第50代 桓武天皇(柏原陵)・京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎




第50代 桓武天皇(柏原陵)・京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎

天皇陵 桓武天皇 柏原陵
http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/050/index.html

丹波橋駅の東方、

明治天皇陵の北西にあります。

この辺に桓武天皇陵があったことは確かなそうですが、

豊臣秀吉が伏見城築城の際にことごとく潰してしまったため、

正確な場所は不明だそうです。

そのため、御遺体が埋葬されていないことが明らかな「擬陵」という形式を取っています。

この様な「擬陵」は他にも、崇峻天皇陵、安徳天皇陵、長慶天皇陵、

皇后では播磨稲日大郎娘命など。

桓武天皇(柏原陵)

代数
第50代
天皇名
桓武天皇(かんむてんのう)
御父
光仁天皇
御母
贈太皇太后天高知日之子姫尊
御陵名
柏原陵(かしわばらのみささぎ)
陵形
円丘
所在地
京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎

第50代 桓武天皇(柏原陵)

御名
山部親王(ヤマベ)
異称
日本根子皇統弥照天皇・柏原帝
生没年
天平9(737)年~延暦25(806)年
在位
天応元(781)年~延暦25(806)年
続柄
(父)光仁天皇、(母)夫人高野新笠

天智天皇系出身だったため若いころは皇位継承は範疇になく、
また母が百済の王族の末裔だったため、官僚としての期待の方が高かった。
天武天皇系の称徳天皇が崩御すると、父白壁王が天皇に即位(光仁天皇)したため、
親王宣下は行ったが他戸親王が皇太子となっており、
未だに皇位継承の可能性は薄かった。
しかし、藤原氏等の計略により他戸親王は自害、山部親王が皇太子に立てられた。
父帝の譲位を受け即位、弟の早良親王を皇太弟とした。
父帝のころから平城京の仏教勢力が強かったため、
それを排除するために長岡京へ遷都。
しかし、遷都途中で造京の責任者藤原種継が暗殺されたため、
早良親王を疑い、廃太子、流罪に処した。
長岡京を廃し平安京へと遷都、平安1300年の基礎を造る。
治世は東北地方平定のために坂上田村麻呂を派遣したり、
空海・最澄を保護し新仏教を普及させた。
一方で冤罪で流罪に処した早良親王の怨霊に悩まされ「崇道天皇」と追尊しているほか、
平城京の南都六集等の旧仏教勢力には圧力を加えている。
在位26年、宝算70歳。

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