明神大に列し、月次・新嘗の官幣に預り、
祭料稲二千束を寄せられた。
中世以降武士の崇敬が篤く、殊に源頼朝は治承4年8月17日、
御祭礼の夜深く神助を頼み挙兵し、旗挙成功するや、
偏に大明神の加護によるものと神領を寄せ、社殿を造営し、神宝を奉り益々崇敬を寄せた。
以来武門武将を始め庶民の尊崇をあつめ、
三嶋大明神の御名は広く天下に知られるところとなった。
明治4年、最高の社格である官幣大社に列せられたが、戦後官幣の制度は廃された。例祭
8月16日を中心に15、16、17日の三日間で大祭と呼んで賑わう。
尚この他、年間115度の祭典が行われる。宝物
国宝梅蒔絵手箱(平政子奉納)をはじめ、重文宗忠太刀、重文秋義脇差、
重美三嶋本日本書紀、その他頼朝・頼家・尊氏、顕家、宗瑞(早雲)等の古文書、
刀剣等多数を蔵す。社殿・境内
古来幾十度か社殿の造営が行われたが、現在の社殿は
嘉永7年11月4日の東海大地震により倒壊したものを
時の神主矢田部式部盛治が十年の歳月と16677両余の巨費を投じて、
慶応2年完成させたものである。
その後関東大震災、伊豆震災により、一部修理が行われたものである。
境内は、約一万五千坪(五万平米)である。
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社殿
嘉永七年(一八五四)十一月四日の東海大地震に社殿工作物悉く倒壊し、
時の神主矢田部式部盛治が十年の歳月を費やし、
総工費壱万六千六百七十七両余りの巨費を以て、
慶応二年(一八六六)九月九日完成させた総欅造りの豪壮なもので、
関東随一を誇り、周囲の彫刻も又比類ない傑作である
其の他の社殿も慶応四年九月相次いで完成
三嶋大社、本殿・幣殿・拝殿は、平成12年に重要文化財指定を受けています。
今日は日も良いのか神前式を挙げています。
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若宮神社
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若宮神社 (わかみやじんじゃ)
古くは八幡宮・若宮八幡宮又は若宮社等と呼ばれた
御祭神は物忌奈乃命(三嶋大神の御子神)・誉田別命(応神天皇)
神功皇后・妃大神を祀る社である
例祭は八月十五日で御本社大祭の前日に行われる。
慶応四年八月二十日再建
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見目神社
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見目神社 (みるめじんじゃ)
若宮神社と同じく御本社と最も関係の深い社で摂社と言う
御祭神は三嶋大神の后神六柱を祀る
昔は御本社大祭の前々日幕府より奉献の玉簾を在庁(将軍の代理)が奉持し
此の社前で検分の上神主に渡す儀式が行われた。
慶応四年九月三日再建
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境内右側にある境内社。
「小楠社」「第二社」「酒神社」「飯神社」「船寄社」。
同じ形の境内社が左端にもありますが、
今日は結婚式の待合所状態、写真はお預けです。
ちなみに、「大楠社」「天神社」「聖神」「第三社」「幸神社」。
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三嶋大社 本殿・幣殿・拝殿・舞殿・神門
(国・市指定建造物)三嶋大社の創建は明らかではないが、鎌倉時代(一一九二~一三三三)初期には
関東総鎮守として源頼朝や多くの武将の尊崇を受けた名社である。
一遍聖絵(いっぺんひじりえ)の社頭と現在のそれとではかなり異なり、
消失記録を見ると、文永五年(一二六八)と永仁四年(一二九六)に焼け、
また延享元年(一七四四)と安政元年(一八五四)の地震で倒壊している。
今の社殿は万延元年(一八六〇)から明治二年(一八六九)にかけて再建されたものである。
本殿は流れ造(棟より前方の屋根が、後方の屋根よりも長く反っている建築様式)で
切妻屋根(本を半ば開いて伏せた様な形の屋根)、
棟(むね)には千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)をつけている。
拝殿(はいでん)は入母屋造(上部を切妻屋根とし、
下部が四すみに棟をおろしている屋根をもった建築様式)で、前面には三間の向拝をつけ、
正面に千鳥破風(ちどりはふ)と軒唐破風(のきからはふ)がつく。
両殿の間には軒下に納まるように相(あい)の間(ま)がつくられている。
この建築の様式は権現造(ごんげんづくり)といわれる。
全国的にみて拝殿の大きな神社は数多いが、
本殿の大きさは出雲大社とともに国内最大級であり、
高さ二三m、鬼瓦の高さ四mという豪壮なものである。
彫刻は伊豆国名工小沢希道(おざわきどう)、
駿河国名工後藤芳治良(ごとうよしじろう)が
それぞれ門人とともに技を競いあって完成した傑作である。
平成一六年三月 三島市教育委員会

御朱印

