観音山(1418m) 熊伏山(1654m) 鶏冠山(1433m) 縦走
日本三百名山 信州百名山の「熊伏山」と
静岡の百山「観音山」を縦走しました。
青崩峠は遠州から伊那に抜ける古くからの道で
秋葉信仰の道「塩の道」として名高い。
また武田軍が徳川 織田連合軍と交えた三方原の合戦の際に
本隊を率いて超えるなど歴史的な要衝路でした。
観音山と熊伏山を繋ぐ県境の尾根は
原始林・笹薮・岩稜など複数で起伏も激しい難コースです。
観音山(かんのんやま)
標高 1418m | 登山日 2019年4月28日 |
ヘリポートがある開けた山頂から中・南アルプスを望む | |
所在地 長野県下伊那郡天龍村 |
鶏冠山(とさかやま)
標高 1433m | 登山日 2019年4月28日 |
観音山と熊伏山の中間に位置するピーク | |
所在地 静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家 |
前熊伏山(まえくまふしやま)
標高 1615m | 登山日 2019年4月28日 |
観音山の分岐に位置する熊伏山の前衛峰 | |
所在地 静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家 |
熊伏山(くまふしやま)
標高 1654m | 登山日 2019年4月28日 |
秋葉街道「塩の道」歴史ロマンあふれる日本三百名山 | |
所在地 長野県飯田市南信濃八重河内 |
青崩の頭(あおくずれのかしら)
標高 1433m | 登山日 2019年4月28日 |
中央構造線 青崩峠を真上から望む | |
所在地 静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家 |
難易度 ★★★★★ オススメ ★★★ | 登山口(ナビ検索) 観音山登山口 |
観音山所能登山口(07:40)→所能登山口分岐(09:11)→観音山ヘリポート(09:18)→観音山(09:22)→観音山ヘリポート(09:27)→所能登山口分岐(09:32)→1428(10:23)→鶏冠山(10:51)→1470m峰(11:34)→1560(12:15)→前熊伏山(12:28)→熊伏山(12:42~12:58)→前熊伏山(13:12)→青崩ノ頭(13:24)→三角点(13:28)→青崩峠(13:47)→建次屋敷跡(13:51)→遊歩道入り口(13:56)→辰之戸集落跡(14:04)→足神神社(14:10)→水準点(14:15)→鯖地蔵(14:19)→ゴール(14:39) 所要時間 7時間06分 高低差 1091m 累積標高 1459m / 1443m 距離 14.7m | |
■国道152号線は静岡県と長野県を結ぶ唯一の国道。この国道が分断れる所が青崩峠です。この長野県と静岡県の県境ある青崩峠は、秋葉街道 通称「塩の道」として知られ、戦国時代に武田信玄が通ったことでも有名。だが峠道は中央構造線の大破砕帯を通っているため地盤が極めて脆く、日本のトンネル技術の粋を集めても未だに開通するに至らない。 ■観音山は国道152号線が途絶える西浦の西側にあり、山名は国の重要無形民俗文化財として指定されてる「西浦の田楽」に由来する。「聖観世音菩薩」通称「西浦の観音さま」は西浦全体の信仰の中心であり、伝承によると養老三年(719年)行基菩薩の作と伝わる。 ■観音山と熊伏山を結ぶ、静岡県と愛知県の県境尾根は原生林・笹薮・岩稜など複雑で起伏が激しい難コースです。 ■日本三百名山 信州百名山の一座「熊伏山」は熊も尻込みするほど急峻な源流である熊伏沢が山名由来とされる。山頂には一等三角点があり開けた東面からは南アルプスの深南部を望むことができる。 |
観音山登山口
国道152号沿い観音山登山口より
水 地 山 神の祠
登山口には「水 地 山 神の祠」 祠の左に登山道
