第5代 孝昭天皇(掖上博多山上陵)・奈良県御所市大字三室




第5代 孝昭天皇(掖上博多山上陵)・奈良県御所市大字三室

奈良県橿原市西池尻町

第5代 孝昭天皇(こうしょうてんのう)「日本書紀では観松彦香殖稲天皇」

掖上博多山上陵(わきのかみのはかたのやまのえのみささぎ)

俗称「博多山」

葛城川の西側の小山、自然の丘陵であり古墳ではない。

欠史八代の一人で実在性については諸説あり。

第5代 孝昭天皇

諱  観松彦香殖稲天皇・御真津日子訶恵志泥命

誕生 懿徳天皇5年

崩御 孝昭天皇83年8月5日 113歳

在位 孝昭天皇元年1月9日 – 孝昭天皇83年8月5日

続柄 (父)懿徳天皇(母)天豊津媛命・賦登麻和訶比売命

皇室系譜に第5代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしねのみこと)。懿徳(いとく)天皇の皇子で、母は天豊津媛命(あまとよつひめのみこと)。孝昭元年に即位して都を掖上(わきのかみ)(奈良県御所(ごせ)市北東部)の池心宮(いけごころのみや)に遷(うつ)し、同29年に世襲足媛(よそたらしひめ)を皇后とし、同83年に没して掖上博多山上陵(わきのかみはかたのやまのかみのみさざき)に葬られたという。『古事記』は、母を賦登麻和訶比売命(ふとまわかひめのみこと)、皇后を余曽多本(よそたほ)比売命とし、93歳で没したと伝える。

欠史八代の一人。

第五代天皇。第四代・懿徳天皇の嫡子。 母は『古事記』では師木県主の祖・賦登麻和訶比売(飯日比売命)、 『日本書紀』では息石耳命の娘・天豊津媛命。

葛城の掖上宮(池心宮)にて統治された。

『古事記』では、孝昭天皇は尾張連の祖・奥津余曾の妹、余曾多本毘売命を娶って、 天押帯日子命、大倭帯日子国押人命(のちの第六代天皇・孝安天皇)をもうけた。 天押帯日子命は春日臣、大宅臣、粟田臣、小野臣、柿本臣、壱比韋臣、大坂臣、阿那臣、多紀臣、羽栗臣、知多臣、牟耶臣、都怒山臣、 伊勢の飯高臣君、壱師君、近淡海国造の祖。

『日本書紀』では、孝昭天皇は尾張連の祖・瀛津世襲の妹、世襲足媛を皇后として、 天足彦国押人命、日本足彦国押人天皇(のちの第六代天皇・孝安天皇)をもうけた。 天足彦国押人命は和珥臣等の祖。

御陵は、『古事記』では掖上の博多山の上。『日本書紀』では掖上博多山上陵。

孝昭天皇(掖上博多山上陵)

代数
第5代
天皇名
孝昭天皇(こうしょうてんのう)
御父
懿徳天皇
御母
皇后天豐津媛命
御陵名
掖上博多山上陵
(わきのかみのはかたのやまのえのみささぎ)
陵形
山形
所在地
奈良県御所市大字三室

孝昭天皇神社(孝昭宮)

陵の近くには孝昭天皇の霊を祀る孝昭天皇神社(孝昭宮)がある

これは古く丘上にあったものを幕末の修補の際に現在の東側隣接地に移したものになる

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