阿智神社 奥宮・長野県下伊那郡阿智村智里




阿智神社 奥宮・長野県下伊那郡阿智村智里

阿智神社 Wikipedia

長野県下伊那郡阿智村智里に鎮座する阿智神社(あちじんじゃ)奥宮です

阿智神社は、前宮と奥宮と二つの社に分かれ、

前宮は国道156号線沿いの昼神を一望する高台にあり

奥宮はさらにその先、阿智川に沿って遡ること2kmの地点、

本谷川と黒川が合流して阿知川となる三角に突出した半島状の先端部に鎮座します。

社伝によれば人皇第八代孝元天皇五年春正月、

天八意思兼命(あめのやこころおもいかねのみこと)は

御児天手力男神(あめのたじからお)と天表春神(あめのうわはるのみこと)を引き連れて

信濃国 阿智の里に天降り、阿智の祝(はふり)の祖となり給うたと伝えられています。

古代祭祀遺跡である奥宮の磐座は、

祖神 表春命の陵(川合陵)とも云われています。

式内社・阿智神社に比定されている由緒ある古社です。

長野県下伊那郡阿智村智里に鎮座する阿智神社(あちじんじゃ)前宮です 阿智神社は、前宮と奥宮と二つの社に分かれ、前宮は国道156号線沿いの昼神を一望する高台にあり奥宮はさらにその先、阿智川に沿って遡ること2kmの地点にあります。

一の鳥居

国道256号線から県道89号、

本谷川と黒川が合流地点に鎮座します

社号標

篝薪神楽歌を刻んだ石碑

篝薪神樂(かがりびかぐら)

吾道太神宮(あぢだいじんぐう)

降(くら)らま置久(おく)
科野乃洲(くに)はも
神颪(おろ)す
日霊(ひるめ)之火能神(ほのかみ)
生禮(あれ)ましし
八束(やつか)之金龍(わだつみ)
燎薪(にわび)古素(こそ)
山跡(やまと)に傳(のこ)す
八意野(やごころの)
吾道大社(あぢのおほみや)
太神宮

反歌(かへりうた)

桐降留流。(きりふるる)
清清(すが)乃天浪(あまなみ)
吹貴晴禮天(ふきはれて)
日霊郷仁(ひるがみむらに)
昇穂瑠太陽(のぼるおおかみ)

平成参年鎮月祭日
御流神道大阿閤梨 尽々法師 新宅大門 献詠

社頭石碑

延喜式内社 阿智神社奥宮

この丘陵は昼神に祭られている阿智神社の奥宮です。
昔から村人は「山王さま」と親しみをこめて呼び、小丘を阿智族の祖天表春命の墳墓「河合の陵」と名づけ て信仰を集めてきました。
丘の頂、玉垣に囲まれた巨石は磐座であると云われて きました。
このごろこの巨石を囲む遺構が発見され、いよいよ磐 座であることが確かになりました。
磐座とは古代の祭祀場において神霊が降りてきて鎮座 したところです。この地が阿智神社の祭神、八意思兼命 (天思兼命)・天表春命の鎮座地であるとともに、全国の 総本社であることがうかがえます。
この二神は信濃国に天降って阿智の祝の祖となっ たことが平安時代初期に編された「先代旧事本紀」に記さ れておりますし、天思兼命は「古事記」「日本書紀」に高天 原随一の知恵の神として登場しています。

阿智神社 御由緒

社伝によれば人皇第8代孝元天皇5年春正月天八意思兼命御児神を従えて

信濃国に天降り、阿智の祝(はふり)の祖となり給うたと伝えられ、

この地は古代東山道の沿線にあたり、鎮座地昼神の地名は

日本武尊東征(やまとたけるのみこと)よりの帰路神坂峠を越えんとして

峠に住む荒らぶる神の毒気に遮られて進むことができず、

たまたま噛んでいた蒜(ひる=にんにく)を吹き掛けた処、

悪神たちどころに倒れて進むことができた。

それよりこの地を蒜噛(ひるがみ)という(日本書紀)と伝え、

後好字に替えて昼神になったとせられ、また一説にこの地に天降った

八意思兼命は高天原(たかまがはら)随一の知恵の神として

万機を建策ことごとく成就、殊に天照大神が弟神

素盞鳴尊(すさのおのみこと)の余りの無道を憤り、

天岩屋(あまのいわや)に隠れ給うやこの神の差配によって

無事大神を外にお出しし、太陽の神天照大神をお出しするに大功あった

神の鎮まります所、即ち暗(やみ)より昼に帰した功神(いさをがみ)を

祭る処故昼神であるといわれている。

延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)所載伊那郡(現上下両郡)

