大日山 金剛院・静岡県周智郡森町三倉
静岡県周智郡森町三倉の「大日山 金剛院」です。
森町と島田市との境にある真言宗御室派の寺院「大日山 金剛院」は、
養老2年(718)、行基菩薩作の大日如来を本尊として創建されたと伝わります。
明治四十年(一九〇七年)春、火災にために諸堂伽藍がことごとく焼失。
幸いにも火災を免れた山門は天保八年(一八三七年)の 築造で、御免大工黒川喜平の自信作
とされ、小屋組の部材には、数々の技巧の跡がうかがえる美しい山門です。
「やまめの里」から、県道63号線「藤枝天竜線」を2.5kmほど北進すると、
ちょうど森町と島田市の堺、峠付近が金剛院への参道入り口となります。
県道から真っすぐ伸びる参道を数百メートル歩くと立派な山門が現れます。
大日山金剛院 山門
明治40年(1907)の春、火災のため、それまであった金剛院の諸堂伽藍は
ことごとく焼失してしまいましたが、この山門(仁王門)だけは火災を免れました。
案内板によると、この山門は、天保8年(1837)の築造で、
御免大工 黒川喜平の自信作とあります。素人目にも大変美しい山門です。
大日山 金剛院
森町と島田市との境にある大日山金剛院は、行基菩薩作の大日如来を本尊として開創されたと伝わっています。
明治40年春、火災のために諸堂伽藍がことごとく消失。幸いに火災を免れた山門は天保8年の築造で、御免大工黒川喜平の自信作とされ、天井を張らずに屋根裏の骨組みを下から見れるなど、数々の技巧の跡がうかがえます。
山門から先には立派な石垣の参道が続く。
火災を免れたこの辺りには巨木が立ち並んでいます。
金剛院の境内には東海自然歩道が通っており、トイレ等も整備されています。
(※この先、東海自然歩道は現在通り抜け出来ず、県道63号線が迂回路となります)
ご住職は在住されていないようですが、庫裡などの建物の先に金剛院の諸堂伽藍が建ちます。
真言宗御室派「大日山 金剛院」は養老2年(718)、
行基菩薩作の大日如来を本尊として創建されたと伝わります。
大日山 金剛院
大日山 金剛院
所在地
〒437-0208 静岡県周智郡森町三倉2308
TEL 0547-53-2083問合せ先 大日山金剛院
〒437-0208 静岡県周智郡森町三倉2308
TEL 0547-53-2083創建年代 718年
営業期間 拝観
拝観自由 年中無休
料金 無料
見学 所要時間 30分
駐車場 無料 15台アクセス
東名袋井ICから車で60分35Km県道63号線「やまめの里」より北進2.5km
新東名森掛川ICから車で45分20Km県道63号線「やまめの里」より北進2.5km文化財
市町村指定重要文化財:大日山金剛院山門並びに仁王像
作成年代:江戸時代 指定年:1974 年
金剛院 客殿
金剛院の由緒については、江戸初期の寛文年間(1661〜1672)に、大日山の中興の祖
「専盛法印」が誌したといわれる「大日山御縁起」という書物が残されています。
それによると、行基によって大日如来を安置し開創をみた点は一致していますが、
江戸初期に榛原郡大日村(榛原郡吉田町大幡)の沖において
一人の漁師が漁網にかかった一体の大日如来を発見し、大日山に安置したとあるそうです。
これによって、それまで「霊是山」であった山号を「大日山」に改めたとあります。
金剛院を中興した専盛法印という修験者は、三倉家の五代久右衛門貞命の弟市郎兵衛で、
この人は信仰に生きようと高野山に入山して修行ののちに大日山に入ったそうです。
大日山に入ったのは慶長年間の末と考えられ、
天和元年(一六一五)から三ヵ年の歳月 を要して堂を建立、
在山六〇年のちの延宝三年(一六七五)に示寂したと伝わります。
遠江古跡図絵より
江戸時代末に書かれた、遠州の名勝・史跡のガイドブック的な書物「遠江古跡図絵」には、
焼失前の諸堂が描かれています。
遠江古跡図絵を記した兵藤庄右衛門が享和3年(1803)に描いたもので、
これらの建物は明治に焼失しています。
現在の伽藍はその後の再建で、客殿が明治45年(1912)、
本堂は大正12年(1923)、六角堂は昭和37年の再建です。
境内の奥、焼失前には本尊を祀る大日堂があったとされる一段高い所には
「繁昌坊大権現」を祀るお堂があります。
本堂・六角堂の奥から参道が伸びています。
繁昌坊大権現
境内の奥には大日山金剛院の鎮守「繁昌坊(はんじょうぼう)」を祀るお堂。
天狗の繁昌坊に関して詳しいことは解っていませんが、
繁昌坊大権現がこの山に棲むようになったのは開創後間もなかったと伝わります。
遠州七天狗
秋葉山秋葉寺(三尺坊)・春埜山大光寺(太白坊)・光明山光明寺(笠鋒坊)
大日山金剛院(繁盛坊)・小笠山大乗院(三広坊)・奥山方広寺(半僧坊)
雲林寺(思案坊)
鐘楼
繁昌坊大権現を祀るお堂の隣には鐘楼や石仏、五輪塔などがあります。
地蔵像
「遠江古跡図絵」で大日堂があったとされる付近には
石積の基礎らしき跡も残っていました。
この先の林道を進むと大日山(881m)の山頂へと続く
登山道の入口に至ります。
ちなみに開創当初、金剛院は大日山の山頂にあったとも云われています。