突先山(1021m) 大棚山(1035m) 大山(986m) 中村山(1006m) 永遠山(696m)・縦走
「静岡の百山」突先山を登るルート、
足久保川を馬蹄状に囲む山麓を周回するルートがあると知り巡って来ました。
安倍川の支流足久保川流域は静岡茶発祥地と伝わる地域で
お茶畑が美しく見所も沢山あります。
釜石峠から大棚山への道は踏み跡も薄く倒木 笹藪の山です。
高山(牛ヶ峰) 大山 周辺は普段は人気の場所らしいですが、
誰にも合わない静かな登山でした。
大山(おおやま)
標高 986m | 登山日 2019年6月22日 |
どっしりとした山容 市街方面の展望が素晴らしい | |
所在地 静岡県静岡市葵区足久保奥組 |
突先山(とっさきやま)
標高 1021m | 登山日 2019年6月22日 |
尖頂な山容が特徴的 足久保川 西山稜の山 | |
所在地 静岡県静岡市葵区足久保奥組 |
中村山(なかむらやま)
標高 1006m | 登山日 2019年6月22日 |
古くからの古道 釜石峠の先に聳える山 | |
所在地 静岡県静岡市葵区足久保奥組 |
大棚山(おおたなやま)
標高 1035m | 登山日 2019年6月22日 |
山頂下からの安倍東山稜の眺めが素晴らしい | |
所在地 静岡県静岡市葵区足久保奥組 |
永遠山(とわやま)
標高 696m | 登山日 2019年6月22日 |
足久保川 東山稜 打越峠を経て大棚山を隔てる | |
所在地 静岡県静岡市葵区足久保奥組 |
難易度 ★★★ オススメ ★★ | 登山口(ナビ検索) 足久保観光トイレ |
足久保観光トイレ(08:22)→大山→(09:15)→突先山(09:25)→釜石峠(09:28)→中村山(09:35)→大棚山(09:39)→打越峠(09:45)→永遠山(10:22)→油山峠(10:22)→谷沢バス停(10:22)→足久保観光トイレ(11:51) 所要時間 7時間35分 高低差 890m 累積標高 1594m / 1597m 距離 19.4m | |
■安倍川の支流である足久保川源流は静岡茶発祥の地と伝わります。鎌倉時代に聖一国師が宗に渡った際に茶の種を持ち帰りこの地に植えたのが静岡茶の始まりと言われ、江戸時代には将軍の御用茶として献上されていました。昼夜の温度差が大きく、強い日差しを遮る霧のかかりやすい立地が良質な茶葉を生む要因とされます。 ■安倍川支流、足久保川を馬蹄型に取り囲むように、牛ケ峰・大山・突先山・中村山・大棚山などの山々が連なる。西側山稜は高山(牛ケ峰)周辺を初め、比較的整備されているが、釜石峠を超えた先の東川山稜は不明瞭な道も多く笹薮の山です。 ■突先山と大山はともに藁科川中流左岸の山で、尖頂の突先山となだらかな山容の大山とで対照的な形を成す。大山山頂には静岡市街からも望むことができる電波塔が建ち、山頂からは静岡平野・駿河湾・焼津市街を一望できる。突先山からも富士山方面の展望が望める。 ■中村山から大棚山までは倒木も多く笹薮の茂る不明瞭な道が続く。大棚山山頂下には北方面に開け、赤石系の主峰軍・深南部・白峰南嶺・手前には安倍奥の山々、真富士山越しに富士山とこのコース一番の展望を望むことができる。 |
オクシズ足久保観光トイレ駐車場
周辺ハイキングコース案内板
足久保川を渡り登山口へ
奥に見える尖った山が突先山
馬蹄状の山麓を周回の予定です
東海自然歩道 分岐
しばらく登り東海自然歩道へ合流
笹藪を登って行きます