2社の内の1社が当阿智神社で

(故に延喜式内社あるいは単に式内社ともいう)

古くより国司(くにつかさ)祀祭の社として

崇敬極めて厚い地方の名社である。

奥宮は前宮より阿智川に沿って上ることおよそ2粁、

本谷川と黒川が合流して阿知川となる三角に突出した半島状の先端部に

祭られ、全山大木欝蒼と繁り、春はその間に岩つつじが可憐な花を見せ、

秋は紅葉が美しく川の流れに映え、四季を通じて景勝の誉れ高い所である。

これより奥3粁程で歴史と伝説の里園原、更に神坂峠へと通ずる。

この奥宮の地こそ阿智地方開拓の祖神天表春命(あめのうわはるのみこと)

の永久の鎮り処川合陵(かわあいのみささぎ)にて、

風光明媚まことに祖先の神霊を齋き(いつき)祭る奥津城(おくつき=墓)

に相応しく、丘上に苔蒸した巨石が祀られ、かつて国学院大学教授

大場磐雄博士により磐座(いわくら)即ち上代における祭祀の遺蹟であると

立証せられた。

そもそも阿智神社は上古信濃国開拓の三大古族即ち諏訪神社を中心とする

諏訪族と穂高神社を中心とする安曇族とともに国の南端に位置して

開拓にあたった阿智族の中心をなす神社としてその祖先を祭り、

平安初期に成立した「先代旧事本紀」(せんだいくじほんき)に

八意思兼命その児(みこ)表春命と共に信濃国に天降り

阿智祝部(はふりべ)の祖となるとあり、信濃の国境を扼(やく)する

神坂の東麓阿智地方に留まりその一族を率いて伊那西南部地方を

開拓経営にあたり、隣接する駒場町に鎮座する元郷社安布知(あふち)神社も

やはり天思兼命を主神として奉祀している。

この駒場は延喜の官道東山道阿智駅(あちのうまや)が置かれ、

駅跡(うまやあと)と推定せられるところを中心に条理制の跡を残す

水田開け、水田地帯の周辺部に古墳多数が見られることから

この神社を含めて式内阿智神社であるとする史論も近頃高まりつつあり、

いずれにしても阿智神社奥宮の地より昼神、更に安布知神社の鎮座する

駒場にかけての一帯こそ古代阿智族の本拠地と見るべく両神社とも

昔時は吾道宮(あちのみや)或いは吾道大神宮(あちのおおかみのみや)と

称(とな)え、江戸期にはそれぞれ朱印十石の寄進を受けた有力な

古社であった。

又上水内郡戸隠村鎮座元国幣小社戸隠神社中社の御祭神天八意思兼命、

宝光社天表春命の二神は村上天皇天暦年間当社より分祀せられたと

伝えられ、更に埼玉県秩父神社の御祭神天八意思兼命は同神、

御児天下春命(あめのしたはるのみこと)は天表春命の弟神に

ましますという、それぞれに極めて因縁深い関係の神社である。

舞殿

拝殿

拝殿 本殿覆屋

磐座玉垣

磐座

奥宮の磐座は、国学院大学教授 大場磐雄博士により

古代祭祀遺跡であると立証されています。

祖神 表春命の陵川合陵」とされ椀貸伝説もある。

長さ2m、巾1.5m、

地上露出部分の高さ1m余り

式内 阿智神社元宮の磐座

磐座のあるこの小山は昔から「河合の陵」と呼ばれる。
磐座の上面は比較的平らな巨石である。この巨石が社殿の発達する以前、阿智族の守護神であり祖先神である八意思兼神、その御児天表春神二神の神霊を迎えて祭が営まれた式内阿智神社の元宮であった。
この磐座は東西南北を指し、冬至の日の太陽は岩座の東側先端の延長戦、南より下りる網掛山と北より流れる清内路山の稜線との接点により静かに昇っていくのを拝することができる。

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