京ヶ峯(170.31m)・愛知県額田郡幸田町




京ヶ峯(170.31m)・愛知県額田郡幸田町

愛知県額田郡幸田町にある「京ヶ峯(170.31m)」へ

この辺は同じ名前の山が多く、

岡崎市の京ヶ峰(365.5m)や鳥川アルプスの京ヶ峯 (441.9m) が有名で、

「三河・遠州の超低山」を見るまで知らなかった里山です。

西三河地方唯一の町村である幸田町と岡崎市の境にあります。

山頂には三村神社の奥宮が鎮座し、先程のハッ面山と同じく

山中には雲母採掘坑跡が残っています。

京ヶ峯 (きょうがみね)

標高 170.31m 登山日 2023年5月28日
山頂には三村神社の奥宮が鎮座
所在地  愛知県額田郡幸田町

難易度 ★     オススメ ★★ 登山口(ナビ検索) 里山駐車場
スタート地点(09:59)→京ヶ峯 (10:14)→ゴール地点G(10:31) 所要時間 31分 累積標高 129m / 128m 距離 1.8km
■ー

麓にある里山駐車場より (トイレ有り)

地元の幸田町立坂崎小学校により整備された看板があります。

石塚中池

幸田広域調整池

「幸田広域調整池 愛知県企業庁」調整池のタンクがあります。

ここまで舗装路を歩きます

調整池のタンクの横から山道へ

ここにも可愛らしい案内板があります。

展望台より

幸田町・岡崎市のどかな風景が広がります

山道にもお手製の看板が沢山ありました。

ゴロスナ峠(156m)

京ヶ峰(170.31m)

「三河・遠州の超低山」の一座です。

三等三角点(長峰) 170.31m

三村神社 奥宮

三村神社 奥宮

由緒 御祀神 日本武尊  八剣命 豊受姫神 舎人親王 4柱 起源は古く、日本武尊は東征の際にこの地に立ち寄り、山水の美を賞し暫らく滞留された。その御子・鏡別王この地に住む(小津別の祖)。王は父・日本武尊を追慕し、京ヶ峯の山頂に祀る。これ当社の創立なり、今に坂崎の大宮といういう近くに・皇子ヶ入・皇子田・神宮司の地名あり。「慶長検地水帳」(1596~614)に「坂崎明神社地を除く」とあり、明暦2年(1656)社殿を造営し、元禄10年(1697)6月には石鳥居を建立す。宝暦年間(1751~63)大久保彦左ェ門の6代孫・忠恒、熱田神宮・八劔宮の旧殿を受け本社本殿と為し、奉納額に三社大明神として奉掲する。明治3年11月、氏子三ヶ村あるので三村神社と改め、同5年10月12日に村社に列し、40年10月26日に供進指定を受けた。昭和18年10月に手水舎を建立、55年4月には社務所を改築、覆殿を改造して幄舎を新築した。

日本武尊傳説磐境之跡

麓の三村神社の御祭神は日本武尊

その子 鏡別王が京ヶ峰山頂に父 日本武尊を祀ったのが起源なのだそうです。

南側 遠望峰山(443m)

雲母の採掘坑跡

京ヶ峯にも雲母採掘坑跡がありました。
江戸時代後半から明治中期にかけてこの山で雲母が採掘されていたそうです。
山のいたるところに縦穴があり、深いものでは3mにも及ぶそうです。

幸田町の産業遺産に指定されているそうで、案内板もありました。

幸田の産業遺産

京ヶ峰雲母採掘坑跡

京ヶ峰を登ると山のいたるところに縦穴があることに気づきます。これらの穴は雲母を採掘するために掘られた穴で、深いものでは三メートルに達します。この京ヶ峰において雲母の採掘が行われていたのは江戸時代後半から明治時代中頃にかけてであり、旗本大久保領であった坂崎村の産業の一つでした。京ヶ峰の雲母は京都などへも納品されていたようなので、化粧品や絵画の材料として用いられたのかもしれません。 発掘者は領主であった大久保氏に運上金を納め、採掘の特許権を得て採掘事業を行っていました。明治時代になり砂防法の制定や土石流出の問題などで採掘が困難となり廃業となりましたが、たくさんの採掘坑は当時の隆盛を物語っています

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