東海自然歩道沿いの道は刈り取られていて歩きやすい
笹を抜けると目の前に鉄塔
大山(986m)山頂
山頂より
静岡市街と高山(牛ヶ峰) ダイラボウ
奥に満観峰と焼津市街まで見渡せます
静岡市からも見える大山の無線電波塔
林道を歩き突先山へ
突先山(1021m)山頂
三等三角点
山頂からは東方面の展望が少しだけ
炭焼き窯跡
釜石峠
藁科の栃沢と足久保を結ぶ古くからの古道では
お地蔵様がお出迎え。
ここから足久保川の源流をなす中村山へ
中村山(1006m)山頂
三等三角点
中村山から大棚山までは笹の藪漕ぎ
倒木や不明瞭な道が続く
途中 向かいの大山を望む
大棚山(1035m)山頂
展望無しですが少し先に
安倍東山稜の大展望地
安倍東山稜には双耳峰が多い、
手前から竜爪山の薬師岳と文殊岳、真富士山と第二真富士山、
十枚山と下十枚山、奥大光山と大光山、
綺麗に続く尾根歩き繋げたくなります。
こんな笹薮をひたすら漕いで行く
ヌタ場
登山口 打越峠
大棚山 全景
永遠山(696m)山頂
鈴桃トレイル
逆側の登山口であるベンション鈴桃(りんどう)
にちなんだ「鈴桃トレイル」へ
踏み跡が無い道も次第に歩きやすく
油山峠
油山峠からは再び東海自然歩道へ
茶畑の棚田
途中の道沿いにある「延命水」
ポーズを取ったまま固まるカモシカ
ペンション鈴桃からロードへ
奥に大棚山
なだらかな山容の大山
狐石(きつねいし)
お茶の製造法を刻んだ石で
昔のこの下に狐が住んで居たから呼ばれるようになったと伝わる
奥には「聖一国師之碑」
聖一国師は静岡茶の祖とされています。
狐石
駿河路や はなたちばなも 茶のにほひ(芭蕉)
天明8年(1788年)、現存する茶舗「竹茗堂」の先祖である山形屋庄八(竹茗と号した)が建てた石碑で、句碑としては日本一の大きさ(幅約8m、高さ約4.5m)とされているものである。この石には、松尾芭蕉が元禄7年(1694年)に詠んだ「駿河路や はなたちばなも 茶のにほひ」という句が彫られているがこの石碑は単なる句碑ではない。
日本茶は、栄西禅師が建久2年(1191年)に南宋から帰国し、茶の種を持ち帰り、栽培や飲み方を伝えたのが発祥とされる。それ以前にも遣唐使などが茶を持ち帰ってきていたらしいが、普及しなかった。現在、日本一の生産量を誇る静岡茶は、駿河国安倍郡の出身の聖一国師が、晩年に(没年は弘安3年(1280年)。南宋から日本への帰国は仁治2年(1241年)。)故郷に戻り、茶の栽培を勧めたのが初めとされる。
足久保茶は、天和元年(1681年)に江戸の将軍家に対する煎茶の上納が始まり、相当量の高級煎茶が生産されるようになった。しかし、八代将軍吉宗の諸事倹約政策により、享保元年(1716年)には上納茶が停止されてしまい、足久保茶は大きな打撃を受けた。煎茶には、「黒茶」と「青茶」があり、「黒茶」は生葉のまま釜煎りして筵の上で揉んで乾燥させたもの(いわゆる番茶に近いもの)、「青茶」は蒸してから焙炉の上で揉んで仕上げたもので、「青茶」のほうが高級茶となる。上納茶の停止で、足久保の「青茶」はいったん廃絶してしまった。これを惜しんだ山形屋庄八が「青茶」を復活させたのが天明8年のことで、「狐石」はこれを記念して、その経緯も句とともに刻んで建てたものであるという。
静岡茶発祥地 石碑
オクシズ足久保観光トイレにある静岡茶発祥の地石碑
中腹の集落栃沢は鎌倉時代の高僧聖一国師誕生の地。
宋から茶の種を持ち帰り足久保に植えたのが茶栽培の始めで、
茶の始祖と伝わります