金剛山 転法輪寺(てんぽうりんじ)




金剛山 転法輪寺(てんぽうりんじ)

金剛山 転法輪寺
http://www.katsuragi-syugen.or.jp

役行者が開祖の転法輪寺(てんぽうりんじ)です。

ひさご池

天正13年(1585年)豊臣太閤秀吉が増田長盛、片桐旦元を従えて
当山に参詣の際掘った池でその形は公の馬印千成ひょうたんを形どってあり
中の島は亀を表現して弁財天をお祀りしています。

出迎え不動

葛城廿八宿巡拜修行されている山伏達を始めとし、
当山へ参拝されるすべての人々を出迎えし、
また、経塚巡拜修行の奉告護摩を厳修させて頂く為に開眼されました。
今では葛城回峰行の基点となっています。

本堂

元々は現在葛木神社がある所に存在し、
五堂七宇の殿堂輪煥の美を誇っていましたが
明治維新の「廃仏棄釈」の世相に煽られ神仏分離の制が布かれ、
廃寺のやむなきに至りました。
昭和25年役行者様1250年忌に再興事業が始まり、
現在の場所に昭和36年落慶されました。

転法輪寺(てんぽうりんじ)

転法輪寺(てんぽうりんじ)は奈良県御所市高天にある
真言宗醍醐派の大本山の寺院。葛城修験道の根本道場でもある。

由来
修験道の開祖とされる役小角が16歳のとき金剛山に登って
苦修練行を重ねた結果、天智天皇4年(665年)祖神一言主大神を鎮守とし、
法起大菩薩を祀る金剛山寺(転法輪寺)を建立して
神仏習合の霊山としたのが開創と伝承される。
奈良時代より明治維新に至るまで修験道七高山の1つに数えられ、
歴代天皇の勅願所として五堂七宇の殿堂輪煥の美を誇った。
行基、鑑真、最澄も来山し、聖宝も修行したと記録される。
鎌倉時代の末、楠木正成がわずか5百の兵で金剛山中腹に築いた
山城(やまじろ)の千早城に戦陣を張って、
鎌倉幕府が派遣した総勢5万といわれた関東の軍勢を寄せ付けなかったのは、
金剛山寺(転法輪寺)の修験勢力の支援が大きかったと伝わる。


鎮宅

鎮宅

本堂再興の折、ご尽力下さりました山伏先達様が、
大阪高津報恩院様の鎮宅さんより、御魂をお分け頂き、
明治維新の「廃仏棄釈」の様な悲しい出来事が二度と繰返えさない様にと建立されました。

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