第96代 後醍醐天皇御陵 (塔尾陵) 世泰親王墓




第96代 後醍醐天皇御陵 (塔尾陵) 世泰親王墓

浄土宗 如意輪寺 H.P
http://www.nyoirinji.com/tounou.html

如意輪寺の奥に後醍醐天皇の御陵があります。

京都に戻る願いを込め、天皇家の墓陵としては

唯一、北向(北面の御陵)となっております。

後醍醐天皇御陵 (塔尾陵)

■代 数
第96代
■天皇 名
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)
■御 父
後宇多天皇
■御 母
談天門院藤原忠子
■御陵 名
塔尾陵(とうのおのみささぎ)
■陵 形
円丘
■所在地
奈良県吉野郡吉野町大字吉野山字塔ノ尾 如意輪寺内
■交通機関等
近鉄「吉野」下車 南東へ1.7km

後醍醐天皇御陵

大塔宮護良親王の死後、後醍醐天皇は建武の中興を果たします。
しかしそれも束の間の夢と破れた後醍醐天皇は、
延元元年(1336)京都花山院をのがれて吉野山に身を寄せ、
その後も吉野山にいて吉野行宮(よしのあんぐう:奈良県吉野郡吉野町・南朝)
を起こしますが、延元4年(1339年)8月16日、皇位を後村上天皇に譲った後、
52歳でこの世を去ります。
後醍醐天皇が病の床に伏されたとき次のような歌を詠まれています。
「身はたとへ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望まん」
と詠み都を憧れつつ、吉野金輪王寺でついに崩御されたそうです。
後醍醐天皇の遺骸は後醍醐天皇が勅願所とされていた如意輪寺の裏山、
塔の尾へ埋葬され、後醍醐天皇のごいしどおり、京都に対する願いを表すために、
天皇家の墓陵としては唯一北向きとなっており、「北面の御陵」として有名です。
この如意輪寺の裏山には、後醍醐天皇の孫に当たる長慶天皇、
その皇子の「世泰親王」が一緒に葬られています。
後醍醐陵の手前右手にあります。
この御陵は、明治新政府以降、宮内庁が管理されています。
浄土宗 如意輪寺H.P

■ 世泰親王墓

後醍醐天皇の孫に当たる長慶天皇

その皇子の「世泰親王墓」が塔尾陵を入ったすぐ右側にある。

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