頭陀寺城跡(ずだじじょうあと)松下屋敷




頭陀寺城跡(ずだじじょうあと)松下屋敷

おんな城主 井伊直虎 ゆかりの地
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静岡県浜松市南区頭陀寺町にある頭陀寺城跡(ずだじじょうあと)松下屋敷へ

高野山真言宗の頭陀寺が城郭化した城跡。

ここを治めた松下氏は頭陀寺の寺侍であった可能性が強いそう。

なにより、幼少期の豊臣秀吉が松下氏にに仕えたことでの有名。

頭陀寺町第一公園、

今回は史跡のみの訪問だが、この先に現在の頭陀寺がある。

公園の奥、土が盛り上がりわずかに土塁の面影を残す所に石碑がある。

城主の松下氏は、三河国(愛知県東部)の出身で、今川義元や武田信玄などに仕えたという。

今川氏真(うじざね)に仕えた八代之綱の時に遠江国の土豪として名をはせた。

しかし、彼の代で頭陀寺城は破却されている。

松下屋敷跡

松下屋敷は戦国時代の個人領主、松下氏が居を構えた場所で別名、
「頭陀寺城」とも呼ばれています。屋敷の敷地は100m四方ほどありました。
この屋敷の主であった松下之綱(ゆきつな)には、織田信長に支える前の
豊臣秀吉が奉公したと伝わります。
浜松市は、2001年と2015年に発掘調査を行い、礎石建物や庭園の池、
屋敷を囲む土塁や堀などを確認し、豊富な遺物が出土しました。
これらの発掘調査成果によって、当地には伝承どおり、
戦国時代の居館が地中に埋もれていることが明らかになりました。
なお、幼少期の井伊直政(虎松)は松下氏の一門である松下清景の養子となり、
徳川家康への謁見がかないました。
平成28年3月設置 浜松教育委員会

松下屋敷 (別名 頭陀寺城)

この公園を北西隅とする約八百メートル四方が松下屋敷の敷地です。
松下氏は浜松城主(当時は引馬城といいました)飯尾氏(いのお)に仕え、
飯尾氏は戦国大名今川氏の家来でした。
平成十三年にはこの公園の東隣接地を発掘し、戦国時代の館跡と庭園
濠・土塁の一部が見つかりました。
なおこの屋敷には少年時代の豊臣秀吉が奉公したと伝わり、
頭陀寺町内には、鎌研池や目刺など秀吉にかかわる伝承も残っています。
秀吉は後年、松下氏を久野城(現袋井市)で大名に取り立てています。

公園には駐車場などはないが、頭陀寺に停めることができるそう。

資料館などもあるようなので、次回はぜひ立ち寄ってみたい。

公園の前には頭陀寺町の公会堂と熊野神社。

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