針網神社(はりつなじんじゃ) 犬山祭・愛知県犬山市
愛知県犬山市、犬山城内に鎮座する針綱神社へ
古くから犬山城城主を始め多くの崇敬を集め、
特に織田信長公の叔父「織田信康公」が安産、
延命長寿を祈願し手彫りの犬を奉納した事から、
安産、子授け、長寿に特にご利益があると言われています。
春の犬山の風物詩、絢爛豪華な車山(やま)で有名な
「犬山祭」は針綱神社の御例祭で、
平成18年3月15日に「重要無形民俗文化財」として国の文化財に指定され、
平成28年12月には「ユネスコ無形文化遺産」に登録されました。
一の鳥居
犬山城、第一駐車場(一時間¥300-)の隣に「犬山神社」
南の登城口には「三光稲荷神社」「針綱神社」が並び鎮座します。
由緒
針綱神社
御祭神
尾治針名根連命
伊邪那岐命・菊理姫命・大己貴命・玉姫命・建筒草命・建稲種命・建多乎利命・大荒田命・尾綱根命
社格
旧県社
御由緒
当神社は延喜式神明帳所載の式内社で本国貞治本には
従一位針縄明神又同元亀本には正一位針綱明神とあり、
太古よりこの犬山の峯に鎮座せられる東海鎮護、水産拓殖、五穀豊穣、
厄除、安産延命長寿の神として古来より神威顕著にして
士農工商の崇敬殊に厚く白山大明神と称えられ濃尾の総鎮守でありました。
中古織田信康公の宣旨を蒙り、天文六年八月二十八日市内白山平に
遷座し奉った。
その後六十九年を経た慶長十一年四月八日更に
市内名栗町に遷座し奉り、城主成瀬氏代々の祈願所でありました。
明治維新後明治十五年九月二十八日名栗町の座地より
天文六年迄座地であった現在地に御遷座になり、
戦前は県社として戦後は宗教法人針綱神社(尾張五社の一つ)として
近隣の崇敬を集めています。」
由緒
針綱神社
御祭神
尾治針名根連命(主祭神、おわりはりなねむらじのみこと)
玉姫命・伊邪那岐命・菊理姫命・大己貴命建筒草命・建多乎利命
建稲種命・尻調根命(尾綱根命)・大荒田命
御由緒
針綱神社は延喜式神名帳所載の式内社です。
太古より犬山の峰(現在の犬山城天守閣付近)に鎮座され、
濃尾の総鎮守でありました。
創建年は不明ですが、延喜式に記載されていることから
1000年以上この犬山の地に鎮座しています。
先述の通り、古くは現在の犬山城天守閣付近に鎮座していましたが、
天文6年(1537年)犬山城築城に際し、
白山平(現在地より東方にある山)に遷座、
その後の慶長11年(1606年)市内名栗町に遷座されています。
そして明治維新の後の明治15年(1882年)、
現在の場所に再び遷座されました。
過去鎮座された白山平(小島町)と名栗町には犬山祭の際、
御神輿が渡御されます。
拝殿
例祭(犬山祭)
春の犬山の風物詩、絢爛豪華な車山(やま)で有名な
「犬山祭」は針綱神社の御例祭です。
犬山祭は、針綱神社が名栗町にあった寛永12年(1635)、
下本町と魚屋町が練り物を出したのが始まりとされています。
その後慶安3年(1650)頃、尾張徳川家家老 犬山城主 成瀬隼人正正虎公の
沙汰により、更に多くの氏子が行粧の車山練り物を出し始め、
江戸中期までには今の犬山祭の原型がほぼ出来上がったと言われています。
各町内より曳き出される車山は高さ約8m、上層より上山、中山、下山の
三層よりなり、重厚な構造美を見せています。
現存する13輌の車山は、平成18年3月15日に「重要無形民俗文化財」として
国の文化財に指定されました。
また平成28年12月に「ユネスコ無形文化遺産」に登録されました。
この13輌の車山全部が「奉納からくり」を行うのは全国でも類がない
と言われています。
犬山祭の車山の中でも特に、満開の桜の中提灯の明かりに映える
夜車山(よやま)の練行は、夜空に浮かぶ白帝城(犬山城の別名)と共に、
絢爛豪華にして当代髄一の景観であるとも言われる程です。
犬山祭は、もともと最初の針綱神社遷座日である
旧暦の8月28日を本楽(本番の日)としていましたが、
明治24年(1891)の濃尾大震災で城下が壊滅的な被害を受けたため、
再び全町内が揃って車山を出せるようになった
明治30年(1897)に、祭礼日を新暦4月へと変更しています。
その後幾度かの変更を経て、今では4月の第1土曜日、
翌日曜日に行われています。
本殿
御神馬
御神馬
本殿西側にお祀りしている御神馬は、
古くから子供の守り神、子育てのご神馬さまと親しまれ、
お供えした豆を頂くと歯ぎしり、ひきつけが治ると伝えられています。
八幡社
御朱印