明瞭な登山道 急登が続く
檜 植林の森
1300m地点、尾根からブナ原生林へ
山頂付近にあるヘリポート、奥に御嶽山と中央アルプス
鶏冠山
観音山の名は国の重要無形民俗文化財として指定されている
「西浦の田楽」から来たものだそうです。
現在は新興宗教施設の廃屋が残る
何かの建物の基礎が残る山頂部
観音山(1418m)山頂 三等三角点
熊伏山へのバリエーションルート
すぐに崩壊の激しい細尾根へ
右手に荒川岳 聖岳
左に御嶽 木曽駒を望む
コブの連続を超えていく
所々迷いやすい支尾根が派生しており読図必須です
鶏冠山までの痩せ尾根は見た目以上にハードでした。
ザレた花崗岩質は崩れやすいく足掛かりが無く、
角度もキツイほぼ岩登りが続きます。
巻ける所もあるがほぼ切れ落ちているので素直に登るしかない。
鶏冠山 山頂
鶏冠山の山頂標識には(1510m)とありますが(1433m)
山頂には標石があります
鞍部より 南ア深南部を望む
中央に丸盆岳と黒法師岳
鶏冠山と前熊伏山の中間から細尾根が終わり背の高い笹薮に
昨年刈り取られたのか、お陰でここからは道が明確です
笹薮を抜けると
ブナとモミ シラビソの広い暖斜面へ
前熊伏山手前のビューポイントより 御嶽山 中央アルプス
熊伏からは中アルプス方面は見えないので寄り道もオススメです
前熊伏山(1616m)山頂
熊伏山(1653m)山頂
一等三角点
荒川岳 聖岳 池口岳周辺
中ノ尾根山 黒沢岳
麻布山から続く黒法師岳の尾根
反射板跡より
青崩の頭(1433m)
ここから大崩壊地の始まり
木々が無いので絶景です
整備され快適な登山道
ミツバツツジ
青崩峠より数メートル登った先に展望地
崩壊地を覗き込む
中央構造線の真上
遠山郷へと続く「塩の道」
青崩峠
青崩峠
静岡県指定史跡 海抜1082メートル
青崩峠は遠州と信州の国境にあって古くからある信州街道(秋葉街道ともいう)の峠である。この道は昔から海の幸や山の幸が馬や人の背によってこの峠を越して運ばれたことから「塩の道」ともいわれている道である。また、戦国時代、武田信玄の軍勢が南攻のためこの峠を越えたと伝えられ、近世には多くの人々が信州、遠州、三河の神社、仏閣に参詣するためにこの峠を越した。近代においては可憐な少女達が製糸工女として他郷で働くために越した峠でもあり、多くのロマンと歴史を刻む峠である。
建次屋敷跡
建次屋敷跡
秋葉街道往来の盛んな当時、ここには茶屋がありました。ある夏の夜、毎日一生懸命働く夫婦の日銭の入るのを見込んで四名の盗賊が押し入りました。盗賊は亭主を大黒柱に縛りつけ、女房には乱暴をはたらき、最後には酒樽を亭主に投げつけ、お金を奪って逃亡したという悲しい言い伝えが残っています。
武田信玄の腰掛け岩
武田信玄の腰掛け岩
1572年(元亀三年)十月、京を目指し甲府を出発した武田信玄は、二万七千の兵を率い天下の難所青崩峠を越えて、同年十二月徳川家康との「三方原の戦い」に挑みました。この岩は、その遠征の途中に信玄が休憩のため座ったものと言われています。
登山口
信州街道 塩の道 案内板
木地屋の墓
木地屋の墓
木地屋(キジヤ)は山中の木を伐って椀とか盆などの木地を作る特殊の工人である木地屋という名稱はおそらく椀というものができてのちのことにちがいない。木地屋のことを「くりや」「木地くり」「くりし」とも呼ぶ。これらの木地屋は原料である良材(トチ、ケヤキ、ブナ)を求めて全国にわたって山から山へと漂泊の旅を続けた。彼等は日本の工芸品生産上重要な役割を果した人々であった。木地屋の本拠地は滋賀県東小椋村といわれる。「木地屋の墓」 ここには二体の木地屋の墓を安置してある。
瑟平太郎の墓(しっぺい太郎)
静岡県磐田市にある見附天神社で妖神を倒した
「悉平太郎伝説」で有名なしっぺい太郎の墓があります。
足神神社
林道青崩線より望む観音山